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ソレイユは扉を開けたはいいものの、外に誰もいないのに驚いて周りを見回す。ホテルの廊下はいっそ面白い程にがらんどうで、とてもじゃないが人間がピンポンダッシュして隠れているとは思えない。いや、そもそもあの真面目な男がそんな可愛いイタズラを仕掛けてくるはずがないか。背中を嫌な汗が流れていく。
その時、視界の下部で何かが跳ねた。と思った途端、左のふくらはぎに激痛が走る。ソレイユはくぐもった悲鳴を上げ、蹲った。入れ替わるように現れた黒髪の女が目の奥に怒りの炎を激らせて見下ろす。
「くっそ……」
「はしたないのね」
睨み上げるソレイユの瞳を真正面から受け止めて、女は言った。その堂々たる態度から確固たる殺意を感じたソレイユは、「あらそう思われたならごめんなさいね」と食いしばった歯の隙間から煽る。傷の確認をしたいが、目を離せば傷は一つで済まなくなるだろう。チカチカする目を、気合いで律して立ち上がる。
「素敵なお召し物と思ったけど、それ毎日着てらっしゃるの?不潔ね」
「男みたいな服の貴女に言われたくないわ」
「着飾りゃあんたよかよっぽど美人よ、ばーか」
けらけらと煽り笑いのソレイユ。女の目に灯る炎がかっと燃え盛る。彼女は激情のままソレイユの首に両手を伸ばすが、だくだくと脂汗を流すソレイユはこれを避けられず首を絞められる。
「お前、ジョナサンを裏切ったな」
「はぁ?」
「しらばっくれるな!」
ヘラヘラ半笑いを浮かべる裏で、ソレイユは激痛で鈍る頭を必死で回転させる。裏切りの意味が分からない。というか、彼女と彼の関係が。
まあ、やることは変わらない。ソレイユは腹を決め、女の頬めがけて唾を吐く。
「きったないわね!」
「ごめんあそばせ。はしたないの私」
手が離れたのをいい事に、彼女は左足を一歩下げて距離を取る。同時にウェストバッグから愛用の小型拳銃、べホラを抜き取り、女の脇腹に一発撃ち込んだ。案外軽い銃声と、それに重なる悲鳴。
「良かったわねえ、新しい服に着替えるきっかけになったんじゃない?」
「ふざけないで!くそ、こんな女に……」
「やだ、はしたない」
前屈みになって睨み上げてくる女の腹からだくだくと零れ落ちる光の粒を見て、ソレイユは目を細めた。なるほど、妖精族だったか。仕留めるには気が引ける相手だが、こうも敵意を持たれては、やるかやられるか。しかし……
ソレイユは新たに浮かんできた脂汗を袖で拭う。気合いで立っているが、どうやらふくらはぎの傷はただの傷ではなさそうだ。頼むからさっさと帰ってくれ。ソレイユはその一心で虚勢を張る。
「生かしておいてやれば偉そうに……!」
「はぁ?殺し損ねたの間違いでしょう?」
視界はキラキラチカチカ瞬き続けて、もう女の表情も碌に見えない。長引けば長引くほど不利になる。ソレイユは勝負に出ることに決め、拳銃を女の頭に突きつける。
「さあ、さっさと逃げなさいよ。今なら逃してあげるから」
最早ソレイユにとって女はぼやけた黒い塊にしか見えないが、それが微塵も動く気配を見せないので焦る。引き金を引くしかないのだろうか。流石にそれは気が引けるのだけど。だけど。ソレイユは引き金にかける指に力を入れる。だけど、こんなところで死ぬわけにはいかないので。
突然背後で「シャー」という音がして、ソレイユは慌てて左手にバタフライナイフを持つ。一応後ろに向けはするものの、気休めだ。一体何がいるのかは知らないが、目の前の女に動揺が見られないということは女に利する何かだろう。ソレイユはいよいよ覚悟を決める。既に目はおろか体も使い物にならない。どちらかに飛びかかられたらろくな抵抗もできないだろう。
だが、神はいるもので。再び背後で「シャー」という音がしたと思えば、女が明らかに狼狽し、遂に舌打ちを残して走り去っていったのだ。黒い塊が遠ざかるのを横目で確認しつつ、ソレイユは背後に迫っていたものを確認する。
「……蛇?」
ぼやけた視界で細長い何かが自分の足元を抜けて女を追っていくのを見て、彼女は呟いた。ここで仕留められそうではあったが、下手に攻撃して女が戻ってきては困る。腹への一発でおあいこにするのが落とし所か。
「ふ」
落とし所、ね。笑える。ソレイユはズルズルと壁伝にずり落ちるようにして座り込み、ポツリと「むかつく」と呟いた。案外ソレイユは負けず嫌いで強情なのだ。だが……
「やりづら……」
そう言って彼女は目を閉じた。あの妖精について色々と思うところはあるが、とにかく気力も体力も限界だ。足の傷からは血がどくどくと流れ出ている。
ユニークアクセスは2日遅れで見る事ができるので、今朝初めてこのお話を追ってくださっている方がいる事を知る事ができました。拙作ながらこ心を込めて書いた作品、気にかけてくださる方がいるのはありがたい限りです。
さて、敵の攻撃が激化していくタイミングではありますが、明日から一日一話夜更新に切り替えます。ご承知おきください。