檻を隔てⅥ
久しぶりに見た朝日は痛かった。
目を覚まし。悪夢が終わり。
だからこそ、この逃れようのない現実が始まった。
「……生きている?」
思わず、口に出していた。
だとすればあれは――悪い夢、だったのか。
鉄錆の臭いが鼻につく。それも強烈に……だが何故だか、不快感はなかった。
……誰も居ない。
俺は身を起こした。
こんなに柔らかいベッドで眠ったのは、ああ……どうだろう。これがきっと、生まれて初めてのことだった。
薄暗い部屋だった。
そこは客間のようで、簡素でありながら質の良い調度品で固められていた。
窓辺へと歩み寄る。厚手のカーテンの隙間から、光が漏れていた。
であるなら、朝か昼か。
日の光を浴びるのも、久しぶりのことだった。
あの暗く湿った空間に押し込められていたのだ。だから太陽を恋しいと思うのも、自然なことだろう。
カーテンを掴み、勢いよく開く。
その瞬間、灼けつくような痛みが走る。
「っぐ、う……!?」
俺は咄嗟に後退った。
影の中に、怯えるように身を屈めた。
……今のは……。
これでは、まるで――
ふと、視界の端で影が揺れた。
その瞬間、そちらへ視線が吸い寄せられる。
……赤い髪の誰か。
彼女と似た特徴の男が、そこに立っていた。
こちらが近づけば、彼もまた近づくように。同じ歩みの早さで、近くなって。
それが誰かでなく、自分自身だと気付くのには少しだけ時間を要した。
鏡に映る姿が、自身の知るものでなく――
赤い髪に、碧の瞳で。
それなのに、顔の造形は俺そのものだったのだから。
まだ夢の続きにでも居るのだろうか?
そうであって欲しい。そうでなければ、これは……。
けれど、鏡の中にそれが存在した。
これは決して夢なんかではなく、あの恐怖も現実のものだったという確かな証拠を。
乱れた襟元に小さな赤い痕が覗く。
あの小さな吸血鬼に血を吸われたことの、違わぬ証だった。
鋭いノックの音が唐突に部屋の静寂を破った。
びくりと身体が跳ねる。
心臓が止まりそうだった。
――いや、まだ動いているのか? この心臓は。
「失礼します」
扉が開いた。
入ってきたその顔には見覚えがあった。
昨晩、俺を檻から連れ出した、あの従者だ。
彼は俺を一瞥すると、何の驚きも見せずに言った。
「お目覚めですか」
その声は淡々としていた。
まるで、これが当然のことであるかのように。
「俺は……」
喉が上手く動かない。何を言えばいいのか分からなかった。
従者は静かに歩み寄ってくる。
「当主様がお呼びです」
当主様? 誰のことだろうか。
あの少女のことでないなら、ここにはまだ別に吸血鬼が居るのか。
「準備が整い次第、お部屋へ」
準備、とは。
……いまいち要領を得ない。
「着替えと、身支度を。こちらにご用意しております」
従者は部屋の隅を示した。
そこには服が置かれていた。
昨日着せられたのより更に上質で、装飾的な意匠も施されているものだった。
「あの。俺は、一体……」
問いかけようとした。しかし従者は、既に背を向けていた。
「支度が終わりましたら、お声がけください」
そう言い残し扉を閉める。
一貫して要点しか語られなかった。
まるで、質問など最初から許すつもりもないというように。
一人、部屋に残された。
俺は震える手で首筋に触れた。
小さな、赤い痕。喉の奥にへばり付く、鉄錆のような味。
それらが、昨夜何が起きたのか――その全てを、残酷に物語っていた。




