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ネクロフィリカ 3

 私が小学校高学年。年は確か十二の御話です。その頃は身体の発育も儘成らない不完全な女でしたので、当然の如く精神・美学等は未熟そのものでした。というのも、適当に廃退したものを見ては、意味も良くわからないままにそれを好み、収集しておりまして、女郎蜘蛛を沢山ビン詰めにして飾って置いたり、猫の屍骸が腐って行くのを観察したり。ともかく、そのイレギュラーな様は良く人目につくようで、クラスメイトどころか御近所からも気味悪がられておりました。勿論父母にも酷く叱られましたが、その頃の私には意味がわからず、その上反抗期でしたから、反省していない振りをして、ひたすら廃墟を見て回ったり、人形の首を挿げ替えたりして遊んでいるうちに、とうとう両親にも愛想を尽かされてしまう始末でした。そして、親が関与して来ないと何処かで知ったのでしょう、それまで学校では悪い意味で一目置かれていただけでしたが、気が付けば靴箱に靴が無かったり、ノートが破かれていたり、登校すると机が無かったりと、陰湿ないじめを受けるようになったのです。確かに、互いに同調しながら生きていく人間に対し、私は余りに異端でありました。そもそもまだ十二歳ですのに、未熟な理論を唱えながら廃退こそ美であると語りましても、分かって頂ける筈はありませんし、人間の社会合理主義からして、指向性の違う者は排除されるべきなのでしょう。即ち、いじめを受けるのは目に見えた結果だったのです。当時の私も何と無く、普通の感性を御持ちの方とは共存出来ない事には気が付いていて、やや呆れ気味な、諦めの様な気持ちがあったので、特に反抗もせずにその行為を受けておりました。しかしながら、私がこの話を持ち出したのは、同情を惹いて御涙頂戴と言う為ではありません。私にとっていじめは、また一つ自身の特殊な感性に気が付く大きな切欠に成りましたと同時に、詳細は後述しますが、いじめそのものが非常に喜ばしい事であった為、寧ろ感謝している位なのです。つまりこれは、どちらかと言うと自慢話に成ってしまいます。

 その特殊な感性というのが被虐欲、つまりマゾヒズムだったのですが、私なりの見解としては、それが特殊なものだとはどうしても思えないのです。考えて見て下さい。クラスメイトとの絆が、いじめに拠って保たれていただけの事なのです。つまり、いじめられる子というポジション、即ち私の立ち居地、居場所が、別段何もしなくとも常に確保されていたのです。御蔭で安心して学校に通う事が出来ましたし、慣れてしまえばそれは一連の、ただのコミュニケーションに過ぎないのです。例えば、給食に雑巾を投げ込まれる。私が泣き出す。いじめっ子が喜ぶ。この流れは相互理解の上成り立っているのです。ここで私が泣くのも、計算上での事で、反抗してしまえば亀裂が生じる事はわかっておりました。言うなれば私をいじめる子達は良き友人でした。そう思うと、本当にいじめがコミュニケーションの一つと成ってしまい、いじめによって私は喜怒哀楽を示すのです。気分が良ければ大人しくなりますし、機嫌が悪ければ泣き出してしまう、それだけの事でした。そうして、私が本当に何も反抗しないで、平気な顔をしていると、それが面白く無かったのでしょうか、いじめは次第にエスカレートして行きました。先程提示した例の様に、精神的なものには飽きてしまったのか、足を引っ掛けて転ばせる、徐に殴られる、髪を引っ張る、刃物で切り付けられた事も有ります。しかし、言うまでも無いとは思いますが、私はそれを望んでおりましたので、寧ろよろこんで我が身に痣と傷を刻んでいきました。

 更に、そうしている内に、私の身体はより強いいじめを要求するように成って来たのです。精神的な屈辱は殆ど全て慣れてしまいましたので、精神的なものよりも言葉の暴力、言葉の暴力よりも肉体的な暴力を、暴力ならば素手では飽き足らず武器を、鈍器よりは刃物を、望めるならば刃物よりは銃器を、銃器よりは爆発物を。一時的なものよりは継続的なものを、炎で炙られる事を、硫酸に溶かされる事を、ゆっくりと咀嚼するような刺激を、求めました。それらはまるで、朝日の中で自然と覚醒し、小鳥のさえずりが聞こえて来た時の様な、ウットリとしてしまう程の恍惚とした、甘美な快楽。そう、快楽でした。私は多くのいじめを受けて来ましたが、それらを全て受け入れる事によって、心の中が浄化されていくような感覚を覚えておりました。自ら動く事の無い、受動的な女こそ、清楚可憐な心の美しさを持つのです。内面の美しさは外見にも滲み出て来るでしょう。事実、私はドンドン美しくなっていたのです。肌はより透き通った白になり、髪は艶を増していきました。それにより一層嫉妬の感情を燃やした相手は、激しさを増して私をいじめにかかります。それは再び快楽と安堵を生みます。素晴らしき良循環。これが快楽以外の何で有りましょうか、まさにいじめこそ私を幸福に導いてくれる、一番効率的かつ効果的な手段だったのです。

 しかし、有る時私は判断を誤ってしまいました。それは太陽の照りが強く、目が焼けてしまいそうな程燃え盛っている夏の日。私はより強い快楽を求めるあまり、私を良くいじめて下さる友人に、思い切って鈍器で殴って欲しいと懇願したのです。御願いをする事なんて初めてでしたので、出来るだけ必死に、狂った様に地面に土下座をしながら、頭で地面を擦って、これで殴って欲しいと、自らの椅子を引っ張って来ては、無理やりその子の手に椅子を持たせ、その前に跪いて、目を輝かせてずっと待っておりました。戸惑う友人の椅子を持つ手を取って、大丈夫だからと、そのまま二度三度自身を殴っては、また行儀良く跪いて、その凶器が思い切り振り下ろされるのを、ずっと待っておりました。私はきっと殴ってくれると信じていました。それが私達の友情であり、相互理解の唯一の方法でしたから。しかし、そう成りませんでした。友人は何度も泣きながら謝り、走って逃げてしまったのです。私は呆然と成って、徐々に廊下の向こうへ消えて行く友人を眺めながら、涙を流し、深く深く反省致しました。考えてみれば当たり前の事でして、今まで在った筈の受動的故の内面的な美しさが、欲望に駆られ、つい見せてしまった積極性の所為で、完全に崩壊してしまったのです。友は、美しさを無くした私に愛想を尽かしてしまったに違いありませんでした。

 そんな事があってから、私へのいじめはピタリと止んでしまい、別の対象へと移ってしまったのです。私は大きな失望と、それまであった居場所が無くなってしまった為、学校へは行かなくなりました。しかしそれも卒業間近の事でしたので、スンナリと中学校へ上がる事が出来ました。そして、またいじめられるかもしれないと、希望を抱いてはソワソワとしておりました。



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