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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

歪んだ心

作者: メンタイ

 白衣を着た医師が、診察台に寝かされた私に近付いてくる。

 透明の液体が入った注射器を向けられた時、私は思わずきつく目を閉じた。


 醜い顔に変形してしまった私を、両親は愛してくれなかった。

 記憶の奥にぼんやりとした思い出しかないが、赤ん坊の頃は両親も愛してくれていた。

 いつも添い寝をしてくれたお母さん、笑顔で遊んでくれたお父さん、あんなに幸せだった頃もあったのに……。

 一年の短期間で、身体は倍以上大きくなり口は醜く裂けてしまった。

 そして、両親の態度が変わった。

 お父さんは明らかに私を避けるようになった。仕事から帰ると真っ先に遊んでくれていたのに、遊びはおろか相手すらしなくなってしまった。

 ある日、決定的なことを言われた。

「臭いからあっちに行け」

 この一言が、私の心を傷つけた。傷ついた私はその日以来、お父さんと以前のように接することが出来なかった。怯えた上目遣いでしか、お父さんを見ることが出来なくなってしまった。その態度がお父さんを更に苛立たせたのだろう。ますます私に辛く当たるようになった。

 お父さんだけなら辛い仕打ちも耐えられたかもしれない。だが、いつしかお母さんにも伝染してしまった。お父さんと同じように私にきつくあたり、二人からは躾と言う体罰が繰り返された。

 躾と称して体罰を繰り返し、エスカレートすると食事も満足に与えてくれない。それも、食事とは言わず、私だけエサと呼ぶ食べ物を与える。

 赤ん坊の頃は、可愛い可愛いと両親から言われていたのに、どうしてこんなに醜くなってしまったのだろう。今ではこの醜い顔も、鏡では見ることも出来ない。見たくはない。見たくはないが、その鏡が私の部屋にはない。

 私は五年前から、外のみすぼらしい小屋に隔離されてしまった。

 五年前、私が二歳の時に妹が生まれたからだ。

 家の中で私は臭いと怒鳴られ、座っていた場所によだれが落ちていれば汚いと罵られた。

 ある夜、両親の会話を聞いてしまった。

「赤ん坊に良くないな。風呂入れてないから臭いだろ」

「そうね、もう一ヶ月以上入れてないかな」

「たまには入れろよ。汚いし臭いから」

「そんなこと言っても大変なの。あんなに大きくなったし、嫌がるから面倒なのよ。それに私は赤ちゃんの世話で忙しいの。そんなこと言うならあなたが入れてよ」

「前は小さくて可愛かったのに、まさかあんな醜くなるなんて……外に出そうか」

「どこに?」

「外の納屋の隣に、俺が小屋作るよ」

「そうね。最近、赤ちゃんをじっと見ているから……それじゃ、早速お願いするわね」

「ああ……」


 それからすぐに、狭い小屋に押し込められた。

 ベニヤを囲んだだけの簡単な小屋は隙間が多く、所々に雨水で出来たシミが浮き出ている。

 寒い冬だと言うのに、私は薄い毛布一枚しか与えられていない。薄い毛布で身体を包んでも、地べたの冷たさが芯まで伝わった。

 隙間風が吹きつける夜、私は一人ぼっちの暗い小屋で、寂しさと辛さをじっと耐えるほかにすることがなかった。

 小屋の外に目を向けると、家族の住む家が見える。

 家の窓から温かい灯りが漏れ、楽しそうな笑い声がこの小屋まで聞こえてくる。

 あんなに楽しそうに、何を話しているのだろう。どうしたらもう一度、あの温かい灯りの中に戻れるのだ。

 戻りたい。

 もう一度、あの温かい灯りに包まれたい……

 あいつさえ、あいつさえいなければ……

 殺してやる。

 毎朝決まって、妹は私の小屋に来る。馬鹿にしたように、「エサ食べな」と食事を与えに来るのだ。そして、私が文字を読めないのを知っているのに、時々手紙を書いて渡す。私の無知を嘲笑うためだろう。

 明日の朝、絶対殺してやる。

 決意を固めると高揚感で頬が熱くなった。だが、私をあざ笑うかのように、小屋の隙間から冷たい風が吹きつける。私は怠慢な動作で汚い毛布に包まると、楽しい明日の朝を思い描いた。

「明日でこの生活も終わる」

 そう心の中で呟くと、温かな家族の灯りが漏れる窓をじっと睨みつけた。


 いつもの慌ただしい朝が始まった。

 お母さんは台所で朝の食事を作り、リビングではお父さんと妹が、会社と幼稚園に行く前のおしゃべりを楽しんでいる。私は小屋から顔だけ出し、幸せな家族の音を恨めしく聞いている。

 私は幼稚園など通わせてもらったことがない。

 両親と顔も体つきも似ている妹は、何から何まで特別扱いだ。綺麗な洋服を着せてもらい、髪飾りを私に自慢する。

 裸の私には、毛布一枚しか与えられていないのに……。

 台所からお母さんが妹を呼んだ。

「恭子ちゃん、エサ持っていって」

「はーい」

 恭子の元気な声が聞こえ、しばらくすると玄関のドアが開いた。全開になった玄関のドアから、小柄な恭子が両手に皿を持って出て来る。

 私は小屋の隅で身体を屈め、耳を澄ませた。

 タッタ、タッタ、タッタ、タッタ……

 恭子は軽やかなステップで小屋に近付いてくる。

 私は嬉しさのあまり、低い唸り声をあげた。

 グゥルルル……


 小屋の前に恭子が立った。

「はいポチ、エサ持ってきたよ。大きいからいっぱい食べてね。それと、これは恭子からの…」

 恭子が小屋を覗き込んだので、私は反射的に飛び出した。

「ギャッ……」

 恭子が小さな悲鳴を上げると、白い器と小さな封筒が宙を舞った。だが目標は決まっている。細い首に噛み付き、犬歯が骨と肉を砕いた。

 ゴキッ

 白目を剥いて倒れこむ恭子に馬乗りになり、容赦なく下あごに力を入れる。

 口の中に血が溢れ、舌に鉄の味が絡みつく。

 私は恭子の細首に噛み付いたまま、毛で覆われた四足で立ち上がった。

 口から溢れ出た血が、よだれと共に前足に流れ落ちる。前足で踏んでいる何かのキャラクターが描かれた封筒に、何滴もの血がボトボトと落ち、恭子の赤い血を染み込ませた。


 保健所の何人かの職員が朝夕二回、無関心を装い私に食事を持ってくる。だが、一人の職員はとても優しく接してくれるので、私も心を許していた。その職員が私を見つめて、寂しそうな顔で微笑んだ。

「お前は馬鹿だな……これが最後の食事になるからいっぱい食べなさい」

 差し出された器は、いつもの形が変形した汚いアルミ製の器ではなかった。

 よく見ると、あの日、恭子が最後に持ってきた真新しい白い器だった。

 職員は白い器を置くと、可愛らしいキャラクターがプリントされた小さな封筒を私の目の前に差し出した。所々に黒い染みがついた、その封筒も憶えている。

「その白いお皿とこの手紙は、今朝、お前の飼い主から……今では元飼い主だな。宅配便で送られてきた。職員宛の手紙には、お前を火葬するときに一緒に入れてくれと書いてあったが、それは出来ないのだ。お前に見せるだけしかできない。すまんな」

 職員は封筒から同じようにプリントされた小さな手紙を取り出すと、「お前には理解できないだろうけど、俺が代わりに読む……」独り言のようにつぶやき、目を細めて読み始めた。

「ポチ、お誕生日おめでとう。恭子が選んだ白いエサ箱、気に入ってくれといいな。大好きなポチへ、恭子より。亡くなった娘さんだ。つたないけど可愛らしい字で書いてあるぞ……誕生日くらい嫌いでも汚いからちゃんとお風呂に入ろうね。ママより。一軒家は快適ですか。パパ……か、あの日はお前の誕生日だったのか。飼い主は家族のように思っていたようだな」

 しばらく手紙を見つめていた職員だが、手紙を封筒に戻すと白い器の横にそっと置いた。

「こんなに大事にされていたのに、じゃれた勢いで娘さんを噛み殺してしまうなんて。娘さんはもちろん可哀想だが、お前も可哀想に……」

 目を赤くした職員は私の頭を何度も撫でる。涙を拭いて憐みの視線を逸らすと、無言で立ち上がり檻のカギを閉めた。

 檻の向こう側から憐みを装った顔で頷くと、全てを伝えた安堵感からなのか、満足げな横顔を向けて人間社会に戻って行った。

 あたかも、人間が言っていることが真実であるかのように。

 私の体験したことは真実ではないのか? 私にできた心の傷は真実ではないのか?

 いや、真実だ。家族から疎外され、心の傷口から黒い血が溢れ出したのは真実だ。

 だが、私は人間ではない。いくら心の中で悲痛な叫び声を上げても、人間には届かない。裁くのは人間。真実を決めるのも人間。


 白い器に入った最後の食事を食べ終わると、白衣を着た男が現れた。

 赤ん坊の頃に味わった、あの家の温かい灯りに包まれることは、もう二度とない。

 今私は、保健所で安楽死の執行を待っている

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