お家騒動
「ここへ座ってちょうだい」
フローネはルイを抱きながら寝台から長椅子に移って腰掛けた。
「あら、美味しい! これ、もしかしてお姉様が作ったの?」
「そうよ」
紅茶と一緒に出したメレンゲたっぷりのケーキがお気に召したようだ。
ルイには魚の身をほぐして骨を取ったものを与えた。
「それで、どうしてここに?」
「王太子様が再婚したのはもう知っているわよね」
「なぜルイス殿下が廃嫡に?」
「子爵令嬢の背後の勢力が突然牙を向いたのよ」
「王妃様は?」
「毒を盛られて倒れたという話よ。お父様が言うのだから間違いないわ」
妹には我が公爵家はじまって以来の魔法の才能がある。確か聖女並みの治癒魔法も使える筈だ。
勝手に人の留守宅に入るなんて朝飯前なのよ。
「あなたの治癒魔法で王妃様を助けて差し上げたら?」
「ええ~、嫌よ。私、あの人苦手なの」
フローネは眉間に皺をよせた。
プラチナブロンドに菫色の瞳が不機嫌そうだ。
「あなたに助けられたら、これから尻尾を振るようになるかもしれないわ」
「恩を売るってことね」
妹はこれで三切れ目のケーキを自分の皿に乗せて凄い勢いで食べている。
本当に気に入ったようだ。
妹は気まぐれで、人の好き嫌いが激しい。
見た目は誰よりも聖女のような清廉な美しさなのだが、実はかなり腹黒い。
私のところにルイを寄越したのも、単に監視目的ではなくて、面白そうだからというお遊び感覚からだろう。
「お姉様ったら、ルイが監視用ってすぐに気がついてしまっては、つまらないじゃないの」
「ルイス殿下はどうなさっているの?」
「お父様が保護しているわ。私と結婚させるつもりよ」
「いいじゃない。王太子派を打ち破って、ルイス殿下を王太子に返り咲きさせたら、あなたが未来の王妃よ」
「それは悪くないわね」
こう見えて、妹は地位や権力が大好きだ。
王妃になるのは私などよりもずっと向いている筈だ。
妹は「じゃあまたね」と言うと、瞬時にルイと共に消え去った。
「ふう······」
溜め息をつきながらテーブルを見ると、残りのケーキも全部消えていた。
うう、私の夕食を······。
ここで暮らすようになってから、夕食を軽食で済ます癖がすっかりついてしまっていた。
ケーキは諦めて、野菜と茸のスープを手早く作って腹を満たした。
ルイもいなくなって、部屋はいつも以上に静かになった。
翌日、ルイの寝台を取り敢えず片付けて、布団を天日干しするなど部屋の大掃除をした。
昼過ぎに市場へ食材の買い出しに行き、午後は自分が翻訳を担当する冒険小説を読んで過ごした。
夜半に思わぬ来客があった。
「編集長、どうなさったのですか?」
「すまないが······少しだけ休ませてもらえないだろうか······」
両手で押さえている脇腹からは血が滲んでいた。
「どうぞ中へ」
編集長を昼間天日干ししたばかりのふかふかの寝台へ横たえた。
傷口を確認すると、刺し傷が2ヵ所ほどあった。
妹のような傷まで全部消してしまえる完璧な治癒魔法は使えないけれど、傷口を塞ぎ出血を止める応急措置の魔法ぐらいなら私でも使えた。
傷口の血を拭い、消毒した後に包帯で巻く。
編集長の血のついた手をすすぎ、顔や首元の汗を蒸し布でそっと拭った。
「う······」
少し眠っていた編集長が眼を開けた。
「······君の猫はどこ? ルイという名前だったかな?」
「それが、昨日飼い主が引き取りに来たんです」
今はルイの爪を研いだ跡が柱に生々しく残っているばかりだった。
編集長は私の家の近くの通りで、他誌の過激な記者と間違われて襲われたという。
年齢も背格好も全く違うというのに、とんでもなく迷惑な人違いだった。
「でも、無事でなによりですわ」
「······これを無事というのかは疑問だけどね」
「ご家族が心配していらっしゃるのでは?」
「私は独り身だよ」
「それでも、どなたかお知らせする方がいらっしゃいますよね?」
「······それなら、君かな」
「えっ?」
「このまま死んでしまうかもと思ったら、君の顔が浮かんだ」
編集長の言葉に驚いていたら、 部屋の空気が一瞬震えた。
「ああっ、いいムードなのに邪魔してごめんなさい、ちょっと急ぐので!」
「ニャニャー」
また妹がルイを連れて騒々しく現れた。
「······今度は何?」
「王太子が暗殺されたわ」
「どうなっているの!?」
「ふふふ。面白くなって来たわ。私、王妃に絶対なって見せるわ! はい、ルイは置いていくからよろしくね」
勇ましい妹は瞬く間に消えた。
本当に神出鬼没だ。
「ニャニャニャ」
ルイもそれは同意らしい。