ルイと編集長
「この子がルイ?」
「ニャ」
編集長がルイに触れようとすると、ルイは毛を逆立てて威嚇した。
編集長は苦笑いをするしかない。
「何も聞かないのですか? さっきのこととか」
「······聞いて欲しい? 嫌なら話さなくても構わない。リエ·ブラッドリーもエリス·ブラックも私は十分信用しているよ」
「······ありがとうございます」
「それよりも、申し訳ない、今夜だけここに泊めてもらえると助かるのだけれど······」
部屋の長椅子は小さめで、私が寝るにも少し丈が足りない。それに今日は色々疲れたので寝台で手足を伸ばして横になりたい。
ルイはいつものように寝台のど真ん中を占拠した。
「一緒ですみませんが······」
「いや、こちらこそ、すまないね」
「ウニャ」
私と編集長はルイを挟んで、それぞれ両端で眠った。
大きめの寝台で良かった!
朝目覚めると、ルイの横に見覚えの無い美しい青年が眠っていた。びっくりしてのけぞってしまった。
「······!」
口を押さえてなんとか悲鳴を堪えた。
その代わり、編集長の姿が見当たらない。
もう家を出ていったのだろうか?
だとしたら、この人は······誰?
「ン······」
青年は寝返りを打った。
ルイは大人しくその青年に寄り添って眠っている。
私は寝台をそっと抜け出して、朝食の支度をすることにした。
自分用の珈琲を淹れていると、寝室からルイがしっぽを立てて駆けてきた。
ルイ用のゴートミルクをボウルに注いであげた。
またこのルイ用のボウルを使えて嬉しい。ルイ用の寝台をまた出してあげなくちゃね。
「······おはよう、いい匂いだ」
寝室からまだ眠たそうにやって来たのは編集長だった。
も、もしかしてあれは······編集長だったの?
「おはようございます、お加減はいかがですか?」
何も見なかったことにして、いつもの編集長への態度で接することにした。
私だって人には言えないことがある身の上だ。
誰にでも人に言えない秘密や事情はあるものなのかもしれない。
だから私は編集長の秘密を詮索はしない。
こちらに不利益や危害を加えられたりするものでなければ、静観する。
編集長の姿でいる時は、ルイはなぜか彼に近寄らない。
それは彼が魔法を使って変装しているから?
フローネが王太子妃になって落ち着いたら、彼に自分のことを話してもいいかもしれない。
***
その日は思いがけず早くやって来た。
編集長はあれから私のアパルトマンへ時々通って来るようになった。
「最近隣国の王太子妃になった女性は、君の妹さんなんだね」
「ええ、私の妹です。まだ16歳で若いですけれど、実に頼もしい子ですわ」
編集長は私の出自をきっともう知っているのだろう。
「先日亡くなった王太子は、私の元夫でした。私との間に子どもはなく、夫の愛人が妊娠したので離縁したのです。まさかこんな事態になるとは思いもしませんでしたが······」
「······元夫が亡くなって、悲しいかい?」
私は首を横に振った。私は酷い女かもしれない。
「······気の毒だとは思いますし、死を悼む気持ちはありますが、涙すらも出ません。私は夫を愛してはいなかったのです」
ルイがうつむいた私の膝に軽やかに飛び乗って来た。
「ニャニャ、ニャニャニャニャ」
まるで私の発言に「そうそう、そうなの」と同意しているかのように鳴いた。
「私は国を離れても、やはり自国を心配していました。今度の新しい王太子様は善き王になられると思います」
「じゃあ、もう何も心残りは無いんだね?」
「······はい」
編集長はホッとしたように微笑むと、変装を解いた。
金髪碧眼の美麗な青年の姿になった。私よりもいくらか年長のようだ。
「私はこの国の王族でね。先王の落胤だから王位継承権は持っていない。それで今はしがない雑誌編集長さ」
「素敵なお仕事ですわ」
「······君はこの姿に驚かないんだね」
「ええ、以前に見て知っていましたから」
「それはいつ?」
「あなたが刺されて、うちに泊まった時です」
彼は私にバレていたとは思ってはいなかったようだ。
「こんな私だけれど、どうか私と結婚してくれないだろうか?」
彼が私の手の甲にキスを落とした。
「はい、喜んで。あ、でも私は自国では死んだことになっているので、それでも構いませんか?」
「知っているよ、後9年は入国できないことも」
「どうしてそこまで御存知なのですか?」
「ルイが全部教えてくれたよ」
「ウニャ~ゥ」
フローネが二度目に置いていったルイは私の監視用ではなくて、私と編集長の仲を取り持つ役だったようだ。
時々人の言葉で話すルイって!?
いつの間にそんなことをルイに仕込んだのだろうか。
自分の妹ながら恐ろしい······。
***
私はルイを連れて、編集長の自宅へ移り住んだ。
アパルトマンは気に入っていたので名残惜しかった。
編集長の家は立派な邸宅だった。編集長は伯爵位を受けているようだ。
結婚後も翻訳の仕事は続けさせてもらえた。
侍女にお世話される生活に戻ったので、翻訳作業に没頭できた。
私は没頭し過ぎると、食事をするのも忘れててしまいそうになるので、ここにいるとそれを避けることができるから良かったわ。
従姉にも祝福されて、私リエ·ブラッドリーはリエ·オコーネル伯爵夫人になった。
ちなみに編集長の本名は、ジョルジオ·シュテファン·オコーネル。
ペンネームのジャン·リュック·オコーネルの方が名のりやすく呼びやすいと彼は言うけれど、私は「編集長」が一番呼びやすい。
エリス·ブラックのペンネームは冒険小説の翻訳家としてこの国では知らない人がいないほど有名になることを、私も編集長もこの時はまだ知らなかった。
後、1話です。