袖擦り合うも多生の縁
恥も外聞もなく嗚咽を漏らして泣く中年男に、寄り添い優しく背中をさする美少女。
それを固まったまま、ぼーっと見ている私。
「何? このカオスな状況」
少し遅れてやって来た河野さんに声を掛けられ、私はようやくショック状態から抜け出した。
「河野さん・・・」
「やっと車止められた。祭り前日だから、人が多く出入りしてるみたいね。あれ? 佐倉さん涙目じゃん、どうしたの? そんなに感動の再会だった?」
私は首を振った。
「黒木さんの名前を出したら、村長さんに怒鳴られちゃって」
それが聞こえたのか、蹲っていた村長さんが涙を拭いて立ち上がり、深々と頭を下げた。
「怒鳴ってすみませんでした。・・・悠里が行方不明になった後、村全体が世間から変な目で見られて。そのうち、悠里の尊厳を踏み躙るような事を言う奴もいて・・・。よそ者から悠里の事を聞かれるのは、トラウマだったんです」
「はぁ・・・」
「あ〜、そういや当時オカルト雑誌とかで、好き勝手書かれてたもんね。生贄の儀式だの何だの・・・」
河野さんの言葉に村長が頷いた後、怪訝な顔をする。
「あの、こちらの方は・・・」
「私の友人の河野さんです」
「初めまして。河野桃香です。ここに来る途中の山道で、悠里ちゃんを拾いました」
村長が「そうなのか?」と黒木さんに確認を取ると、彼女は頷いた。
「私ね、気がついたら下北芙蓉神社にいたの。自分でも何でか分からなくて、とりあえず帰ろうと思って歩いてたら、河野さんが私を心配して声かけてくれて。暑さで気分悪くなってたから、すっごく助かった」
「そうだったんですか。それはどうも、ありがとうございます」
「いえ、どういたしまして」
黒木さんを助けたことで、河野さんに対する警戒心は無くなったらしい。
「それで・・・」
と話始めたところに、タイミング悪く村長の携帯電話が鳴った。
「失礼。はい、山下。・・・・・・わかった。5分後に折り返すって返事しといて」
村長は完全に立ち直ったらしく、雑に顔を拭うと仕事モードの顔になった。
「すみません、今日は本当に立て込んでまして、ゆっくり話をする時間もないんです」
「お祭りの準備もありますしね」
「それだけじゃなく、落石の知らせもあったもんですから」
「落石? 大変じゃ無いですか」
「ええ。幸い犠牲は出てないし、祭りの交通にも支障がない場所なのが救いです。そんな訳だ。悠里、一緒にいてやれなくて、ごめんな」
「うん。わかった。でも一つだけ教えて。私の家族、今どうしてる? さっき家に帰ったら、更地になってた。引っ越したの?」
黒木さんの言葉に、村長は思い切り悲しそうな顔をした。
「悠里が行方不明になった後、暫くしておじさんが亡くなって・・・。おばさん、一人で村に残るのが耐えられなかったんだろうな。夏生の高校進学に合わせて、一緒に村を出てったきりだ。夏生は成人式にも帰ってこんかった」
それを聞いて、黒木さんの表情が曇る。
「あ、でも夏生の連絡先は知ってる。あいつ、今、銀行に勤めてて、仕事の関係で年に何度か会うから。ちょっと待ってな」
村長はその場で電話をかけたが、暫くして顔を顰めながら電話を切った。
「ダメだ。電話に出ない。向こうも仕事中だろうから、後からまた連絡してみる」
「うん、ありがとう」
「夏生と連絡取れたら知らせるから・・・」
村長はそういって黒木さんを見た後、ちょっと困った様子で私を見た。
「あの、佐倉先生、大変申し訳ないんですが、暫く悠里をお願いできますか? 家族と連絡が取れた時、知らせる手段もないし、かといって、ここで待たせる訳にもいかないので」
「はい、わかりました」
「ありがとうございます。それじゃあ、失礼します。悠里、またな」
村長は私と河野さんに礼をすると、黒木さんに軽く手を振って足早に仕事へと戻っていった。
黒木さんは、笑顔で手を振り村長を見送っていたけれど、その姿が見えなくなると、脱力してその場にしゃがみ込んだ。慌てて河野さんが駆け寄る。
「悠里ちゃん、大丈夫!?」
「すみません。覚悟はしてたけど、色々変わりすぎてて。なんか感情がぐちゃぐちゃになったら目が回っちゃって・・・」
「あ〜、キャパオーバーになっちゃったんだねぇ。ちょっとそこに座ろうか」
河野さんは黒木さんを支えて椅子に座らせた。
「まあでも、弟さんと連絡つきそうで良かったね」
「はい。それまでご迷惑をおかけしますが、もう少しだけお付き合い願います」
黒木さんは律儀に頭を下げた。親御さんの教育がしっかりしてるんだろう。
「別に迷惑じゃないよ。黒木さんの方が大変な状況なんだから、気にしないで」
「すみません」
黒木さんが申し訳なさそうに謝ると、河野さんがその背中を軽く叩いた。
「あのね、こう言う時は「すみません」って謝るんじゃなくて、「ありがとう」って感謝する方が、お互いにいい気分になるよ」
黒木さんは少しキョトンとした顔をしたけれど「そうですね」と笑顔で頷いた。
「じゃあ、これからどうしようか? 今の村の様子を見てみる?」
私がそう言うと、黒木さんは少し考えてから言った。
「あの、お父さんのお墓参りをしたいんですが、連れてってもらっていいですか?」
教え子達と同じ年頃の子に、そんなこと言われて断れるわけがない。
「勿論いいよ。途中でお花買って行こう」
***
黒木家のお墓は、墓石を覆い隠すように雑草が伸び放題で、長年放置されていたのが一目でわかる荒れ具合だった。
「軍手持ってくれば良かったね」
「待って、車に積んでたかも」
河野さんがそう言って引き返し、軍手とハンディファンを持って戻ってきた。
「え、すごい。何で持ってるの?」
「私、防災バック、トランクに積んでるんだ」
(なるほど。私もそうしようかな)
ふと横を見ると、黒木さんは目をキラキラさせてハンディファンを見ている。
「ええ〜っ、何この可愛い扇風機! こんなのあるんだ!?」
「今や夏の必需品だよ。このボタンを押せば風量も調節できる」
河野さんは使い方を説明しながら、黒木さんにハンディファンを渡した。
「わ〜、涼しい。こんなに小さいのに凄〜い! これ、電池で動いてるの?」
「充電式。今から草むしりするから、時々風当てて」
河野さんはそう言うと、背の高い雑草を抜き始めた。
「下が砂利だからか、思ったより簡単に抜ける。こっちの一面やるから、後で交代して」
「わかった」
それから5分程、三人で交代しながら草むしりをして、ようやく墓石の全貌が見えた。雑草の繁殖力、マジでやばい。ハンディファンがなかったら、地獄の作業だったろう。
黒木さんは、墓標に刻まれた父親の名前を無言でそっと撫でた後、花を供えて手を合わせた。その背中を見て、私達も後ろに立ち、無言で手を合わせる。
「どうも、ありがとうございました」
墓参りを終えると、黒木さんは再び神妙に頭を下げた。
「大丈夫?」
「それが、そんなに悲しくないんです。実際に亡くなった姿を見てないからかな? 全然実感がなくて・・・。それより薫がすっかりおじさんになってた方がショックだったかな」
へへっと困ったように笑いながら、黒木さんは頭を掻いた。
(強い子だ。本当は不安でいっぱいだろうに)
こんな健気な子を放っておける訳がない。
「じゃあ、帰ってゆっくり連絡を待ちましょう」
****
麦茶とお茶菓子をテーブルに置いて、
「遠慮しなくていいからね」
とは言ったものの、黒木さんは初対面の人間の家でくつろげるような子ではなく、ソファにちょこんと所在なげに座ったまま。
きっと頭の中では、ぐるぐると色んなことを考えているんだろう。
私も教師を数年やってきて、色々な家庭環境の子と向き合ってきた。
不登校の子の家に家庭訪問に行って、犬に噛まれた事もある。
だけど流石に今回は特殊すぎて、どう声をかけていいか分からない。
気まずい空気を変えたのは、河野さんだった。
「悠里ちゃん、この着物、干して風通した方がいいよね? 佐倉さん、着物ハンガーかバスタオルハンガー持ってる? もしくは突っ張り棒」
河野さんの手には、見事な芙蓉の刺繍が施された着物があった。
「突っ張り棒なら、前に100均で買ったまま使ってないのがあるけど」
「何で使ってないの?」
「サイズまちがっちゃって。微妙に足りなくて使えなかった」
「私が有効活用してしんぜよう。後、ハンガーとゴム二つ貸して」
「ヘアゴムでもいい?」
「いいよ〜」
言われた材料を渡すと、河野さんは器用にそれを繋げて、即席の着物ハンガーを作った。
(こういう発想力、どこから湧いてくるんだろう?)
「あ、これ単衣羽織なんだ。すごく細かな刺繍だね〜。綺麗」
淡いベージュ色に、白、淡いピンク、ピンクの芙蓉が咲き乱れている様子は、確かに美しい。
河野さんは「いい目の保養になる」と言って、羽織をじっくりと鑑賞した。
職人技の光る染め付けや刺繍。手間暇かけて作られたアンティークの着物は、芸術品と言っていいだろう。
「作られたのは明治時代らしいです」
「うわ〜、100年前だ。保存状態、すごくいいね」
「袖を通すのは4年に1度で、ほんの1時間程度でしたから」
「しかも選ばれし者しか着れないんだよね」
河野さんがそう言うと、黒木さんは首を捻った。
「私、正確にはこの着物を着る資格ないんですよね。選ばれたのは弟の夏生で、私は代理なので。もしかして、こんなことになったのは、神様の罰が当たったのかな?」
「う〜ん、それはないんじゃない? だって昔から村ぐるみで神様の目を欺いてきたのに、無事だったんだし」
確かに、とっくの昔に罰が当たってもおかしくない。
「神様が騙され続けるなんて、歴代の男の子達は、よほど綺麗だったんでしょうね」
私がそう言うと、黒木さんは頷いた。
「祭りの時に白粉塗った弟は、雛人形みたいに上品な顔になってました。・・・もしかして、私、美人じゃ無いから返品されたのかな?」
黒木さんが頬に両手を当てて「が〜ん」とショックを受けてたので、私は慌てて否定した。
「それこそ無いわ。黒木さん、すっごく可愛いもの。ねぇ?」
「うん。アイドルグループのメンバーみたい。でも、もしかしたら神様の好みではないかも。ほら、昔の日本人の美意識って、今とだいぶ違うじゃない? お多福とか能面とか、お歯黒とかさ。メイクの流行りも年々変わってるしね」
河野さんの言葉に、落ち込んでいた黒木さんは持ち直し、私も納得する。
「でも、待ちに待った女の子がお嫁に来てくれたんだから、手放すなんて考えにくいよ。好みじゃないから戻すにしても、40年後とか有り得なくない?」
私がそう言うと、黒木さんはちょっと考えていった。
「多分、神様の世界とこっちの世界は時の流れが違うからじゃないかな。しばらく手元に置いて、やっぱり違うな〜ってなったんじゃ? だって結婚相手って妥協したくないでしょう?」
その言葉に、独身の私と河野さんは苦笑する。
「まあね、好きな相手と結婚したいよね」
「でも実際は、妥協できる人が結婚できるんだよね」
うふふ、あはは。
別に気にしてないわよ。独身サイコーに楽しいもの。・・・老後が心配だけど。
「あ、わかった! きっと封印とか結界とか、そう言うのが解けたんだよ。ほら、落石があったって言ってたじゃん」
河野さんが生き生きと語り出した。
「映画や漫画だと、イキったパリピが立ち入り禁止の場所に侵入して、そうと知らずに結界壊しちゃったりするのがお約束の展開なんだけど。多分、4年毎の異界のゲートが開く時と、結界が切れたのが重なって、うっかりこっちの世界に戻ってきたんじゃないかなぁ」
(嫌なお約束だな・・・。それにしても、よく思いつくもんだわ)
ちょっと呆れている私と違い、黒木さんは真剣な顔をしていた。
「もしそうだとしたら、元の時代に戻ることは出来なさそう。私自身がタイプスリップの超能力者だったら、帰れる可能性はあるんだけどなぁ」
「そうだね。佐倉さん、霊感ちょっとあるんでしょう? なんかわかんない?」
河野さんが何気なく言った言葉に、黒木さんが目を丸くして私を見る。
「え? 佐倉先生、霊感あるんですか?」
「ん〜、まあ。でも偶に視えるだけで、お祓いとかできる訳じゃないよ。なんか嫌な感じがする場所を避ける位。・・・というか河野さん、無茶言わないでよ。霊感と超能力は全く違うからね!」
「そっか〜」
河野さんは思いつきで言っただけらしい。私が否定しても特に残念がってはいない。
ただ黒木さんは違った。明らかにがっかりしている。
どうしたものかと思っていたら、河野さんが漫画を数冊持ってきた。
「あまり思い詰めない方がいいよ。そのうち記憶が戻ったら、タイムスリップのやり方が分かるかも。家族と連絡取れるまで、暇潰しにこれでも読んで。私のおすすめなんだ」
****
結果として、黒木さんは漫画に夢中になった。時々クスクス笑ったりして、随分リラックスしている。
いい事だけど、隣でドヤ顔している河野さんがちょっとウザい。
「私はスポーツは全く興味ないから、読まないからね」
「もう〜、頑なだなぁ。何なら読むの?」
そんな話をしていると、携帯電話が鳴った。村長からだ。
「もしもし、佐倉です」
「ああ、先生、どうも。山下です」
「黒木さんのご家族と連絡取れましたか?」
「ええ、まあ。弟の夏生から折り返し連絡が来て、事情を説明しました。ただ今日は遠方の支社に行ってて、こっちに帰ってくるのが遅くなると。それで、迎えに来れるのは、どんなに頑張っても明日の午後らしいです」
「まあ・・・」
「その〜・・・誠に申し訳ないんですが、先生の家に一晩悠里を泊めて頂くことは可能でしょうか?」
(この流れだと、そうなるよね・・・)
一戸建ての教員住宅に一人暮らし。部屋が余っているのは周知の事実。
「・・・わかりました。大丈夫です。来客用の布団もありますし、一晩お預かりします」
そう告げると、村長は明らかに安堵のため息を吐いた。
「ありがとうございます。恩にきます。何かあったら、いつでも連絡下さい」
「はい。では失礼します」
電話を切ると、黒木さんと河野さんが私を見ていた。
「あのね、弟さんと連絡取れたって。ただ今日は仕事の都合で帰りが遅いから、明日迎えに来ることになったみたい。今日はこのまま、うちに泊まればいいから」
「そう、ですか。色々ご迷惑おかけしてすみません」
黒木さんがそう言って頭を下げようとするのを、河野さんが「そうじゃないでしょう?」と止める。 黒木さんはハッとした顔になって、
「ありがとうございます! 助かります! 私にかかった費用は弟に請求して下さい!」
と元気よく言った。最後のセリフが面白くて、三人でひとしきり笑った。
「夕飯どうしようか? 悠里ちゃん、何か食べたいものある? もしくは食べれない物は?」
「私は好き嫌いないです」
「じゃあ、サラダそうめんにしない? 野菜食べたい」
「いいけど、材料を買いに行かなきゃ。あ、その前に冷蔵庫のスペース開けないと。お土産のシュークリーム食べちゃおう」
河野さんが買ってきてくれたのは、県内でも有名なジャンボシュークリーム。
2個しかないけど、3人で分けても十分ボリュームがある。
黒木さんは、まずその大きさに驚き、次に一口食べて目を輝かせた。
「美味しい! 皮がサクサクしてるし、カスタードクリームも濃厚。普段食べてるのと全然違う! 未来はお菓子も進化してるんだぁ」
その言葉を聞いて、河野さんがこっそり耳打ちしてきた。
「ねぇねぇ佐倉さん、悠里ちゃんがシャインマスカット食べた時のリアクション見たくない? 絶対可愛いと思うんだけど」
「そうだね。ちょっと高いけど、お金出し合って買おうか」