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ヴァニタス  作者: 都築
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優しさ

気づけば小学生に上がり、ランドセルを背負って学校に通うようになった。

元々人見知りではあったものの通っていた保育園が近かったこともあり友達が通っていて、友人関係にそこまで悩まされることもなかった。

変に空気を読む癖がついていること、上手く他人に頼ることができないことを除いては。

教科書や消しゴムを忘れた時「見せて」と言えなかった。「貸して」とも言えなかった。

失敗した姿、間違った姿を見せてはいけないのではないかと思ってしまった。

気づいた隣の席の子が「いいよ」と見せてくれても上手く「ありがとう」とも言えなかった。

自分の気持ちを話す練習をこれまでしていなかったせいか、そのつけが小学生になって増えてきたように感じていた。


母親の「大人になって字が汚いのは情けない」という理由で習字に週1回通うことになった。毎週火曜日。

幼い頃は世界の正しさは両親しかいなかった。だから何の意義も立てず通い出した。

小学生のとき仲良くなった子や、Mちゃんも通っていた。

日々を淡々と過ごしながらも長期休みに入るとやっぱり私は親戚、祖父母の家に預けられることばかりだった。

下手をすれば1ヶ月ぶりに両親に会うこともあった。夏休みは会えなかった計算になる。

歳を重ねればわかることも、感じることも増えてきて、私は自分の感情云々よりも両親には笑顔でいて欲しいと思うようになった。

いい子でいるべきだし、周りの人を元気にさせてあげたいと思うようになった。

その頃幼いながらに私の世界にはゲーム、漫画、音楽、テレビという娯楽があった。

むしろそれで自分を満たして誤魔化すことしかできなかった。


テレビでは芸人と呼ばれる人たちがバラエティ番組で漫才を繰り広げていて、ワイプで抜かれている人たちが幸せそうに笑っていた。ずっと笑顔だった。

それを見て私もこういう人たちになれば両親はずっと笑っていてくれるかな、少しでも気持ちが楽になるのかなと思うようになり小学2年の頃はお笑い芸人が将来の夢だった。

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