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月明かりのような金糸の髪がミラーボールの光に反射して煌めくのを、何人かの女が遠巻きに見ている。彼女達が躊躇うのは、その長い前髪から覗く青目が何かを憂うように伏せられていて、この場の雰囲気とはやけに不釣り合いに思えたからだ。彼に話しかけたら何かが始まってしまうような、終わってしまうような、そんな雰囲気。ダンスの輪にも加わらず、何をしているんだろう。彼は背中で女達の好奇の視線を受けながら、下らないとばかりにウィスキーを煽る。
とはいえ、彼はディスコの雰囲気が嫌いではなかった。ぎらぎらと輝く七色の光が巡る中を踊り明かす男女や、喧しく響くアップテンポな曲。開放的な彼らを見ていると、楽しかった夜を思い出す。自分は踊らないまでも、その空気の中にいるだけで彼は満足だった。
「あの、ご機嫌よう。浮かないお顔ですわね」
遠巻きに見ていたはずの女が一人、近付いて声を掛けた。すると、彼は顔を上げて彼女を視線で捉えると、仏頂面のまま「ええ。どうにもそう見えやすいらしく」と応えた。返事が返ってきた事に、女はほっとした表情を浮かべる。
「そうなんですのね。せっかくですもの、楽しんで下さいな」
「そうですねえ……では、どうでしょう。一杯付き合って頂けませんか」
「まあ!」
彼女はハンサムからの思いもよらぬ申し出に、頬を染めた。男は試すように首を傾げる。
「あの、私マリアです」
「ああ……これは失礼。ソレイユと、そう呼んでください」
ソレイユと名乗ったその男は、笑いかけながらそっと隣の椅子を引いた。
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「初めまして。私防疫を研究しております。チェルシー・ソレイユと申します」
彼女が手を差し出す横で、ジョナサンは父親を安心させようと笑顔を作った。彼女との出会いの翌日、ジョナサンの父親が入院している病院での出来事だ。
昨日のダイナーで、ジョナサンは彼女に必死で助力を頼み込んだ。聞けば、彼女は本来今日にでもスリランカへ宝石の仕入れに発つつもりで、自分に呪いをかけようとした不届き者に一発かましておこうという軽い気持ちでローキックを喰らわせただけだったらしい。言ってしまえば憂さ晴らしなので、当日中に犯人に辿り着けないのなら深追いする気はなかったとの事だったが、それでは困る。これが人為的なものだとすれば、これ以降もジョナサンの周りでどんどん被害者が出る。もしかしたら、ジョナサン本人も。それは非常に困る。彼女を逃してはならないと、それはもう必死で人目も憚らず頼み込み、何とかダイヤのネックレス一本と、彼女の航空券の金額を負担する事で助けてもらえる事になったのだ。
「急にすまないね父さん。ミス・ソレイユがどうしても直接本人から話が聞きたいと言うものだから」
「何、気にするなジョニー」
「人前でその呼び方はやめてくれよ、父さん。それより、先週どこにいたか聞かせてやってくれる?」
「ああ、もちろん。さあ、ミス・ソレイユ。座ってくれ」
ソレイユは促されるままにベッド脇の丸椅子に座り、改めて「ミスター・アンダーソン、体調の方は?」と問い掛ける。すると、彼は眉毛をハの字に歪め「良くなくてね」と言った。
「医者も首を傾げているよ……咳が止まらなくて、何か食べようとするたび喉に引っかかる感じがして戻してしまうんだ。今はこうやって点滴で栄養を摂っているが、どうなんだろうね。風邪のようにも思えるし……んぐっ!」
ゴホゴホと咳き込む彼の背中に手を乗せながら、彼女は「本当にお辛そう」と悲しげに目を見つめた。父親もまた悲しげに顔を顰めると、「私の事はいいんだ。それより妻が心配でね」と続ける。
「奥様ですか?」
「ああ……妻の方は高熱が続いていて、別室で入院しているよ。全く、どうしてこんな事になってしまったんだか。ジョニーにも心配を掛けてしまって」
「僕の事は気にしないでよ、父さん」
「この通り、気の良い息子なんだがね」
「ええ。息子さんったら、あなたの事をとても心配しておられましたよ。私に原因を突き止めてくれと」
「ありがたいね」
「当然さ」
「ふふ。それで、奥様とは別のご病気……という事でよろしいのでしょうか?」
「いやあそれがね。そうなんだよ。発症前は妻とずっと一緒にいたはずなんだがね」
「あら。一緒にいたのに別のご病気を?それは確かに不思議ですね」
「そうなんだ……外出といえば、観劇に行ったくらいさ。アイーダがブロードウェイにきていたからね。貰ったとすればそこなんだが……」
「だが?」
「発症から3日も前なんだ。そんなに間が開くかな」
「ううん……開く時もあるでしょうけど。ご自分ではそこではないと感じるんですか?」
「そう…だね。何というのかな。風邪の予兆は感じなかった、というか」
「ふむそうですか……何なんでしょう。なら、他の日はどうですか?買い物とか、人に会ったとか」
風邪の予兆って何なんだろう。ソレイユは自分にはない感覚に内心首を傾げながら聞き取りを進める。
「買い物には……行ったね。観劇の翌日だ。パンを買いに行ったんだ。だが……パン屋のダグはピンピンしているからなあ。そうだよな、ジョニー?」
「ああ。昨日も開店していたよ」
「ううん、ならパン屋さんが感染源ではなさそうですねえ。お客さんとかはいなかったんですか?」
「客?……ああ!」
「あら、いました?」
「いや、客とは違うんだけどね、パン屋の帰りに若い女の人に会ったんだよ。真っ黒い髪のね」
「へえ、真っ黒。黒人ではなくて、ですよね?」
「そうなんだよ。黒人ってよりアジア系みたいな真っ黒くて真っ直ぐな髪でね。肌はいっそ青白い位の白人さ」
「へえ。それは確かに印象深い」
「その人がすれ違いざまニコってして‘良い天気ですねー’っていうもんだから印象に残っててね。妻と綺麗な人もいたもんだって話になったんだよ」
「はぁ……そんな素敵な人だったんですか。私もお目にかかりたい」
「ミス・ソレイユ?」
「おっとすみませんでした。忘れて下さい。ええと、結構近くまで来た?」
「いいや。まあ、歩道ですれ違う程度だよ」
「ふむなるほど……一応確認しますけど、その方酷く咳き込んでたりは…?」
「しなかったね」
「なら違うかあ。他に何か心当たりは?」
「ううん……妻とずっと家にいたからねえ……また思い出したらジョニーを通じて伝える事にしよう」
「ありがとうございます。それでは、ブロードウェイに問い合わせてみようかと思います。感染ルートが判明したらお伝えしますね」
「ああ、ありがとう」
「それでは、お加減の良くない中ありがとうございました。どうぞお大事に」
ソレイユは立ち上がって会釈すると、さっと病室を後にする。しかし、すぐにジョナサンも病室を出てきたのを見て目を丸くした。
「え、いやいやミスター・アンダーソン。着いてこなくても」
「何を言っているんだ。次があるだろう」
「ありますけど、せっかくだからお見舞いしていけば……」
「時間が惜しい。早く犯人を突き止めよう」
それを聞いたソレイユの目が更に丸くなるので、ジョナサンは驚いて「何を驚いているんだ?」と聞いた。すると、ソレイユは露骨に目を逸らして「いやあ、意外だなあって思って」と言った。
「は、意外?」
「いやなんか、こういう時積極的に動くタイプなんですね」
「なっ……君失礼だぞ!」
「だって、一週間あってお守り買っただけじゃないですか!」
「いやそれは違うぞ、こっちは入院準備やらいない間の家の管理やら……じゃなくてだな、病気が人のせいかも知れないなんて普通の神経してたら考えないから仕方がないんだ!」
「それはそう」
「それはそう、じゃない!」
勢いの良いツッコミに少し笑うと、ソレイユは肩を竦めて言う。
「まあまあ。いいじゃないですか。行動してれば何とかなりますよ。私がついてますって」
「君、なんだってそう楽観的なんだ。というか、これからどうするんだ?同じ病院に母がいるが、訪ねるか?それともブロードウェイに……」
「うんにゃ、黒髪の美女を探しに行きます。あの女が怪しい」
「は?いや、父さんの話に出てきただけで決めつけるのは……」
「ミスター・アンダーソン。一つ大切な事を忘れてますね?」
「は?」
「私も被害者です」
「は?」
ソレイユは察しの悪い彼に呆れた視線を送ると、次はわざとらしくゆっくり言う。
「いいですか。私も、その女の、被害者です」