22.「扉の鍵」
闇の森を歩き始めて、どれほどの時間が経ったのでしょうか。
私たちはあてもなく、ただひたすら歩き続けていました。
もともと不気味なほど静まり返った暗い森だというのに、瘴気のような紫色の煙が、いまも私たちの不安を煽るように漂っています。今にも魔物やお化けが現れてもおかしくない――そんな気配が辺りを満たしていました。
とはいえ、先頭には頼もしいレオナール様とアレクシが立ってくださっています。恐怖を最も感じているのは、きっとお二人のはず。それでも、後ろを歩く私にとっては大きな心の支えでした。
隊列は、先頭にレオナール様とアレクシ。その後ろにフェラン。さらにその後方に私セレスティンとエリナ様、そして最後尾にシュル――という並びです。
「な、なぁ……魔物とか……お化けが出てきたら……アレクシ、シュル、お前らが頼りだ……遠慮なくぶっ飛ばしてくれ」
フェランが、おどおどとした様子でそう言いました。
(あら可愛い……)
怖がりなフェランの態度に、私の可愛いほど意地悪したくなる心理モードへとスイッチが入り、いつもの様子でフェランに軽口を叩きます。
「……はぁ、フェラン。あなたねぇ……そんなに人任せで情けなくないの? 自分で戦ったらどうなの?」
片目をつむり、少し意地悪な声のトーンで言い放ちました。
そしたら案の定、フェランがこちらを振り向きました。よし。ならば、この後の彼の言葉も予想してみましょう。
(フフ。フェランならきっとこう言うのでしょうね――
『うるせぇ! 仕方ないだろう!』か、
『お、俺だってやるときはやるさ!』とか、
『じゃあ、義姉さんも戦えよ!』
……そんなところでしょう)
このときの私は、いつものようにフェランと軽口を交わすつもりでした。なぜそんな気分だったのか、うまく説明はできません。ただ、この陰鬱な空気を少しでも和らげたかったのかもしれません。
(推しであるエリナ様やレオナール様には、もちろんこんな失礼なことは言えませんし――
アレクシは鋼のメンタルだから、何を言っても動じないからイジリがいがないし。
シュルは逆に繊細だから、冗談で言っても本気で傷ついてしまうかもしれない……。
そう考えると、気軽に言い合えるのは私と同じツッコミ気質のフェランだけなのよね……)
そうして、フェランのツッコミを楽しみに待った。だけど――。
「………………………………………………」
予想に反して、フェランは黙ったままだった。しかも、その視線はギロリと私を睨んでいるように見えて、怖かった。
(……あれ? 何も言わないの?)
戸惑う私から視線を外し、フェランは前を向いたまま言いました。
「……チッ。だいたい、こんな事態になったのは誰のせいだと思っているのかなぁ~~?」
嫌味っぽく言うフェラン。いつもとは違う彼の様子に、私はさらに戸惑った。
「みんな口には出してねぇけどなぁ。誰かさんのせいかわかってるぞ」
「……うっ、い、言われなくてもわかっているわよ……私が本を開かなければこうならなかったって言いたいんでしょう?」
「わかっているだぁ~~? 本当に反省してんのか!?」
「……してるわよ」
思わずぼそりと小さな声で返事してしまいました。その態度が癇に障ったのか、フェランの怒りはさらに強まります。
「だから俺は止めろっつたんだよ! 嫌な予感するっつたのに! それなのに、義姉さんは聞かなかった!」
「おい、止めないかフェラン!」
レオナール様が止めようとしましたが、フェランの怒りはなおも収まらなかった。
「俺だけじゃねぇ……みんなだって、あの時、義姉さんを止めるよう説得してただろう?
全部、義姉さんのせいじゃねぇか!!」
(……返す言葉もない。フェランの言う通りだ……)
全くもってその通りです。
私が好奇心に負けて、呪いの本を開いた。だから、みんながここに閉じ込められた。
私一人ならまだしも、みんなまで巻き込んでしまった。
責任を取れるなら取りたい。でも、どう責任取ればいいのかわからない……。
自責の念に押し潰されそうになった、そのとき――
「待って……」
シュルの声が聞こえた。
「……確かに、本を開いたのはセレスティンだ。だけど、それは本当に彼女の意思だったのかな?」
「? どういうことだよ?」
フェランの怒りが一旦収まり、みんながシュルを見ます。
そして、シュルはいつもの様子で淡々と語ります。
「……あの時のセレスティン、どこかおかしかった。僕が知る限り、セレスティンはレオナールとエリナの言葉には即座に従う人だ。絶対の権力者に命じられた兵士のように……それでも、あの時は違った。彼女はあの二人の言葉さえ聞かなかった」
……うっ。私の推しに対する全肯定の姿勢は、シュルにまで見抜かれていたのですね。
こんな状況というのに、シュルの言葉で恥ずかしくなってきます。
「……まぁ確かに。俺はともかく……兄さんの言葉まで無視したのは……おかしいよな」
シュルの説明に納得いったのか、フェランは先ほどの怒りから随分と落ち着いていきました。
「……セレスティン、どうしてあの時、本を開こうとしたんだ?」
アレクシからの問いに、私は答えます。
「……わからない。あの赤いガーベラを見つめていたら、無性に開きたくなってしまって……」
「……もしかしたら、セレスティンは本を開く前から呪われていたのかもしれない」
「……呪われていた? セレスティン様が?」
エリナ様が、驚いたようにシュルに問い返しました。
「うん。一番最初に本を見つけたのはセレスティンだ。
呪いには、人を魅了する恐ろしい力がある。理性で拒んでも、近づきたくなるような危険な魅力が呪いには秘められているんだ」
「本を見つけた時から、呪いの影響を受けたのかもしれない……そう考えれば、あの時彼女の行動の違和感には辻褄が合う」
(なるほど……確かにシュルの言う通りですね)
私は、あの時の自分の行動にようやく腑に落ちる感覚を覚えました。
「……そうだよな。冷静に見れば、あの時の義姉さんなんか……おかしかった。そうか……呪いか……)
フェランがボソボソと呟き、こちらを向きました。
「悪りぃ。義姉さん。俺、言い過ぎた」
「……いいえ、フェラン、あなたの言ったことは正しいわ。私こそ、ごめんなさい。フェラン、エリナ様、レオナール様、アレクシ、シュル……私が本を開いたばかりに、みんなを巻き込んでしまって……」
私は頭を下げました。
本を開いたのは――呪いのせい。
そう片付けるのは簡単です。
ですが、たとえ、呪いの影響があったとしても、開けたのは、紛れもなく私であり、私自身の意思。この事実には反省しなくてはいけません。
(……せめてもの贖罪として、みんなを絶対に呪いの本の世界から抜け出させないと……たとえ、この身に代えても……)
私は心の中でそう誓いました。
「……今必要なのは、“誰かを責める ”ことではなく、どう脱出するか“知恵を絞ること”だ。このままあてもなく歩いて、本当に森から――この世界から抜け出せるのか?」
アレクシがそう言いました。
「……シュルさん、“呪い”と言っても、結局は魔法の一種ですよね? こういった魔法に関して、何か脱出する方法はありませんでしょうか?」
エリナ様がシュルに尋ねる。
たしかに、魔法に関するエキスパートのシュルなら、こういった呪いのような魔法に関する知識や対処法みたいなことは知っているかもしれないと思う。
(……いえ、流石にシュルでもこの呪いの対処法なんて知らないでしょう……知っていたら、私たちにとっくに教えているはず――)
「うん。このまま真っ直ぐ歩いていけば、多分出口に繋がるよ」
「そうそう。出口に行くよな。流石の魔法の天才児様もお手上げかぁ……………………………………………………………………えっ?」
フェランの言葉が止まります。
おそらく、私だけじゃなく、シュル以外のみんなも引っかかったでしょう。
「……シュル、今何と言ったんだ?」
レオナール様が問う。
「うん。このままずっと真っ直ぐ歩いていけば、出口のところに行くよ」
淡々と当たり前かのような表情でシュルはそう答える。
「こ、根拠は……? い、一応聞くが、勘とかではないよな……?」
鋼メンタルのアレクシでさえ、この時は流石に動揺していました。
「根拠はあるよ。本がセレスティンを吸い込もうとした時、物凄い大きな魔力を感じたんだ……あれを、入口だとするなら、出口も入口と同じくらい大きな魔力があってもおかしくないでしょう?」
シュルはなおも、淡々と語っていました。
「……そして、偶然にも、このまま真っ直ぐの方向に、入口と同じくらい大きな魔力を感じる。だから、出口に繋がる手がかりがあるなら――きっとこの先にあるよ」
「「「「「………………………………………………」」」」」
私含めシュル以外のみんなはしばらく沈黙していた。
「シュル……あなた……」
私は小さく言う。
おそらく、これから言う言葉はみんな共通しているでしょう。ならば、ここは皆さん一緒に言いましょうか。
「「「それを先に言ってよ!!!!!」」」
五人の声が、見事に重なった。
「ごめん。歩いている途中で気づいたんだ。道をそれそうになったら言おうと思って」
「はぁ~~、頼むぜ、シュル。もっと早くに言ってくれたら、義姉さんに怒りをぶつけることもなかったってのによ……」
フェランが頭を抱えます。
かくして私たちは、シュルの言葉を信じ、このまま真っ直ぐ進むことにしたのでした。
そうして、しばらく歩いたときのことでした。
「おい、レオナール、あれって……?」
「……ああ」
それに、最初に気づいたのは、先頭を歩いていたアレクシとレオナール様でした。
「うん? どうしました?」
背の高い三人――アレクシ、レオナール様、フェランが前を塞いでいて、私とエリナ様からは前方がよく見えません。私たちはひょいと横から顔を出し、前を覗き込みました。
すると――前方に、銀色に光り輝く大きな扉が立っているではありませんか。
「おいシュル! これって――」
嬉しそうに振り返るフェランに、シュルは小さく笑みを浮かべます。
「……うん、あれが出口だろうね」
その言葉を聞いた瞬間、居ても立っても居られませんでした。
私たちは一斉に駆け出します。
(……ああ、ようやく出られるわ)
走りながら、安堵が胸いっぱいに広がっていきました。
一時はどうなるかと思っていましたが、脱出できそうで本当によかった。
(……そうだわ。ここから出たら、改めてみんなに巻き込んだことを謝らないと……あっ、謝るといえば、ヴィクトリアさんにも謝らないと……蔵書整理の作業を中断してしまったわ……)
どれほどの時間、この世界にいたのでしょう。
体感では、それなりに長く感じました。
もしかしたらヴィクトリアさんから見れば、私たちは作業を放り出してどこかへ遊びに行ったと思われているかもしれません。
――いえ、呪いの本の世界と現実世界では、時間の流れが違うという可能性もあります。戻ってみなければわからないことですが。
とにかく、今すぐ現実世界へ。
あの何気ない日常へ戻りたい――それだけで頭がいっぱいでした。
そして、ついに扉の前へとたどり着きました。
「シュル……この扉を開けば、戻れるのか?」
レオナール様が念のためシュルに確認なさいます。
コクンと頷くシュル。それを見たレオナール様はすぐさまドアノブを回しました。
――ガチャガチャ!
「……むっ、鍵がかかっているな……」
「鍵ですか? この辺りにありませんでしょうか?」
エリナ様が周囲を見回しました。
しかし、辺りには中央の光り輝く扉以外、何もありません。ただ灰色の地面が広がるばかりです。
「はぁ~~……ここまで来て、今度は“鍵探し”かよ? 勘弁してくれだぜ」
フェランのぼやきに、私も全面的に同意です。
目の前に出口があるのに、開けられないなんて。
「レオナール……どいてくれ。俺が試してみる」
するとアレクシが前に出て、ラグビー選手のように身構えます。
「……鍵がなければ力づくだ!」
扉に体当たりを仕掛けようとした、その瞬間――
「そこの脳筋の赤髪よ、やめとけだワン。 その扉は力や魔法で開けられるもんじゃないワン」
突如、聞き覚えのない声が届きました。
「誰だ?」
アレクシが即座に警戒します。
振り返ると、私たちの後方の茂みから、全身を黒い毛で覆われた、犬もしくは狼みたいな獣が現れました。
「「「ひぃいいいいい、で、出た――っ!!!」」」
私、エリナ様、フェランの悲鳴が見事に重なります。
「初めましてだワン。オイラの名は――ジェヴォーダンというワン。よくぞここまで来たワン」
「「「ひぃいいいいい、しゃ、喋った――っ!!!」」」
犬か狼のような獣が私たちと同じヒト語を喋っている。その事実に、またもや、私、エリナ様、フェランの悲鳴が重なりました。
「落ち着けだワン! オイラは……この世界の御使いみたいな存在だワン。君たちに危害を加える気はないだワン」
見た目に反してどことなく、砕けた口調のジェヴォーダン。
敵意はなさそうな様子に、私たちは警戒しつつも、ひとまず、彼? 彼女? の声に傾けることにしました。
「……聞いてくれだワン。その扉を開ければ、確かにこの世界に出られるだワン」
「だが、鍵がかかっていたぞ?」
アレクシの問いにジェヴォーダンはコクンと頷きます。
「うむ。あの扉には、君たちが想像しているような物理的な扉の鍵が存在しないだワン。扉を開けるには、“ある条件を満たす必要がある”……強いて言えば、それが鍵となるだワン」
意味深に告げるジェヴォーダンに、場の空気が緊張で張りつめます。
「……なんだよ? その条件って?」
フェランが恐る恐る尋ねます。
「……」
突然、沈黙するジェヴォーダン。その間に、さらに緊張が高まります。
「……その条件とは……」
ジェヴォーダンはやがて、ゆっくりとそしてはっきりと鍵となる条件を告げました。
「君たち六人のうち、誰か一人がこの世界に残ること。そうすれば、残りの五人はこの世界から抜け出ることができるだろう」
究極の選択に、セレスティンたちは――。
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