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 ソレイユがその女と出会ったのは、ジョナサンの二度目の来訪の後すぐの事だ。光沢を放つ真っ黒な髪とは対照的な、透き通るような白い肌。黒目がちな瞳は彼女の妖艶な出で立ちとは対照的に可愛らしく、それがアンバランスな魅力を引き出している。ソレイユはその姿にハッと息を呑むが、直後の「こんにちは」というおずおずとした声掛けに正気に戻る。

「やだ、すみません私ったら。あまりにお綺麗なので魅入っちゃってました」

「あら!嬉しいわ……そんな風に言っていただけるなんて」

「いやいや、言われ慣れてるでしょう?だって、本当にお綺麗です」

「ふふ……ああ、なんだか顔が熱くなってきたわ」

 彼女がそうはにかみながら手で顔を仰ぐのを見て、ソレイユは頷く。

「うん。やっぱりお綺麗ですよ」

「嫌だぁ。あまり褒められ慣れてないのよ。田舎の出なの」

「田舎の方はみんなこんなにお綺麗なんです?」

「え、ううん。知らないわ。だって、そもそも人がいなくて……」

「ああなるほど。そういう事でしたか。こちらには観光で?」

「ええ、そんなところ」

 そう言って彼女はもじもじとワンピースの袖を弄る。ピッタリとした上半身からのふんわりと広がるスカート。ずばり一世代前の形のワンピースだが、楽さ優先でジーンズを着ているソレイユとしては、自分に真に似合う服を選び着る事ができる彼女に内心拍手しきりである。

「そうですか。それじゃあ、連日声を掛けられて大変でしょう」

「そんな事ないったら。やあね」

「ありゃりゃ、男共は見る目が無い。それとも勇気が無いのかな?」

 ふふ、と眉をハの字にして笑う彼女を見て少し反省しつつ、ソレイユは「どうでしょう、旅の記念に」とワゴンの中を指差した。しかし、彼女は「ごめんなさい」と更に眉を下げた。

「私、アクセサリー苦手なの、でも、綺麗だからつい立ち止まってしまって……」

「ああ、そういうことでしたか。どうぞお気になさらずに。存分に見ていって下さいな」

「ええ、ありがとう。でも、もう行くわ。あんまり店の前を占領していても悪いもの」

「気にしなくていいのに」

「ううん。行くわ」

「そうですか。それでは、ご旅行を楽しんで」

「ありがとう!」

 彼女が手を振りながら駆けていくのを見送りつつ、ソレイユは‘後ろ姿まで綺麗な人だな’とぼんやり思った。もう、とにかく綺麗だったので印象に残っている。この日は彼女のおかげで一日笑顔で過ごせたと言っても過言では無い。本当に綺麗だった。

 一日続いた幸せ気分は、夜、ひとっ風呂浴びようと服を脱いだ時、お守りにと着けていたシルバーアクセサリーが硫化して真っ黒に成り下がっているのに気付いた途端に終わってしまったが。


「という訳で、攻撃をこの子が肩代わりしてくれたので私は無事だったんです。どいつがやってくれたんだと思っていましたが、まさかあの美人さんだったとは……」

 そう言ってソレイユがポケットからネックレスだった物を取り出すと、ジョナサンはおずおずとそれを手に取って確かめる。路傍の石と言われたら信じてしまいそうな、まるで銀には見えない鈍化した輝き。ジョナサンはここまで黒ずんだ銀を見た事がない。だからこそ彼女が言う‘被害者’の意味が良く理解できた。なるほどこれほど強い呪いを受けたなら、本人が無事でも充分被害者だ。

「その……そのお守りは僕が買ったのと同じなのか?」

「いいえ。これは他のとは格が違います」

「そう…か。なあ、それと同じ物が欲しいんだが」

 ジョナサンはそう言ってすぐに「もちろん、値段は問わない。安全には変えられないからね」と付け加えた。しかし、ソレイユは渋面を作って暫く押し黙る。

「駄目かな」

「いや……同じ物はサンフランシスコの私の家にあって。ほら、全部手元に置いておくと一度の攻撃で全滅するので……」

 というか、した事があって。彼女はゴニョゴニョ気まずそうに言った。まあ確かにポカミスだ。思わず「君、適当そうだもんな」と口をついて出てしまう。

「なっ……そんなこともないですよ!……ないですよね?」

「君、そのお守りがダメになったからってとりあえず僕を襲撃したんだったな?」

「んっ……!」

 早々に返す言葉の無くなってしまった彼女は、「取りに行ってもいいけど、どうします?」とおずおず申し出た。彼女の上目遣いを見つめ返しながら、被害に遭った皆を置いてここを離れるか、お守り無しで謎の呪いに立ち向かうかを天秤にかける。当然、すぐに答えは出ない。仕方がなく、彼女に問いを返す。

「なあ、君ならどうする?」

「私?」

 上手く出会い頭の暴挙の話が流れたのに気を良くした彼女は、またしれっとした顔に戻って言う。

「私ならこのままやり合います。明日家族がどうなってるか分かりませんし」

「ふむ……」

「でも、命あっての物種ですからね。慎重に進めるのもそれはそれでアリですよ。任せます」

「それで勝てるだろうか?」

「何言ってるんですか。勝つんですよ。家族を守るんでしょう?」

 彼女は何を思ってか、けらけらと笑った。ジョナサンはその様子を見て、調子がいいなと息を吐く。

「分かった。君を信じよう。このままやり合う」

「よしきた」

「ただ……そのお守り程でなくていい。何か有効なお守りはないかな?」

「そうですねぇ……外せないのは聖水ですかね。手に入りやすいし」

「なるほど」

 ジョナサンはそう言うと顎に手を当てて、近くの教会を脳内でいくつかピックアップする。いつも行く教会で貰うのとは別に、何かの時に駆け込めるようにだ。それを察してか、ソレイユが「ついでに私の分もお願いします」とへらへらして言った。

「君なぁ……僕は仕事があるんだ。君が行けばいいだろう」

「だって、ここら辺の教会は不慣れですし」

「だからってなあ……」

「あ!じゃあこれ貸してあげますよ。はい。香水瓶のペンダントヘッドです。なんとお魚の模様付き。イクトゥスですよイクトゥス。ギリシャ語でイエス、キリスト、神、子、救世主の頭文字を並べるとイクトゥス、つまり魚になるんですよ。知ってました?」

「当たり前だろう。なんて雑なセールスをするんだ君は。おちょくってるのか」

「はい!」

「君なぁ」

「という訳で、聖水の調達よろしくお願いします」

「断るね。そのペンダントヘッドは買う」

 彼女は口を尖らせた。それを見てジョナサンが遂にため息をつくと、彼女は逆にけらけらと笑った。


 さて、翌日の事だ。地元民はあらかた出勤し終わり観光客ばかりになった昼のブルックリンで、ソレイユはワゴンに興味を示す客を待つ。もちろん金策の為ではあるが、今日はそれに加えてもう一つ。

「あ、いらっしゃい」

 ソレイユはワゴンに近付いてきたカップルに声を掛ける。すると、カップルの女の方が「ハァイ」と笑顔を見せたので、ソレイユは「何か気になったものはありました?」と早速営業トークに入る。

「ううん、見てるだけかな」

「そう?是非手に取ってみてくださいね。ビビッとくるものがきっとあるから」

「ええ、ありがとう」

「ここへは観光で?」

「ええ、そうなのよ」

「いいですねえ。ライブ?」

 ソレイユが首を傾げると、彼女は「いいえ。違うわよ」と手を振った。それを受けてソレイユは「ありゃ。じゃああの人誰だったんだろ」と呟いた。

「あの人?」

「ああ、すみません。凄く綺麗な女性をお見かけしてね。黒髪の。ここじゃあ良く有名人を見かけるから、あの人もそうなんだと思ってたんですよ。違うみたいですね」

「ええ。知らないわ」

「街で見かけませんでした?」

「ううん……そうね。黒髪って目立つもの。ねえ、貴方は見た?」

 水を向けられたその男は「いいや。君以上の美人は見てないね」と肩を竦めた。すると、女性は「嫌ね」と頬を赤く染めながら、ソレイユに視線を戻す。

「見てないわ。でも、そんなに美人なら私も見てみたい」

「ハハ!どうせ君が一番さ!」

「もう、やめてよアンディったら」

「うふふ。羨ましい事です。良ければペアの指輪でも?ピアスもありますし」

 そうワゴンの左側を指差しながら、彼女は笑顔を作った。

 ぎゃ、と悲鳴が聞こえたのは、それから暫く経っての事。ソレイユは隣の露店の客を横取りせんとちょっかいをかけていたのをやめて声がした方を振り返る。「なになに」「どうしたの?」という通行人や露天商の声の中心の方に耳を澄ませば、聞こえてきたのは「おい蛇だ!下がれ下がれ!」という怒鳴り声。ソレイユは思わず、商品そっちのけで声の方へと駆け出す。蛇なんてニューヨークにいないはずだから。



ーーーーーーーーーー



「蛇が大量発生?ニューヨークに?」

 いつも通り出社したジョナサンは、朝から同僚のヒューイが持ち掛けてきた噂話を聞いて目を丸くした。

「そうなんだよ。あちこちで目撃されているらしい」

「一体どういう経緯でニューヨークに蛇なんか……」

「それだよな。誰かが逃しちまったのが増えたのか、何なのか……」

「そんなに短期間で増えるかな」

「今までは下水道にでもいたんだろ」

「て事は、地下には大量にいるって事か?考えたくないな……第一、一体どこでそんな噂を仕入れたんだ?」

「それが、社内でも結構見た奴がいるんだよ」

「げ、社内に……」

「そうそう。ほら、窓口のエリーとか」

「エリー・ハンプソン?手が動かなくなったって今療養休暇中の?」

「そう。蛇退治をさせられた挙句病気にかかるとはついてないって泣いてたらしい」

「凄いな。エリーが退治したのか」

「客にやらせるわけにはいかないからな」

「待て、行内に出たのか?」

「ああその通り。エリーの奴、一夜にしてヒーローになったらしい」

「良くやったもんだ」

「ウーマン・パワーだな。今流行りの」

 ジョナサンはヒューイがおどけて言ったのに対して笑う。ガサツなことだが、フェミニストのエリーといえばエリーらしい。


「蛇、ねぇ」

 ジョナサンは自席に着くと、一人呟いた。黒髪の女に、蛇に、呪い。どうやら自分の周りはいつの間にか随分とオカルチックになってしまったらしい。これも時代なのだろうか。それとも。

 ジョナサンは、彼が初めて会った非日常を思い出す。あの日ダイナーで、自分の「助けてくれ」という申し出に対して、苦虫を噛み潰したかのような顔で応えた彼女の事を。

「勘弁してくださいよ。こっちだって追われる身なんです」

「いやでも……え、追われる身?」

「ええ。そうじゃなきゃ女だてらにこんな仕事しませんよ」

 ジョナサンは言葉を失う。何がショックだった訳でもない。ただ、このアグレッシブな女性にこのバイタリティに溢れた仕事はぴったりだと思っていたので。しかし、沈黙から何かを察したソレイユは「言っときますけどね、私本来レディーなんです」と口を尖らせた。

「ああ……レディー……レディー?」

「レディーですよ、全くもう。とにかく、私は本来自分の事で手一杯なんです」

「なら、どうして」

「どうして貴方に絡みに来たって?貴方が迷惑を持ち込んだからでしょうが」

「それはそうだが」

「そうでしょう。これ以上の迷惑は御免です。第一私、ちょっと対処法を知ってる程度の素人なんです。自分が逃げる為に必要な知識しか持ってません」

「だが……なあ頼むよ。両親と友人の命が掛かっている。迷惑なのも分かる。しかし、僕のせいで皆死んでしまうかもしれないなんて耐えられない」

 ジョナサンが真摯に頼むと、途端にソレイユは尻の坐りが悪くなったようで、ソワソワと落ち着かない様子を見せる。

「お願いだよ……旧約聖書にも‘あなたの手に善をなす力があるならば、これをなすべき人になすことをさし控えてはならない’とあるだろう。なあ、助けてくれ。僕も君も神の子なんだから……」

「うぐっ……聖書はずるいでしょう、聖書は……」

「頼むよ……」

 ジョナサンが畳み掛けると、ソレイユはついにがっくりとうなだれて「ええ分かりましたよ。お力になれるかは分かりませんからね」と吐き捨てるように言った。

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