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ネクロフィリカ 1

『ネクロフィリカ』


 告白します。私は人間の屍体が好きです。それも生々しい死体では無く、痛々しい屍体。鋭く損壊した四肢が、安らかに腐乱した黄土色の肌が、淫らに露出した臓器が、好きなのです。ここでは判り易く損壊や腐乱という言葉を使用しておりますが、私にはこの損壊や腐乱こそが新たな美の形成だと思っています。華は散るから美しいのでは無く、散った華こそ美しいのです。常に同じ形を保ち続ける事が出来る筈ありません。元々一般的に美しいものが、徐々に輝きを失って来て、終わりが見えた頃合に、元の美しさの残骸とその後の痛々しさを同時に兼ね備えた、言わば全く別の存在に成る時。また輝きを失い、終わりを遂げたものが、元々の姿との関連性を見失い、新たな形が誕生した時。そこに在るものは終を迎えた塵ではなくて、ノスタルジーをも感じる、残骸故の神々しさを備えた芸術なのです。

 醜さを視ずに美しさを語る事は出来ません。世間一般で言う純粋な美しさの背景に常に有る、純粋な醜さとでも云いましょうか、美しさの根本にある醜さこそが、本来の美で在るべきなのです。それを云う成ればまた逆もしかりですが、私の性質位置は此方側でして、主観を一般的に云い換えているだけで、論というものは本来常々この様なものでしょう。それに、私と性質が同じ方が居ない筈ありません。其方側が居るならば、此方側も居る筈なのです。それこそ美が有れば醜が有る様に。ともかく、デカダンスこそ至高の美。廃退こそ醜の創造的破壊で有り、また美の破壊的創造なのです。

 生きた人間というものをよく観察致しますと、なんだかとても気味が悪いのです。胴体はただの肉の塊ですのに、ニュウと長く伸びたグロテスクな形状の両腕と腿と脛とでアンバランスな両足が、取ってつけたように生えて居るではありませんか。頭に関しては、肉塊に寄生した巨大な茸に長い黴が生えてる様で、吐き気がするのです。右と左で異様な程のシンメトリーも不気味ですし、またそれらが当たり前の様に考えている精神にすら悪寒がします。しかも其れらが雑音を発しながらざわめき、街中を闊歩し、フラフラと蠢く。此の世はなんと恐ろしい所でしょう。人混みは人塵と言い換えた方が良いに違い有りません。勿論私自身の容姿すらもさながら、人型は何処かで気味の悪い感じを受けておりましたので、勿論御人形等も、見ただけで背筋がゾッと震える程でした。


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