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後悔先に立たず

「遠い所わざわざすみませんでした。これからも引き続き宜しくお願いします」

「はい、勿論です。会長にもお身体を労わるようにお伝え下さい。それでは失礼します」


 車に乗り込み、携帯の着信履歴を確認した黒木夏生は、ディスプレイに表示された幼馴染の名前を見て顔を顰めた。

 

(薫? 一体何の用だ?)


 幼馴染の薫とは高校卒業してから疎遠になっていたが、数年前、商工会の集まりで偶然再会した。

 

『夏生! 久しぶりだな〜。元気してたか? 今、何してるんだ?』

『銀行の営業だよ。それよりお前、本当に村長になったんだな。大した奴だ』

『まあな、俺らの世代が踏ん張らなきゃ、村の存続は厳しいからなぁ』

『親父さん達は元気か?』

『ああ、二人とも元気だよ。親父は今日も山に行ってる。燈子おばさんは?』

『元気だよ。妻から甘やかしすぎだって言われるくらい、娘を猫可愛がりしてる』

『そうか。お、コップが空じゃないか。ビールでいいか? それとも焼酎?』

『いや、俺は飲まないから』

『あ〜、そっか。そうだな。・・・娘かぁ、可愛いだろうなぁ。俺のとこは息子だ。写真見るか?』


 そんな風にお互いの近況を話して連絡先を交換したが、それっきり。

 懐かしさはあったけれど、同時に苦い思い出を共有しているから、積極的に会おうとは思わなかった。


(なのに、何故今更?)


 考えても仕方がない。一つため息を吐いて、電話をかける。2回コールしただけで薫の明るい声が聞こえた。


「もしもし、夏生。久しぶり」

「ああ、久しぶり。さっきは電話に出れなくて悪かったな」

「いや、こっちこそ仕事中にすまない。今、話せるか?」

「おお、これから帰るところだ。何かあったのか?」

「ああ、何から話せばいいか。・・・落ち着いて聞いてくれ。悠里ちゃんが見つかった」


 一瞬、時が止まった。

 ドクン、ドクンと自分の心臓が音を立て、息苦しくなる。


「・・・遺骨が、見つかったのか? どこで?」


 姉の悠里が行方不明になって40年。

 とっくの昔に死んでいるだろう、と諦めてはいたが、やはり現実を突きつけられると辛い。

 

「そうじゃない、生きてる。昔と全然変わってない」

「・・・生きてる? じゃあ今まで何処にいたんだ!?」

「いや、あのな・・・信じられないと思うが、悠里ちゃんはタイムスリップしたらしい」

「はあっ!? ふざけてるのか!?」


 思わず声が大きくなる。


「ふざけてない。落ち着けって。まあ、本人に会ってないから、そんな反応になるのは仕方ないか・・・。あのな、悠里ちゃん、全然、歳取ってない。15歳の姿のままだ」

「・・・嘘だろ。そんなに俺を揶揄って面白いか?」

「他の事はともかく、悠里ちゃんの事で揶揄うわけないだろう!」

「タイムスリップだと!? そんな話、信じられるか!」


 電話の向こうで、薫が大きくため息をついた。


「写真でもとっておけばよかったが、泣いてしまって余裕なくてな。夏生、悠里ちゃん、生きてたぞ。・・・よかっだなぁ」


 だんだんと薫の声が涙声になり、ズビッと鼻水を啜る音がした。演技とも思えない。


「本当、なのか? 姉ちゃん、そこにいるのか?」

「いや、今日は俺も仕事でバタバタしててな、佐倉先生・・・息子の担任に保護してもらってる。お前と連絡ついたら、知らせる事になってるんだ」

「そうか。姉ちゃん、どんな様子だ? 元気なのか?」

「ああ、元気だったし、気丈に振る舞ってたけど、すごく不安だと思う。家は更地になってるし、親父さんは亡くなってるし・・・。あ、勝手に喋ってごめんな。家族の事を聞かれたから、つい」

「いいよ、事実だし、村人なら誰でも知ってる事だ」


 中学を卒業してから、一度も村に足を踏み入れていない。懐かしい生まれ故郷ではあるが、もはやあそこに帰る場所はないのだ。


「なあ、夏生。急な話で悪いが、悠里ちゃんを迎えに来てもらえないか?」


 そう言われて、天を仰ぐ。


「・・・無理だ。今、出張にいるんだ」

「高速使えば、3時間位で着くだろう?」

「こっちも色々と予定があるんだよ。これから支社に寄らなきゃならんし、母親の迎えもあるんだ」

「おばさんとは同居してるんじゃなかったか?」

「そうなんだが、ちょっと前から軽い認知症になってな。妻も仕事があるし、一人じゃ不安だから平日はショートステイを利用している」

「そうか、大変だな」

「母の世話をしてから迎えに行くとなると、そっちに着くのは9時過ぎだ。長距離運転で、夜の山道は事故を起こしかねない」

「・・・」


 薫が困っている様子が手に取るようにわかるが、俺だって困ってる。


「悪い。明日必ず迎えに行くから、今夜一晩だけ、姉ちゃんをお願いできないか?」

「そう言われても、うちにそんな余裕ないし・・・。ダメ元で佐倉先生にお願いしてみる」

「助かる。必ずお礼はするから、宜しく言っておいてくれ。明日、何処に迎えに行けばいい?」

「役場の第2会議室を空けておく。ただ祭りだから、人は多いと思うぞ」

「わかった。だがどう頑張ってもそっちに着くのは昼過ぎだ。母も連れて行く事になるから、時間がかかる」

「そうか、わかった。俺も立ち会えたらいいんだが、恐らく明日は忙しくて無理だと思う。いつでも連絡してもらって構わない」

「ああ。その佐倉先生の連絡先を教えてもらえないか?」

「う〜ん、個人情報だから、本人の承諾なしには難しいな」

「あ〜、そうだな。じゃあ、もし先方から聞かれたら、俺の連絡先を教えて構わないから」

「わかった。じゃあ、明日な」

「ああ、ありがとう」


 電話を切って、ふ〜っと大きなため息を吐き、ハンドルに持たれ掛かった。


「タイムスリップって・・・何だよ、それ。姉ちゃん」


 俺が、俺達が、今までどんな気持ちでいたか、どれだけ苦しんだか、姉ちゃんはきっと想像もできないだろう。


(でもこれが神様からの罰ならば、原因はきっと俺だろうな)


****


 40年前。

 花嫁選びの神楽舞の最中に、夏生の頭に飾られた芙蓉が濃いピンク色に染まった。


「花嫁は黒木夏生に決まりました!」


 割れんばかりの拍手と笑い声。


(くそっ! くそっ! 何で俺が!?)


 神楽舞では他の男子も化粧していたので、まだ我慢できた。

 絶対に花嫁に選ばれたくなかったので、できるだけ無愛想にしていたのに。


 乱暴に神楽衣装を脱いでランニングと短パン姿になり、扇風機の前を陣取っていると、祭り実行委員の人が花嫁衣装を持ってきた。


「おめでとうございます。1時間後に花嫁のお迎えに上がりますので、用意をお願いします」


 白、淡い桃色、濃いピンク。

 鮮やかな芙蓉の刺繍が施された花嫁衣装を手渡され、手が震えた。

 高価な物なので、さっさと母親に預ける。


(あれを着て、村中の晒し者になるのか? 冗談じゃない!)


 小さい頃から、夏生は女の子みたいに可愛いと言われ続けていた。

 滑らかで白い肌、クリクリの大きな瞳、長い睫毛だから、仕方ないのだけれど。

 姉も似た顔立ちをしているのに、注目されるのは自分だった。


 普段から女みたいと揶揄われているのに、花嫁役なんかしたら一生ネタにされるだろう。


(思春期の男子に女装させて喜ぶなんて、この村は腐ってる!)


 そんな事を考えていると、母に呼ばれた。


「夏生、化粧してやるからいらっしゃい」

「嫌だ、花嫁衣装なんて着ない!」

「何言ってるの!? 花嫁の選ばれたんだから役目をこなさないと」

「嫌だ! 絶対にみんなに馬鹿にされる! 何で俺だけ!?」

「誰も馬鹿になんてしないわよ」

「お母さんは分かってない!」

「小さい子供じゃあるまいし、駄々こねないで!」

「嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ!」


 卓袱台に乗ってる新聞を払いのけ、畳まれていた洗濯物を投げ散らかし、最終的には畳に寝転がってジタバタと暴れ回った。


「いい加減にしなさい!」


 怒った母が、俺の手を掴んで無理矢理起こしたけれど、村人達から指さされて笑われる自分を想像したら、一気に気分が悪くなって胃の中の物が逆流した。


「ッオエェ」

「キャァ、ちょっと悠里ぃ! タオルと雑巾持ってきて! 夏生が吐いた! 夏生、大丈夫?」

「気持ち悪い。頭がガンガンする」


 嘘はついてない。吐いたから口の中が胃液で気持ち悪かったし。気分は最悪だった。


 俺は布団に寝かされた。


「夏生が癇癪を起こしたのは、熱のせいかしら?」

「違うんじゃない?」


 姉ちゃんは母の言葉に同意せず、呆れたように視線を寄越した。

 多分、姉ちゃんには俺が仮病だってことがバレてるっぽい。

 母は壁にかかった時計を見て、困った顔になった。


「もう時間もない。悠里、あんた夏生の代わりに花嫁役をやりなさい」

「え? 私は別にいいけど、勝手に変わっても大丈夫?」

「こんな状態だから仕方ないでしょう。それに顔立ちは似てるから、白粉塗って黙ってれば、遠目からじゃわからないわよ。ほら、時間がないから急いで」


 母は姉ちゃんの背中を押して、部屋から出ていった。


「夏生、あんたは大人しく寝てなさい。祭りを見に行くのも禁止。分かったわね」


 そう捨て台詞を残して。


 それから暫くして、支度を終えた姉ちゃんが顔を見せた。

 真っ白な白粉を塗り、目尻と唇に朱をさし、花嫁衣装を着た姉ちゃんは、いつもと違って輝いて見えた。


「どう? 似合う?」

「うん、綺麗」

「そう? ありがとう。じゃあ、行ってくるね」


 それが、姉ちゃんと交わした最後の言葉。


 母に見張られて祭りを見に行くことも叶わず、布団の中で退屈を持て余していたら、祭りの実行委員が慌てふためいてやって来た。


「すいません! 夏生君は帰ってませんか?」

「は? どうしたんですか?」

「それが・・・奉納舞が終わっても花嫁が出て来なくて、社を開けたらもぬけの空だったんですわ。供物も一緒になくなってて。

そんで、【約束の花嫁、しかと貰い受けた】って、神様の声を聞いたっちゅう人も大勢おって。今、みんなで周りを探してますが、一応確認に・・・」


 そのやりとりが聞こえて、俺は布団から出た。


「姉ちゃんがいなくなったって、どう言うこと?」 

「え? 夏生君? 姉ちゃんって・・・悠里ちゃん? え?」


 実行委員の人が、目を白黒させて俺と母を見た。


「その・・・夏生が体調崩してしまって、悠里に花嫁の代役を・・・」


 言い終わらないうちに、実行委員のおじさんは悲鳴をあげた。


「なんて事を! ずっと男の子が花嫁役をやってたのは、子供をとられないためだって、語り継がれとったでしょうが!」

「いや、それって単なる昔話じゃ・・・。私は祭りに支障をきたさないよう、良かれと思って」

「何ちゅう事を。こりゃあ、本物の神隠しじゃ。どんだけ探そうと、悠里ちゃんは見つからんぞ」


 残念ながら、その予言は当たった。

 警察が来て、村中ひっくり返しても、姉ちゃんは見つからなくて。

 花嫁選びの舞は、その年を最後に村の神楽から姿を消した。


 こんな事になるなんて思わなかった。あんな我儘、言うんじゃなかった。

 どれだけ後悔しても、もう遅くて。


 姉の不可解な失踪は、大々的にメディアに取り上げられ、村は世間から悪い意味で注目を浴びた。

 皮肉にもそのお陰で、インフラ整備が進んだらしい。

 

「全部お前が悪い! 勝手なことしやがって!」


 父に責められ、村人にヒソヒソと指を指されて、おしゃべりで社交的だった母は居場所を失って、日に日に痩せていった。

 鬱々とした雰囲気が我慢ならなかったのか、父の酒の量が増えて暴れる頻度も増し。そうして急性アルコール中毒になって、父は呆気なく死んだ。


 姉と父を相次いで失い、母は俺に執着するようになった。

 学校の門の前で帰りを待っていたり、どこに行くにもついて来たがったり。

 仕方ない、こうなったのは俺のせいなのだから。

 高校進学する時、母は良い機会だからと言って、一緒に村を出た。

 村を出て暫くすると、母はだんだんと元気になっていき、俺に対する執着も少しはマシになった。

 それでも友人と比べると、過干渉気味だったが。


 やがて就職して結婚し、娘が生まれたら、母の興味は一気にそちらに移った。

 初孫を喜んでいるんだろうと思っていたのだけれど。


「今日は悠里の好きな生姜焼きにしようかねぇ」


 娘の陽菜が中学生になると、母は時々、名前を間違うようになった。

 赤ん坊の頃から目に入れても痛く無いほど可愛がられていた陽菜は、すっかりおばあちゃん子に育っていたので、名前を間違われてショックを受けていた。


「私、陽菜だよ。悠里って誰? お婆ちゃん、しっかりして!」


 そう諭された母はシクシク泣いて、部屋に閉じ籠り。

 それから時々、姉を探して徘徊するようになった。


「認知症ですね。時折、過去の記憶と現在が混同するのでしょう」

「過去の記憶、ですか」


 医師に告げられた言葉に、改めて母が強い後悔の念を抱いている事を知る。

 母の介護には、家族の理解と協力が必要だ。

 その晩、妻と娘に初めて姉の存在を教え、己の罪を告白した。


「もしかしてお義母さん、陽菜がお姉さんの生まれ変わりだと思ってたんじゃないかしら? だから否定されて傷ついたのよ、きっと」

「そっか。お婆ちゃん、本当はずっとおばさんの事を探したかったんじゃないかな?」

「そうね」


 それから皆で話し合い、平日はショートステイを利用し、休日は家族で過ごすようにしている。

 こちらの心配をよそに、母は同世代の新しい友達ができて嬉しそうだ。

 レクレーションでこんな事をした、何某さんは手先が器用で羨ましい、などと帰る度に楽しそうに話してくれる。

 家族で温かく見守っていたお陰で、暫く状態は安定していたのだけど。


 夏が来てしまった。

 抜けるような青空に盛り上がる白い入道雲。夜露に濡れた朝顔。茉莉花の甘い香り。

 そして、まるで何かを責めるかのような蝉時雨が、あの日の記憶を呼び起こす。

 母は再び、過去を現在を行ったり来たりし始めた。


(明日、姉ちゃんと再会したら、何か変わるだろうか?)


 タイムスリップなんて俄には信じられないが、40年前の神隠しがそうであったなら、15歳の姿のままだというのも納得できる。


(いや、でも仮にそうだとしたら、供物はどこに消えたんだ?)


 米俵や酒樽を一人で抱えられる訳がない。

 やはり何か、目に見えない力が働いているような気がする。


(結局どれだけ時が経とうが、距離を置こうが、俺は村の呪縛から逃れられないのかもしれないな)


 たとえ世間から忘れられたとしても、己の罪が消えるわけでは無いのだから。

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