経歴と事実
自分の人生を語らなくてはならぬ場面がこれまで何回あって、これから何回あるんだろうか。
傷物だと思われることは嫌で、大変だねって簡単な言葉を与えられるとお前なんかに何がわかるんだよって安っぽいう台詞を吐きそうになる。
それでも事実を言葉に落としていくとき、涙を流さなくなっただけマシになったんだと思う。
これはフィクションみたいな、ノンフィクションで。
誰かからすれば同情されたり、反発されるような話かもしれない。
けど、それを君の視点から、君の言葉で綴ればいいのにって言われたから。
私がこの世を生きた事実も形跡も残したくはないけど、唯一褒められた「書く」ことで取り戻せない自己肯定感を此処に置いていこうと思った。
30年前の12月21日に私は初めて声を出したらしい。
勿論その時の記憶なんてありもしない。
1番古い記憶として思い出してしまうのは、保育園児だった頃みんなが去った部屋に園長先生と二人で居た場面だった。
友達や同級生たちが親が迎えに来て去っていく姿を眺めながら、本当に迎えにくるんだろうか、私は今日親にこのまま捨てられるんじゃないかと日々不安に駆られながら平気なフリをしていたあの時のこと。いまだに夢に見る。
それに比べたら30年生きてきて恋人もパートナーも居ない孤独という苦しみに耐えきれてしまう。
いや、そんな経験があるから下手に強くなりすぎたのかもしれないと思う。
強がるしかなかった、空気を読むしかなかった子供時代の話なんてしても仕方ないって思う。
でも今の自分を形成してきた全ての出来事を受け止めなきゃいけないんだろうなと分かり始めてきた。
そのせいで今もずっと呪縛が近くにある。自由になったっていいのに。
家族なんて、言葉と血だけのつながりが、苦しめてくれる、私が死ぬまでずっと。