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 ジョナサンは怒りのまま病院へ向かう。出来ることは無くとも、せめて両親の顔をもう一度この目で見たかった。治っていてくれとまでは願わない。せめて無事でいてくれたらそれでいい。そうすれば……

 止まってしまう思考。そうすれば何だというのだろう。ジョナサンは頭を掻く。彼は黒髪の女の顔を知らない。ソレイユの口ぶりからすると印象的な女性のようだが、そもそも頑なに自分の前にだけ姿を見せない相手を見つけ出すというのは、素人考えでも難しい。

 それでも、助けたいと思う。大切な人達だ。最初は助けて欲しかった。だが、彼女、チェルシー・ソレイユは自分を殺そうとするものに対して対話を試み、理解しようとするような人だった。もちろん、それも一つの道だろう。和平。素晴らしい事だ。だがジョナサンは、結婚前の女性の肩をぐちゃぐちゃにした相手に歩み寄るという考えには到底なれない。つまり、彼女とは同じ方向を向く事ができない。彼はそれを悟ってしまったのだ。

 しかし、自分はこの状況を作った原因を必ず打ち倒し、必ず皆を助け出す。ジョナサンは固く決意を決め、病院のドアを開ける。静謐な空間を満たす消毒液の匂い。ジョナサンはこの一週間で随分とこの匂いに慣れ親しんでしまった。もちろん、病院の中も。彼は慣れた様子で受付のナースに手を上げて挨拶すると、そのまま母の病室に歩いて行った。いや、正確には行こうとした、だ。すぐに受付の女性が何やら思い出し、ジョナサンを呼び止めたからだ。

「どうしました?」

「いえ、突然申し訳ありませんミスター・アンダーソン。実は、ミス・エリザベス・ニコルソンの容体が急変致しまして」

「何ですって?しかし、僕がさっき会った時は……」

「ええ、まさにミスター・アンダーソンが帰られた後でした。巡回のナースがミス・ニコルソンが、その……全身硬直しているのを発見致し」

「全身硬直?!」

「……ええ」

 そんな、と見るからに狼狽するジョナサンを申し訳なさそうに見つめながら、ナースは続きを話し出す。

「……ですので、ミスター・アンダーソン。もしよければ、貴方が最後に会った時の硬直具合をお聞きできたらと、医師が」

「ああ……」

 何か疑われているのだろうかと考えもしたが、何も言うのをやめる。多分、人為的なものであると考えているのは自分とあの不思議な女性だけだから。彼はふわふわした足取りで、受付の促す方へと歩いて行った。


「とんだ目に遭ったね、エリー」

 ジョナサンは病室に入るなり、そう声を掛け、返事がない事に落胆する。しかし、喋らないとはいえ意識はあるとのこと。彼は努めてにこやかにベッド脇まで歩み寄る。

「君の担当医師に聞いたよ。突然病気が進行したんだって?本当に残念だよ。本当に……」

 胸に込み上げる何かを、ジョナサンは大きく息を吸って呑み込む。エリーはじっと天井を見上げている。しかし、虹彩が動いて目があったので、ジョナサンは思わず声を上げる。

「君!」

 エリーの瞳がうるむ。それは彼の姿を見て先程の女を思い出したからだったけれど、彼はそんな事を知る由もないので。

「僕の声が聞こえるかい?」

 ぴくりと動く目を見て、ジョナサンは胸を撫で下ろす。通じているようだ。それならばと、彼は堰を切ったように話し出す。

「なあ君、何があったんだ?突然こんな風に症状が進行するなんてありえないらしいんだ。何かあったんだろう?ほら……瞬きしてくれ、もし合ってるなら」

 エリーは目を丸くした。彼の口ぶりは、まるであの女の事を知っているようだったから。どうしてと問い掛ける代わりに、彼女は素直に瞬きをする。ジョナサンが「ああ」と嘆く声。

「なあ、女がきたのかい?黒髪の」

 やっぱり。彼は知っているんだわ。瞬きするエリーの目から、涙がこぼれ落ちる。

「そうか…そうだったのか。やっぱりその女が原因なんだな……!なあ、そいつはどうやって……」

 問いかけの途中で、ジョナサンは「しまった」という顔をする。つい熱くなって、エリーが今話せない事を忘れ掛けていたのだ。

「すまない……なあ、君は女が原因だと思うかい?」

 瞬き。ジョナサンは何度も頷く。ソレイユの見立ては間違っていなかった。そう思えば、彼女からの密命も果たそうという気が起きるというもの。

「お守り、効かなかったようだね……すまなかった。あんなんじゃあ効かないよな。でも、大丈夫。僕が何とかする。必ずあの女を止めてみせるよ」

 エリーにそう声を掛け安心させる傍ら、彼は考える。

 ソレイユの密命は、お守りが効くかどうかの実験だった。父親に送った鷲のネックレスは病を緩和させたが、果たしてそれは本当にあのネックレスのお陰なのか、それとも他の要因が良く作用したのかを知るためのものだ。よって、昨日母親にロザリオを、エリーにガムランボールを送り、様子を見た。その結果がこれだから目も当てられないが……少なくとも、銀が無条件で効く訳ではないようだ。

 古来から、銀を魔除けとして扱う民族は多い。それは潔らかさの象徴のような色合いと、反射率の高さに起因する強い輝き。それに加え、銀が化学変化し易く‘毒に反応して曇る’‘邪気を吸い取って曇る’と勘違いされてきたからだ。実際の姿と、人々の思い込み。それが銀を強くした。銀は人々の信仰によって邪を退ける唯一無二の金属となったのだ。

 銀は邪を退ける。裏を返せば、銀が退けないものは邪ではない。つまり、黒髪の女は吸血鬼や狼男のような‘存在そのものが邪’ではないという事。

 ともすれば、黒髪の女も自分たちと同じ、人間なのだろうか?相手を病気にさせるようなのが?ジョナサンは思い悩むが、首を振って思考を振り払う。存在が邪かどうかは関係ない。彼女がした事は邪で間違いないのだから。銀は効かない。謎は残る……というよりむしろ謎だらけなのだが、特効薬はないので、普通の武器を使うしかない。それだけの話だ。

 とりあえず次は母親の様子を見に行こうと、ジョナサンは病室を出る。しかし、スライドドアのごろついた音に重なって聞こえたしゅるという音に違和感を持ち、振り返る。

 茶色の尾が、自分と入れ替わりにエリーの病室に入っていくところだった。灰色の尾に描かれたジグザグ模様は、ヨーロッパクサリヘビ。

 ーーああ、なんて美しい。

 ジョナサンは不意に過去の自分の言葉を思い出し、憤怒に駆られる。あの時、自分があの時、あんな事を言ったから。

 彼は走り出す。あの蛇を仕留めなければ。

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