骨肉之親
時間通り黒木さんのご家族が迎えに来て、安心したのも束の間、何やら不穏な気配になってきた。
どうやら弟の夏生さんは、行方不明だった姉が見つかったとだけ伝えて、悠里さんの不可解な状況については説明していなかったらしい。
(大事な事なのに、どうして内緒にしてたのかしら? そりゃあ、タイムスリップなんて言われても、信じられない気持ちは分かるけど)
だけど、当時の姿のまま見付かった事実は、家族に話しておくべきだっただろう。
第三者の私から見ても、奥さんと娘さんは明らかに動揺している。
それに、これから悠里さんと一緒に暮らす事も、奥さん達は初耳だったようだ。
娘さんは「ええっ!?」と驚いた表情のまま固まり、奥さんはキッと夏生さんを睨んだ。
「お姉さんの状況、どうして教えてくれなかったの?」
「いや、だって信じられるか? ちゃんと確かめてから説明しようって思って」
「そうだとしても、一言話してくれてもよかったじゃない!?」
「ごめん」
「それに一緒に暮らすって何? 初めからそのつもりだったの?」
「え?あ、ああ。迎えに行くって言っただろう?」
「ちゃんと言ってくれなきゃ分からないわよ、そんなの!どうしてそんな大事な事を相談もなく1人で決めるわけ?」
「すまん、言葉が足りなかった。でも俺も昨日突然連絡もらって、どうしていいか分からなくて」
「だったら尚更相談してよ!それとも何?この先の事、全部あなたが責任持ってやってくれるの?」
「ああ、勿論だ。これは俺の家族の問題だから」
(うわぁ、そんな言い方したら火に油を注ぐだけなのに・・・)
ドキドキしながら奥さんに目をやれば、案の定、怒り心頭のご様子。
奥さんは冷静になるよう努めているのだろう、目を瞑って大きく深呼吸をした後、静かに目を開いた。その眼差しは冷え切っている。
「・・・そう。じゃあ諸々の手続きも、当然あなたがやるのよね?役所への届けとか、学校の編入手続きとか、世間への説明とか」
先程とは違い、感情を抑えた落ち着いた話し方。
心なしか、部屋の温度が少し下がった気がする。
「え?や、ちょっとは協力して・・・」
「私、他人から何を聞かれても、知りません、わかりません、主人に聞いて下さい、で押し通すわよ。だってお姉さんの戸籍がどうなってるか本当に知らないし、何も聞かされてないもの」
「美冬・・・俺が悪かった。話し合おう」
「必要ないんじゃない?あなたのご家族の問題で、あなたが責任を取ると言ったんだから。ご勝手にどうぞ」
(うわ〜、ど、どうしよう)
ヒートアップしてきた夫婦喧嘩にどうしていいか分からずオロオロしていると、河野さんが話しかけてきた。
「佐倉さん、生徒さんの神楽を見に行くんでしょう?時間大丈夫?」
「え?あ、もうこんな時間。すみません、それでは私達はこれで失礼します」
河野さんのおかげで、部屋を退出するきっかけが作れた。早々に退散しないと。
挨拶をしてそそくさと部屋を出ると、河野さんもそれに続いた。
「それじゃあ失礼します。悠里ちゃん、元気でね」
河野さんが扉を閉める前に手を振ると、目に涙を溜めた黒木さんが追ってきた。
「悠里、どこ行くの?」
「ちょっとそこまで2人を見送ってくる」
「お婆ちゃん、慌てると危ないよ」
黒木さんが私達について部屋を出ると、不安そうな顔したお母さんと、夏生さんの娘の陽菜さんもついて来た。
夫婦はまだ言い争っているから、居た堪れなくなったんだろう。
階段を降りて出入り口に来ると、黒木さんは深々とお辞儀した。
「佐倉先生、どうもお世話になりました」
「どういたしまして」
「桃香さんも・・・本当に、色々ありがとう」
「うん、家族と仲良くね」
河野さんがそう言って微笑むと、黒木さんはクシャッと表情を崩した。
「私、一緒に暮らしても・・・いいの、かな?・・・私がいると、迷惑みたい」
「悠里!」
ボロボロと泣き出した黒木さんを、少し遅れてきたお母さんが抱きしめる。
「何言ってるの。いいに決まってるでしょう」
「お母さん・・・」
「あんたは何も悪くないから。何も気にしなくていいのよ」
「・・・でも、私、普通じゃないし」
「ほら、泣かないで。大丈夫だから」
「・・・うん」
「息子夫婦がお恥ずかしいところをお見せして、すみません」
お母さんに頭を下げられ、「いえ、気にしてませんから」と慌てて取り繕う。
これ以上巻き込まれなくない。
早くこの場を去りたいのに、お母さんの愚痴は止まらない。
「それにしても、美冬さんにはガッカリだわ。あんなに薄情な嫁だとは思わなかった」
憤慨するお母さんの横で、陽菜さんが気まずそうに俯く。
「そうですか? 私は、しっかり者のいいお嫁さんだと思いましたけど?」
「「「えっ?」」」
河野さんの意外な言葉に、黒木さん達が驚いて顔を上げた。
「だってあんなに問題点が言えるのは、具体的に悠里ちゃんとの暮らしを想像したからですよ。お嫁さんが怒ってるのは、悠里ちゃんと一緒に暮らす事じゃなくて、旦那さんが何の相談もせず勝手に決めた事と、現実的な事を考えてない事だと思いますけど?」
河野さんがそう言うと、黒木さんと娘さんの表情が明るくなった。
「確かに・・・一緒に暮らしたくないとは言ってなかったかも」
「そうよ!何も話してくれなかったお父さんが全部悪い!」
陽菜さんが黒木さんの腕をとった。
「私もお母さんも、悠里伯母さんに会えるのすごく楽しみだったんだよ。私より年下だし、突然一緒に暮らす事になってビックリしたけど、初めて見た時、仲良くなりたいな〜って思った。ホントだよ」
「陽菜ちゃん・・・。私も、陽菜ちゃんと仲良くなりたい!」
2人は微笑みあって手を握った。
(良かった。問題は色々あるけど、少なくとも家族は受け入れてくれたみたい)
これで一安心。私達は晴れてお役御免だ。
「それじゃあ、失礼します」
「見送りありがとう、元気でね」
「はい。本当にありがとうございました。さようなら」
こうして私達は黒木さん達に別れを告げた。
***
頂いたお菓子を置きに一旦家に戻り、そこから歩いて祭りのメイン会場を目指す。
普段は人通りの少ない道路だけど、今日は花火目当ての車でいっぱいだ。
神楽はそろそろ始まっているけれど、生徒の出番まで十分時間があるので、先程頂いた謝礼金で屋台グルメを堪能する事にした。
「ああ、たこ焼きが私を呼んでる〜」
香ばしいソースの匂いに抗いきれず、河野さんがフラフラとたこ焼きの屋台に吸い込まれていく。
「すみません、ネギたこ一つ下さい。佐倉さんは?」
「私、祭りのメインは焼きそばって決めてるの」
「ふ〜ん。あ、ありがとうございます」
目当てのたこ焼きをゲットした河野さんは、上機嫌だ。
「じゃあ次は、私の焼きそば買いに行こう」
「うん、あっちにお店があるね・・・あ、唐揚げ!佐倉さん、一個買ってシェアしよう!」
焼きそばと唐揚げを買った後、通行の邪魔にならない場所に座って腹ごしらえ。
焼きそばのコッテリしたソースが沁みる。
屋台の焼きそばって、どうしてこんなに美味しいんだろう?
食後、金魚掬いや射的などの屋台を冷やかしながら、メイン会場に向かって歩いていると、甘い香りが漂ってきた。河野さんの目が輝く。
「ベビーカステラがある!」
「わぁ、美味しそう。買っちゃおうか」
ワクワクしながら2人で列の最後に並んでると、誰かが河野さんに抱きついてきた。
「桃香さん!」
「わっ!・・・えっ、悠里ちゃん?」
さっき別れたばかりの黒木さんだった。
「どうしたの?」
「夏生の馬鹿、まだ奥さんに怒られてるの。でもせっかくのお祭りだし、お腹も空いたから、屋台で何か食べようって話になって。そしたら桃香さん達がいたから」
悠里さんの後ろには、お母さんと陽菜さんが立っていた。目が合ったので、お互いに軽く会釈する。
「佐倉先生、これから神楽見にいくんでしょう?私達もご一緒していいですか?」
「ええ、勿論。あ、そうだ。昨日、村長さんの息子の清海君に会ったのよね?一人剣を舞うの」
「わぁ、花形じゃん。凄〜い」
黒木さんが感心してる横で、陽菜さんは首を傾げていた。
「何それ?」
「石長神楽の演目の一つ何だけど、結構激しくて、すごく体力がいるんだよ」
「ふ〜ん、私、神楽って見たことない。なんか難しそう」
「全然難しくないよ。小さい頃でも何となく分かったし、神話とか知ってると、もっと面白いよ」
「へぇ」
陽菜さんは神楽に全然興味がないみたい。
でも実物を見たら、その迫力に少しは興味が湧くかも。
何を隠そう、私もそうだった。この村に来るまでは、神楽を見る機会がなかったし、何なら神楽面を初めて見た時は、ちょっと不気味だと思ったくらいだ。
けれど実際に神楽を見て、そんな思いは彼方へと追いやられた。とても素晴らしい文化だ。
特に、神話の神々や土地の神、狩猟神などを織り込んだ冬の神楽は、とてもユニークて見応えがある。
親から子へ、そして孫へ。
古くから伝承され今に至る、神楽にに込められた村人達の想い。
舞を通じて、神様への畏敬の念と、この土地への深い愛情を感じた。
冬の神楽の演目は、とても長い。夜通しかけて踊り、それが翌日の昼まで続くが、今日は祭りなので、一部の演目しか見ることは出来ない。
でも舞手にとっては貴重な披露の場だし、観客にとっても伝統芸能に触れるまたと無い機会だ。
「私も神楽を直接見た事ないから、すごく楽しみ」
河野さんが言うと、黒木さんは嬉しそうに笑った。
***
メイン会場に着くと、ちょうど舞が始まるところだった。
注連で囲まれた御神屋の中は、平安時代のような衣装を着た人々が笛や太鼓を演奏を始める。
その音色に合わせて、狩衣を着た舞手が、手に榊と神楽鈴を持って優雅に舞い始めた。
ただ観客は思ったよりも少ない。
何かやってるなぁという感じで、遠くで立ち見している人が多いのだ。
「あ、あそこ空いてる」
河野さんが人数分のスペースを見つけ、皆で移動して腰を下ろす。
「ラッキーだったね」
と話しながら鑑賞していた時だった。
「燈子さん?」
村長のお母さんがやって来て、黒木さんのお母さんに話しかけた。
「え・・・?千代さん?」
「ああ、本当に燈子さんじゃ。元気しとったね?」
「まあ、懐かしい。私の事、覚えてくれてたの?」
「当たり前やが。悠里ちゃんが生きとって、本当に良かったねぇ」
2人は涙ながら手を取り合い、神楽そっちのけで話し始めた。
懐かしいのも、嬉しいのもわかる。
でも、全然神楽に集中出来ない。
河野さんも、隣でしょっぱい顔をしている。
彼女は公共マナーのない大人が嫌いで、タバコのポイ捨てや、道路を塞いで歩く人、観劇中に大声で話す人が大嫌いだ。
周りに配慮しない自己中心的な人に対して、河野さんは遠慮なく正論パンチをお見舞いするので、冷や冷やしていると、黒木さんが注意してくれた。
「2人とも声が大きいよ。周りの人の迷惑だから、話すなら向こうに行って!」
叱られた2人は、大人しく神楽を見始めた。ようやく周りの目に気がついたらしい。
3つ目の演目が終わると、千代さんが小さな声で呟いた。
「次、清海の出番じゃ」
羽笠に白衣、黒襦袢、白足袋、腰に赤い襷という姿で、手に扇と神楽鈴を持った清海君が舞台の中央に立つと、客席が盛り上がった。
退屈そうにしていた眺めていた陽菜さんも、同世代の清海君の登場に興味津々だ。
シャン、シャン、シャララン。
舞の動きに合わせて、清浄な鈴の音が辺りに響き渡る。
神の恵みのお陰で、豊作である事の喜びを表現した舞。
この舞は小道具を次々に変えて、だんだんと激しくなり、最後には小刀2本を使って舞う。
舞終わると、客席から大きな拍手が起こった。
私達も惜しみなく拍手を送る。河野さんも陽菜さんも「凄い上手!」と褒め称えた。
(私の生徒、凄いでしょ)
実のお婆さんの千代さんがいるので、心の中で自慢していると、黒木さんが呆然とした様子で呟いた。
「・・・思い出した」