一家団欒
施設の中に入ると、ちょうどレクリエーションルームから出てきた若いスタッフと目が合った。
こちらから声をかける前に、彼女は部屋の方を振り返って大きな声を出す。
「燈子さ〜ん、お迎えが来ましたよぉ」
すると部屋の中からドッと笑い声が起こり、しばらくして母が顔を出した。
「島ちゃん、その言い方は私達年寄りには洒落にならないわよ。ちゃんと息子が迎えに来たって言わないと」
しかし注意されたスタッフはピンと来ないらしく、きょとんとした顔をしている。
「え? 私何か変な事言いましたぁ?」
「お迎えが来るって、死期が近いって意味もあるから」
「えっ!? あっ!? や、私、そんな意味じゃなくて・・・す、すみません」
「うん、わかってるわ。でも今度から気をつけた方がいいわよ」
「はい、肝に銘じます!」
母は頷くと私の方にやって来た。
「お待たせ。さあ、帰りましょう。早く陽菜の顔が見たいわ」
「うん」
どうやら今日の母は調子がいいらしい。
「じゃあ失礼します。どうもお世話になりました」
「島ちゃん、またね」
「はい、お気をつけて」
玄関の外まで見送りに出て来たスタッフに車の中から笑顔で手を振っていた母は、角を曲がると呆れたように溜息を吐いた。
「あの子、悪い子じゃないんだけど、ちょっと天然で、言葉の選び方に問題があるのよねぇ」
「さっきのは言葉足らずだっただけで、間違いじゃないだろう?」
「そうだけど。この間は出入りの業者さんの事を売人って言って、他のスタッフから叱られてたわ」
思わずブハッと吹き出す。
「それは色々とヤバいね」
「でしょう? 今みたいに笑って許されてるうちはいいけど、時と場合によっては・・・ねぇ?」
「そうだね。ところで、今日は何をして過ごしたの?」
「今日はね、ボール渡しゲームをやったの」
「ボール渡しゲーム?」
「二人一組で板段ボールを持って、隣の組にボールを渡してゴールを目指すんだけど、その板に穴が空いてるから難しいのよ。で、みんなが慣れたら今度はチームに別れて、どっちが早くゴールできるか競うの」
「へえ、楽しそうだね」
「もう大騒ぎよ。上手くできないくせに、あーだこーだ指図する人が多くて・・・」
文句を言いながらも、母はレクリエーションが楽しくて仕方ないらしい。
スタッフ手作りの遊び道具は脳も手も使うので、認知症対策に有効と言われている。
ゲームに勝つためには協調性も必要だし、勝ちたいという競争心も刺激になっているのだろう。友達も増え、笑顔が戻ったのはいい傾向だ。
「なんだかんだ言って楽しそうじゃん。あの施設にして良かったろ?」
「そうね。姥捨山じゃなくて良かったわ」
こんな風に冗談を交えながら、母と普通の会話ができるのが嬉しい。
だからこそ、姉ちゃんの話をするのが怖くもある。
(とりあえず家に戻ってから、話をしよう)
****
「ただいま」
家に帰ると娘の陽菜が出迎えてくれた。
「お父さん、お婆ちゃん、お帰り〜」
「陽菜ちゃん、ただいま。変わりなかった?」
「うん。あ、荷物持つね」
「ありがとう」
祖母が自分を認識してくれているとわかり、少し固かった陽菜の表情がパッと喜色を帯びる。母も数日ぶりに孫に会えて嬉しそうだ。
「お帰りなさい。運転疲れたでしょう? 先にお風呂にする?」
「ああ、そうさせてもらう」
妻の美冬から労いの言葉をかけられてホッとする。やはり家はいい。
湯船に浸かると「あ゛〜」とオヤジ臭い声が出た。
いやぁ、実際どこに出しても恥ずかしい中年の親父だけどね? 昔に比べてお腹に脂肪がついてきたし。
しかし陽菜が嫌がるから気をつけないと。一人娘に嫌われたくない。
(さて、どう話したもんか・・・)
迎えに行くのは約束したから決定事項だ。
姉ちゃんが見つかって明日迎えに行くことになった、ここまでは良い。
(問題は、姉ちゃんが40年前の姿のままって事なんだよなぁ)
タイムスリップなんて、そんな事現実に起こるか?
本当に姉ちゃん本人か?
薫の話だけで証拠写真もないから、だんだんと疑わしくなってきた。
だけど薫が嘘をついているようにも聞こえなかったし、第一そんな事をする理由がない。
(あいつも今や村長だ。失言や無責任な行動が身を滅ぼす事になるから、こんなタチの悪い冗談は言わないと思うけど・・・)
悩んだって答えは出ない。とりあえず常識の範囲で話そう。
ばしゃんっと顔を洗って風呂場を後にした。
****
母の調子が良いこともあり、数日ぶりの四人揃っての夕食は和やかだった。
陽菜が友達とのあれこれを話せば、母も負けじと施設での様子を話す。
「心配してたけど、お婆ちゃんが楽しそうで良かった」
「そうね、笑いが絶えないわ。さっきも夏生が迎えにきた時ね、若いスタッフの子が『澄子さ〜ん、お迎えが来ましたよぉ〜』って大声で言ったもんだから、そこにいた人みんな大爆笑」
「え、スタッフがそう言ったの? それはギリギリアウトじゃない?」
「お、陽菜はわかるのか。ちゃんと国語の勉強してるな。偉いぞ」
「常識でしょ。この程度で褒められてもねぇ・・・」
褒めたのに呆れたように返された。
(姉ちゃんがタイムスリップしたって言ったら、もっと冷たい目で見られそうだな・・・。うん、やっぱり自分の目で確かめるまで黙っとこう)
ん゛う゛んっ、と咳払いをして注目を集める。
「何? なんか話があるの?」
「ああ。実は今日、石長村で村長をしている幼馴染から連絡があった。・・・母さん、姉ちゃんが見つかったって」
「・・・!?」
美冬と陽菜はぽかんと口を開けた状態でお互いの顔を見合わせた。
母は目を一瞬目を見開いて固まったけど、だんだんと体の力が抜けていったのか、茶碗を持つ手がだんだんと下がっていき、最終的に箸がテーブルの上に転げ落ちた。
「それって・・・」
美冬が恐る恐る声をかけた事で、全員が俺と同じ誤解をしている事に気づく。
「あ、生きてる。薫が電話の向こうで号泣してた」
「・・・薫って誰?」
美冬の声が若干低い。
「石長村の村長だよ。俺と同じ50歳のおっさん」
変に誤解されると面倒なので、淡々と事実を述べる。
「悠里・・・」
母はボロボロと涙を流し、陽菜が駆け寄って背中を摩っている。
「い・・・今・・・どこに?」
「石長村にいる」
「今まで、どこでどうしてたの?」
「いや、そこまでは聞けなかった。でも元気みたいだよ」
「やっと帰ってきたのに家が無くなって・・・可哀想に。薫君が一緒にいるの?」
「いや、薫も仕事で忙しいらしくて。ほら、あいつ村長だからさ。姉ちゃんの事は、信頼できる人に頼んでくれたみたい」
「信頼できる人って?」
「薫の息子の担任の、佐倉先生って言ってた」
「その人の連絡先は聞いた?」
「聞いたけど、個人情報だから教えてもらえなかった」
「何やってるのよ、もう!」
「仕方ないだろう。その代わり、俺の連絡先を教えても良いって言ってあるから」
ちょっと落ち着いて、という前に母は勢いよく立ち上がった。
「まどろっこしい! 夏生、車出して!」
「今からだと向こうに着くのは10時近い。普通に迷惑だよ。それに夜の山道は危険だ。出張で疲れてるのに、また長距離運転させる気? 事故るよ」
「だって! 悠里が帰ってきたのに・・・」
「母さん、気持ちはわかるけど落ち着いて。明日、必ず連れて行くから。薫が役場の会議室使わせてくれるって。二人で姉ちゃんを迎えに行こう」
そう言うと母は渋々と頷いて座った。ホッとしたのも束の間。
「ちょっと、二人で行く気? 私とお母さんは連れて行ってくれないの?」
今度は陽菜に噛みつかれた。
「お父さんの生まれ故郷なんでしょう? どんな所か興味ある」
「山奥の小さな村だから、何もないよ」
「そこで一生暮らすわけじゃないから構わないわよ。ねえ、いいでしょう?」
「ダメだ。明日は村祭りだから」
「は? 何それ? 意味わかんないだけど?」
「姉ちゃんが行方不明になったのは、祭りの最中なんだよ。神隠しっていうのもあながち嘘じゃないかもしれない。未だに説明のつかない不可解な事が多すぎる。他の時期ならともかく、今は絶対にダメだ!」
そう言うと陽菜は顔を膨らませた。
「お母さんも陽菜も危険な目に合わせたくないんだよ。特に陽菜、お前はすっごく可愛いんだから、神様に目をつけられるかもしれない。石長村の神様は面食いだから」
「・・・何それ、馬っ鹿みたい」
陽菜は呆れた顔でそう吐き捨てると、顔を背けた。・・・悲しい。
「でもお義母さんの体調を考えると、皆で行った方がよくない? 何かあった時にすぐ対処できるし、私も運転変われるし」
それまで黙って聞いていた美冬が参戦してきた。
「そうだよ。今日は大丈夫だけど、明日は分からないでしょう? お父さん一人でお婆ちゃんのお世話できる? 公共の場所ではトイレとか一緒についてあげられないじゃん」
「・・・・・・」
(確かに、母の認知症状態になった時は心配だ。でもなぁ・・・)
黙ってると美冬が畳み掛けてくる。
「私達だってお姉さんにご挨拶したいわ。それに黒木家のお墓って石長村にあるんでしょう? ちゃんとお墓参りしないと。ず〜っと気になってたのよね」
「・・・・・・」
それは自分でも猛省してる。父にもご先祖様にも、申し訳ないと思ってるさ。
でも・・・こんな事でもなければ、帰るつもりはなかった。
石長村は自分にとって懐かしい故郷であると同時に、恐ろしい場所だから。
あの日、姉ちゃんは山に取り込まれて、向こう側に行ったんだ。
父が亡くなった後、そんな考えがストンと自分の中に入ってきた。
どうしてそう思ったのか、向こう側が何なのか、自分でもうまく説明はできないけれど、もしかするとあれは天啓だったのだろうか?
「あと佐倉先生だっけ? その方へのお礼の準備とかあるでしょう? 謝礼金だけなんてダメよ。菓子折り持っていかなきゃ」
束の間、自分の世界に入ってしまったが、美冬の声に現実に引き戻される。
「・・・うん、わかってるよ」
「本当に? お父さん、どこでお菓子買うつもり?」
「え? 行く途中に有名な和菓子屋あるだろう。そこで適当に・・・」
「ほら〜、やっぱりダメじゃん。高ければいいってもんじゃ無いんだからね」
「そうね。今の季節、日持ちしない物はやめた方がいいわね」
妻と娘に色々とダメ出しされ、気がついたら家族全員で石長村に行く事が決定した。
少々情けないが、父という反面教師がいた為、俺は亭主関白にならないように努めてる。だから多数決で負けてしまった。
「お婆ちゃん、良かったね。みんなで悠里伯母さんに会いに行こうね」
「うん。こんな日が来るなんて・・・本当に夢みたい」
母がそう言って涙を拭う。
「お義母さん、明日に備えて早く休みましょうか」
「そうね。でも服は決めておきたいわ」
「私、手伝うよ。楽な服だけど、お洒落に見えるコーデにしよう」
三人が楽しそうに連れ立って部屋を出て行き、俺は一人残された。
(あれに姉ちゃんが加わったら、口で勝てる自信ないなぁ)
それでもいい。
ようやく姉ちゃんに謝れる。
そうしたら、40年間抱えてきた罪悪感は、少しは軽くなるだろうか?