一日一善
「この子、倒れる前に西暦を聞いたりして、かなり様子が変だったよね。どういう経緯で知り合ったのか、説明してくれる?」
眠る悠里ちゃんを心配そうに見ながら、佐倉さんが改まった態度で聞いてきた。
若干、目が据わって見えるのは、気のせいじゃないだろう。
(もしかして、怒ってらっしゃる?)
以前、物凄いパワハラ上司のいたブラック企業に勤めていたせいで、佐倉さんのように静かに怒るタイプって、分かりにくいんだよな〜。
「あ〜、相談もなく連れて来ちゃってごめんね。てっきり佐倉さんの生徒だと思ったから」
「格好からして、変だと思わなかったの?」
「明日お祭りで神楽があるんでしょう? 練習帰りだと思ったわ」
「・・・一体どこで拾ってきたの?」
「ここに来る途中。この子を拾って村まで15分位かかった。徒歩だと一時間以上かかるよね? そんな山道に女の子1人って、なんか心配じゃん」
「まあ、それはそうだけど」
「最初は拾うつもりはなかったの。でも追い越す時チラ見したら、顔は真っ赤だし、目は虚だし。熱中症の初期症状っぽいから、慌てて車降りて声かけたのよ」
私はその時の状況を思い出しながら、佐倉さんに説明した。
***
誰もいない山道。鼻歌を歌いながらドライブを楽しんでいると、ヒラヒラと鮮やかな着物が左前に翻っていた。
なんだろう? と思って追い越す時に見たら、中学生くらいの女の子。日除の為に着物を頭に被っているのがわかったけれど、様子がおかしい。
ちらっと見ただけでも、かなり暑さにやられてるのがわかった。
だから追い越してすぐ停車して、持っていたスポーツドリンクを持って少女に声をかけた。
「ねえ、具合悪そうだけど、大丈夫?」
少女は汗びっしょりで、答えるのも辛いのか、ボ〜ッと私を見ているだけ。
「脱水症状起こしたら大変。とりあえず、これ飲んで」
そう言ってスポーツドリンクのキャップを開けて渡したら、のろのろと口をつけた。そして一口飲んだ瞬間、覚醒したようにカッと目を開いて、ゴッゴッと喉を鳴らして一気に飲み干した。
「っはぁ、生き返ったぁ〜。あ、すみません、私、全部飲んじゃって」
「いいよ、よっぽど喉が渇いてたんだねぇ」
「はい。干からびるかと思いました。ありがとうございます」
水分を取った事で少し元気は出たみたいだけど、まだ息が荒かった。
「石長村の子? 中学生?」
「はい」
「私も村に向かってるの。よかったら、送って行こうか?」
「え、でも・・・」
まあ、知らない人の車には乗れないよね。さっき疑いもせずにスポーツドリンクを飲んだのは、暑さで判断力が低下してたからだろうし。
「怪しいもんじゃないよ。私は河野桃香。佐倉先生に会いに行くところなの」
「さくら先生のお友達ですか?」
「うん。ついでだから遠慮する事ないよ。というか、そんな状態のあなたを置いて何かあったら、私が佐倉さんに怒られちゃう」
少女はようやく安心したのか、「それじゃあ、遠慮なく」と車に乗った。
「ハァ〜、涼しい。天国」
「気温高いもんね〜。今は32度だって」
「ええっ!? どうりで異常に暑いと思った・・・」
「名前聞いてもいい?」
「あ、申し遅れました。黒木悠里です」
「悠里ちゃんね。何年生?」
「中学3年生です」
「じゃあ、受験生だ。勉強大変だね」
「はい。でも先生がつきっきりで教えてくれるので、何とか」
「そう。ところで、その格好はお祭りの予行練習? どうして山道に1人でいたの?」
そう聞くと、悠里ちゃんは首を傾げた。
「それが・・・自分でもよくわからなくて。気がついたら下北芙蓉神社にいたんです」
「下北芙蓉神社って4分位前に通り過ぎたけど、結構距離あるよね? そこからずっと歩いてたの?」
「はい。とりあえず家に帰ろうと思って。でも暑くてだんだん気分が悪くなってきて・・・。声をかけてもらって、本当に助かりました」
「この炎天下の中、水も飲まずに30分以上歩いてたら気分も悪くなるよ。手足の痺れとかない?」
「体が熱っぽくて、頭がボ〜ッとします」
「ちょっと待ってね」
私は一旦車を止め、後部座席の荷物から麦茶とボディーシートを取りだして、悠里ちゃんに渡した。
「はい、これで汗拭いて。それから麦茶も飲んで」
「ありがとうございます。・・・わぁ、す〜っとして気持ちいい」
「後10分位で村に着くと思うから、それまでゆっくり休んで」
「はい、何から何まで、ありがとうございます」
***
「それから悠里ちゃんは目を瞑って休んでた。村に到着したから、橋の所で一旦停車して、佐倉さんにメール打って、今に至ります」
私がそういうと、佐倉さんは微妙な顔をした。
「中学3年生って本人が言ったのね?」
「うん。嘘言ってるようにも見えなかったけど・・・」
「え〜、どういう事だろう?」
「まあ、本人が起きてから聞けばいいじゃん。荷物下ろしてくるから、悠里ちゃんの様子見てて」
私はそう言って立ち上がり、車から荷物を持ち出した。
「よいしょっと。ふ〜、重かった」
どさっと玄関先に荷物を置くと、佐倉さんがやってきて目を丸くした。
「連泊するにしても荷物多すぎない? 何持ってきたの?」
「伝説のバスケ漫画の完全版、全巻大人買いしちゃった。佐倉さんにもぜひ読んでもらおうと思って」
「・・・私、スポーツに全く興味ないんだけど」
「知ってる。でもテニス部の顧問になったんでしょう?」
「運動音痴で全くテニスの知識がないからって断ったんだけど、いるだけでいいからって頼まれて仕方なく。だから本当に何もしてない。生徒も諦めてる」
「あ、そうなの?」
「それに私、あまり漫画って読まないから。漫画って子供が読むものでしょう?」
(出たよ。佐倉さんの食わず嫌いからくる思い込み発言)
音大出身の佐倉さんは、ピアノ演奏に支障が出るからと、子供の頃からスポーツは一切やらずにきたらしい。
学生時代からオタクの私とは大違いで、漫画を読む暇があればピアノの練習に打ち込む、そんな真面目で頑固な人。
しか〜し、私はそんな佐倉さんのガッチガチの価値観をぶち壊して、新しい世界の扉を開けるのが好き。
「佐倉さんがハマってる推理ドラマ、あれ漫画が原作だよ。私、犯人知ってる」
「えっ!? 嘘っ、言わないで!」
「つ〜か、最近のドラマも邦画も、ほとんど漫画が原作だからね。日本の漫画ってジャンルが多様だし、ストーリーも奥深いから、今や海外でも人気なんだよ」
「そうなんだ。知らなかった」
「私らの世代で、このバスケ漫画読んだ事ないなんて、天然記念物レベルだからね。履修してください」
そう言って漫画の入ったカバンを渡すと、佐倉さんはしょっぱい顔をした。




