狐につままれる
額にヒヤリと心地い冷たさを感じて目を開けたら、少し前に知り合ったばかりの女の人と目が合った。
「あ、気がついた? 気分どう? 吐き気とかない?」
「はい。・・・あの、私・・・倒れたんですか?」
「うん。過呼吸かと思ったけど、熱っぽいし、やっぱり熱中症なのかも。起きれそう?」
「はい」
河野さんに介助されながらゆっくり身を起こし、自分がソファに寝かされていたと気づく。
部屋は広くはないが綺麗に片付けられていて、心地いい空間だ。
正面にある黒いのはテレビ? うちのより横幅があって大きいけど、すごく薄い。
「まだ熱があるようだったら、氷嚢で首筋とか冷やすといいよ」
(さっき額に触れたのは、これだったのか。吊り下げ式と違って、氷の出し入れがしやすそう)
冷んやりとした氷嚢の心地よさにうっとりと目を瞑っていたら、
「悠里ちゃん、お味噌汁の具、豆腐と茄子とナメコだったら、どれが食べたい?」
と、突然謎の選択肢を出されて、ちょっと戸惑う。
「えっと・・・ナメコ、かな」
「わかった。ちょっと待ってね」
河野さんはそう言って、キッチンにいる佐倉先生に声をかけた。
「佐倉さ〜ん、悠里ちゃん、気がついた。ナメコがいいって」
「は〜い」
(え? もしかして私の為に今から作るの?)
慌てて「そこまでして貰わなくても大丈夫です」って言った時には、佐倉先生がお盆にお味噌汁を乗せて部屋に入ってきた。
「はい、どうぞ。お味噌汁は熱中症には効果があるから」
そう言って手渡されたからには飲むしかない。氷嚢を脇に置いて、味噌汁を受け取る。
「・・・いただきます」
と小さく呟いてから、一口飲んで驚いた。すっごく美味しい。
さっき河野さんに貰ったドリンクもそうだったけど、身体に沁み渡る感じ。
「すっごく美味しいです。お料理上手なんですね」
そう言うと、佐倉先生は恥ずかしそうに笑った。
「お湯で溶かしただけよ。一人暮らしだとお味噌汁作るのは面倒で、ついついインスタントに頼っちゃう」
「これ美味しいよね。私もこのシリーズ好き。全種類ストックしてる」
と河野さんも笑う。
「え? これがインスタント? 全然わからなかった」
お父さんが「インスタントは体に悪い!」って煩いから、我が家ではあまりインスタント食品を食べる機会がない。
カップ麺やカップ焼きそばは、味が濃くて美味しいから好きだけど、確かに毎日食べると体に悪そうに思える。
でもこれは丁度いい塩梅で出汁の風味も感じるから、お父さんに出してもバレないんじゃないかな。
そんな事を考えてるうちに、あっという間に器は空になった。
「ごちそうさまでした」
「うん、顔色良くなったね。少しは落ち着いた?」
河野さんはそう言いながら、さりげなく器を回収してくれた。
「はい。ありがとうございます」
「話せそう?」
「・・・はい」
正直まだ混乱してるけど、頭の中はスッキリしている。
私は姿勢を正して2人に向き直った。
「ご迷惑をかけてすみません。色々とありがとうございます。本当に助かりました」
そう言って頭を下げると「いいえ、どういたしまして」と河野さんがにこやかにお辞儀を返してくれたので、少しほっこりする。
ふと視線を感じて、そちらに顔を向けると、佐倉先生が少し困った様子で話しかけてきた。
「黒木さんは中学3年生って聞いたけど・・・」
「はい」
「・・・お互い知らないよね?」
「・・・はい」
これはアレだ。小説とか漫画とかでよくあるタイムスリップ。
どうして自分がこんな目にあったかなんて、全然分からないけれど、さっき話を聞いたら、そうとしか考えられない。
「今は、1985年じゃなくて・・・2025年なんですよね?」
「「1985年?」」
2人が驚いた様子で大声をあげた。
河野さんはポカンと口を開けてるし、佐倉先生は目が溢れそうなほど大きく目を見開いている。
「待って、何となく予想はしてたけど・・・え〜と、1985年って40年前だから、昭和何年になるんだっけ?」
ハッと我に返った佐倉先生が、何やら小さな板状の物を取り出すと、すごい速さで指であちこち押しながら言った。
「60年です」
私が即答すると、佐倉先生は片手で口を覆い絶句してしまった。
得体の知れない物を見るような視線に晒され、居た堪れなくなる。
ここは40年後の世界なんだ。なんでこんな事になったんだろう?
じわぁっと目頭が熱くなり、視界がぼやける。鼻の奥がつーんと痛くなってきて、私は堪えきれず啜り泣きした。
「・・・信じられないけど、その様子だと、嘘じゃ無いみたいね」
手の甲で涙を拭っていると、佐倉先生がハンカチを差し出してくれたので、それに顔を埋める。
「どうしてこうなったか、心当たりある?」
「・・・・・・」
私は無言で頭を振る。
分からない、何も覚えていない。
どうして1人で下北芙蓉神社いたのかも、こんな格好でいるのかも。
私に何が起こったの? 家族や友達は今どうしてる?
どうやったら、元の時代に帰れるの?
ヒック、ヒックとしゃっくりをあげながら泣いてると、河野さんが突然「あ〜っ!」と大声を上げたので、びっくりして思わず顔を上げた。佐倉先生も驚いて、少しのけぞって河野さんを見ている。
「思い出した。石長村神隠し事件。あれって、悠里ちゃんだったんだ!」
「「石長村神隠し事件!?」」
佐倉先生とハモってしまった。
「うん。私達が中1の時の未解決事件。当時全国ニュースにもなったんだけど、覚えてない?」
「う〜ん、覚えてないなぁ。何しろ当時住んでた関西では、バラバラ殺人事件とか、テレビで生中継された刺殺事件とか、ショッキングな事件が多かったし」
「あ〜、あったね〜。航空機墜落事故も確かその年だっけ? こうして振り返ると物騒な時代だったね」
河野さんと佐倉先生の話の中に、私の知ってる事件があったので、思わず会話に加わった。
「その刺殺事件って、大阪のやつですか? 2000億円騙し取ったっていう詐欺の・・・」
「そうそう」
「それ、ニュースで見ました。割と最近。1ヶ月前位だったかな」
私がそう言うと、河野さんがハッとして頷いた。
「話を戻すね。事件が起こったのは40年前の夏休み。県内の事件だし、行方不明になったのが同世代の子だったから、印象に残ってる。
この村には神様の花嫁選びっていうユニークなお祭りがあったんだけど、当時、百人以上の村人が見守る中、花嫁役の15歳の少女が行方不明になって大騒ぎになったの」
「「ええっ!?」」
またしても佐倉先生とハモってしまった。
まさか、それが私!?
「そんなに大勢の目の前で、パッと消えたの?」
佐倉先生の質問に、河野さんが首を振る。
「実際に消えた所は誰も見てない。話によると、花嫁役の子は結婚を祝う奉納舞が終わるまで、1人で社の中で待機する習わしだったって。でも舞が終わっても出て来ないから、おかしいと思って扉を開けたら、もぬけの殻。供物の米俵や酒樽と一緒に忽然と消えた」
「・・・」
「社には扉は一つだけで、抜け道はなし。村人が花嫁役の子から目を離したのは、奉納舞の10分間だけ。1人で出てったにせよ、協力者がいたにせよ、誰にも見つからず境内から出ていくのは不可能。念の為、神社の裏の山を警察が調べたけど、重い荷物を持って移動した形跡はなかったって。
舞が終わった後、【約束の花嫁、しかと貰い受けた】ていう声を聞いたって証言が何人からも寄せられたから『現代の神隠し!』ってマスコミにも大きく取り上げられたんだよ」
河野さんはそこまで話すと、私をまじまじと見た。
「・・・て事は、悠里ちゃん、私達より先輩になるんだ。は〜、肌も髪もツヤツヤで羨ましい。当時の私達も、大人から見たらこんな風にキラキラに見えてたのかなぁ?」
「いや、この状況で真っ先に出る感想がそれって、おかしいやろっ!?」
黙って話を聞いていた佐倉先生が、関西弁で思いっきり河野さんにツッコンだ。
上品にそうなのに意外な一面もあるんだなぁと思ってると、すぐに表情を戻して私を見た。
「今の話を聞いて、何か思い出せそう?」
「言われてみれば・・・」
確かに今年の祭りでは、4年ぶりに花嫁選びの行事があった。
夏休みに入ってすぐ、花嫁候補の子達と公民館で舞の練習をした覚えがある。
祭り当日はどうだったっけ?
私は集中するために目を瞑った。
花嫁選びの神楽舞。皆で揃いの衣装を着て、舞台に上がった。
私の横には凪ちゃんと晶ちゃんがいて・・・。
頭に白い芙蓉の花を飾って、両手に鈴を持って、皆で舞った。
男の子達は本番では白粉を塗って、別人みたいになってて・・・。
「思い出した。確かに私、花嫁選びの神楽舞に参加しました。でもその時の衣装は、千早っていう巫女装束だったし、何より花嫁に選ばれたのは、弟の夏生だったはず・・・」
私の言葉に2人は目が点になってた。佐倉先生が首を傾げながら尋ねる。
「弟、さんが花嫁に選ばれたの?」
「はい。この祭りは村に伝わる伝説が由来で・・・」
花嫁祭りの起源となった昔話を話すと、河野さんは
「あっはっはっはっは。何それ、おもしろ〜い」
と腹を抱えて笑った。反対に佐倉先生は難しい顔だ。
「神様に不敬だと思うけど、未成年を花嫁にするのは、どうかと思うわ」
と怒っている。その反応に河野さんは更に笑った。
「いや、大昔は13歳で元服してたし、江戸時代くらいまでは14歳で嫁に行くのも普通だったじゃん。日本昔ばなしでさ、風で飛んできた絵姿に一目惚れして、人妻を無理やり攫って嫁にした殿様いたよね? それに比べたらマシだと思うけど?」
「そんな下衆野郎と神様を比べんなっ!」
再び佐倉先生の鋭いツッコミが入ったが、河野さんはケロッとしている。
「でも、どうして悠里ちゃんが花嫁役になったの? 弟くん、具合悪くなったとか?」
そう言われて、再び記憶が蘇った。
「そうだ・・・。神楽を終えて家に着替えに戻ってしばらくしたら、祭りの役員の人が家に来て、花嫁衣装を持って来たんだ。夏生はそれを見て、絶対着ないって発狂したように暴れて、最終的に吐いて熱出して・・・。
だからお母さんが、私に花嫁役を代わりにやりなさいって・・・」
一時間後に迎えが来る事になってたし、祭りに水を差すわけにも行かない。
それに花嫁役に選ばれると、その後縁起が良いことが起こると言われてるから、私は躊躇わずに引き受けた。
むしろ綺麗な着物着れるし、特等席でゆっくり奉納舞が見れるから、ラッキーと思ってたくらい。
そして祭り会場に行って、社の中に入って・・・。
駄目だ。そこからの記憶がない。思い出そうとすると、頭の中が真っ白になる。
そう言うと、佐倉先生と河野さんは顔を見合わせた。
「とりあえず、家に帰る? 1人じゃ不安だろうから、私達が送っていくよ」
「はい、ありがとうございます。お言葉に甘えさせてください」
生まれ故郷とはいえ、様子の変わった村を1人で歩くのは不安しかなかったから、その申し出は有り難かった。
「じゃあ、悠里ちゃん、助手席座って。案内お願いね」
「はい、ここから真っ直ぐ行って、一番目の角を左に山の方に向かってください。大体3分くらいで着くと思います」
再び河野さんの車に乗り込んで、家を目指す。
(40年後の未来、お父さん達は80歳だ。夏生も50過ぎになってるから、結婚してるはず。私を見たら、絶対驚くよね)
そんな風にドキドキしながら周りの景色を見れば、見覚えのある家は古く色褪せていて、庭木は大きくなっていた。
「あ、もうすぐなんで、スピード落として下さい」
「わかった」
もうすぐ赤い屋根が見えるはず・・・だったのに。
我が家があるはずの場所は、草茫々の空き地になっていて、私は狐につままれた気持ちになった。
***
それからしばらく呆然として記憶がない。
気がつくと佐倉先生の家に戻ってソファに座っていた。
私は声もなくずっと泣いていたらしい。
そんな私の背中を河野さんが優しく摩り、佐倉先生は私の前に座り込んで、手を握ってくれている。
「私、これからどうすれば・・・」
そこから先は声にならなくて、また涙を零していると、佐倉先生が新しいハンカチを差し出して、優しく声をかけてくれた。
「あのね、山下村長はこの村出身で、私達と同じ歳なの。だから黒木さんの事も覚えてると思う。ご家族の事も何か知ってるかも知れない」
「山下・・・もしかして、薫?」
「そう。やっぱり知り合いなんだ!?」
「はい。幼馴染です。・・・そっか、薫、村長になったんだ」
薫の近況を知って、ちょっと安心して涙が止まった。
「それでさっきから連絡してるんだけど、祭りの準備が忙しいのか、ずっと話中で。役場にいると思うから、後で行ってみる?」
「ハイっ!」
この村に薫がいる。それだけで元気が出た。
涙を拭って笑顔を見せると、河野さんもニコッと笑った。
「じゃあ、その前に大事な使命を果たさなくちゃ」
「「大事な使命?」」
あ、また佐倉先生とハモった。初対面なのに、気が合うなぁ。
「お昼ご飯を食べに行こう! もうすぐ1時半だよ。早く行かなきゃ食事処のランチのオーダー終わっちゃう。私が村に来た目的の一つは、季節の定食と鹿肉のタタキだからね」
遠慮する暇もなく、背中を押されるように車に乗せられ、お昼ご飯が目の前に並べられる頃には、私の涙は完全に引っ込んだ。