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しづか夜の忠魂

夕食の後片付けと明くる日の朝食の下ごしらえを済ませて、風岡(かざおか)志津が四畳半の自室に戻る頃には時刻は零時を過ぎていた。

(すす)けた鏡台と古びた小机の他には何も無い、ごく殺風景な部屋である。

侯爵邸の片隅にある私室も、六畳とこの部屋より少し広い他さしたる違いはなかった。


元々は敷地内の一角の平屋で屋敷に奉公する両親と起き()ししていたのだが、女学生の頃に母が、数年前に父も鬼籍に入ると、空虚な部屋を持て余すようで出てきてしまった。


隣で眠る賓客(ひんきゃく)の娘を起こすまいと、やおら鏡の前に座ると、額の生え際からは腫れも()せぬ赤丹色の傷が顔を覗かせていた。

(よそお)う女の如く紅差し指で軟膏をその傷に塗っても、その手はややもすると怠りがちになるのだった。


理由は分かっている。


父死ぬれども、汝(いか)ること(なか)れ。

母死ぬれども、汝憂ふこと勿れ。


風岡家の家訓であるその二か条の戒めが、どうにか志津に普段どおりの平静を装わせていたものの―――


砕けぬ常磐(ときわ)にも似た志津の魂を揺るがす如き何かが、鮮やかな驚きを与えては去ろうとしなかった。


それは、普段の注意深い志津ならば断じて犯しはせぬ不始末を起こし、自身の絶対的な主人である焔に叱責された事が原因では、決して無い。

風岡家の人間ともあろう者が何と迂闊(うかつ)な、とその失態は志津を嘆かわしいばかりの自責の念に駆らせたけれど。


最も価値ある人種とされる日輪にして、大名の末裔(まつえい)たる焔の気位は、富嶽(ふがく)をも遥かに見下ろす高さを誇り、(ないがし)ろにされる事をひどく嫌う。

そんな彼女に縁の欠けた茶碗なぞ出せば、どんな目に遭うかは火を見るより明らかである。


焔の乳姉妹であり、幼少のみぎりからの付き合いである志津にとっては、禁忌にも等しき不文律であった筈だ。


元来貧血を起こしやすい体質ではあるが、月の物が始まると、それが(はなは)だ顕著になる。

眩暈(めまい)にふらつく(にぶ)った目は、不祥な茶碗の破損をも見落としてしまった。


けれど、身を絞られるような吐き気や割れそうな頭痛に襲われようと、痩せ我慢を己に()いて、焔の命のまま炎天の猛暑の中立ち働かなければならない。


紅粉青蛾(こうふんせいが)と呼ぶべき華やかさも持たぬ、擬態(ぎたい)と呼んだ方が適当な化粧が覆い隠しているものの、それを落とせば不健康に青白い肌と、枯葉の如く乾き切った唇が(さら)されるのだ。


世間一般の少女がそうであるように、志津が初めて月の物を迎えた事を知ったのは、今は亡き母であった。


けれど、母は自身の娘が健やかな女性として成長した(しるし)を祝福する事も無く―――

まるで、口にする事さえ(はばか)られる如く眉根を寄せ、声を潜めて志津に言い聞かせた。


「いいかい、お志津。これから毎月どんなにお腹が痛かろうと、辛かろうと、御館様や奥様の御前(ごぜん)に出れば、それを絶対に表情に見せてはならないよ」


己を殺してこその忠義であるのだから、と。


忠義―――その二文字に、志津が人生において果たすべき責務は全て込められていた。

我が身を我が身と思わず、如何なる事があろうとこの命を主君の為、野々宮家の為に捧げなければならぬ定めに生まれ出でた志津であるものを。


志津の生家である風岡家は、野々宮家に代々仕える臣下の家柄だった。


月影の役割が、日輪の子を生み落とす(ほまれ)高きものであるならば、尋常種のそれは身命を()して日輪に(かしず)き、忠義を尽くす事。

絶対的な主君たる野々宮家への忠誠を第一とし、それこそが自分達の正義であると信ずる、尋常種の男女を両親として生を受けたのが志津である。


母も他所から嫁いだ人でなく、父にとっては従妹(いとこ)にあたる、風岡家の教えの元に育てられた女性であった。


額の傷口からは今となっても、未練がましい女の涙の様にじわじわと血が染み出している。

この血も、月の(さわ)りの血も―――守るべき忠義の(いまし)めと共に、両親より志津に与えられたものである。


過ぎ去りし(いにしえ)、命よりも重き忠節を果たさんと生きて没した数多の祖先の念望は、無言の祈願となって志津の中を流れるのではないか。


世の不条理を知らぬ赤子の頃から子守唄の如く、忠義という言葉を聞かされなかった日は無い自分である。

忠義たれ、従順たれと―――水をも(しの)ぐ濃さを持つ血の教えを、如何にして反故(ほご)に出来ようか。


しかし、何故。


あの美夜という娘の何もかもが、暗澹(あんたん)たる闇の中に光を放つ月の如く、志津の胸の中に輝光を投げ掛けて、その名残が像を結んで消えないのだろうか。


焔に命令されての事とはいえ、志津は彼女を監視し、逃亡を図らせない役廻りを担っている。

美夜をこの別邸に監禁している主犯格と言っても過言ではないのだ。


仇敵たる人間が失態を演じて、制裁を加えられれば誰だって、ざまを見ろと快哉(かいさい)を叫びたくなるに違いない。

それなのに、あの娘は―――志津に振り下ろされようとした焔の誅罰(ちゅうばつ)の拳を、五尺(151cm)に足るか足らぬかの小柄な体を張って止めさせたではないか。


(……恨まれていると、思ったのに)


あまつさえ、美夜の放った言葉はその一つ一つが力を宿した言霊(ことだま)となって、何にも囚われず心のままに飛び回るようだった。


「侯爵様も同じ女性であれば、柔肌を殴られる痛みがどれほどのものか、お分かりになりませんか」


自分の血も、焔の血も―――同じ女の血であるのだろうか。

唇を赤き(はなびら)の如く彩り、詠嘆のままに流される紅涙(こうるい)ともなる、女の血潮であろうか。


「私とこいつが同じ女だと?笑止千万だな」


志津が頭を絞るまでもなく、その至極当然な答えは主人の焔によって下されるのである。


勿論、日輪であろうと女なれば、焔も月の物の(わずら)わしさは嫌という程知っているだろう。

けれども、その血に定められた果たすべき義務は、志津のそれとは全くもって異なるのだ。


しかし、美夜の言葉を価値無きものとして自らの中から捨て去る事が出来ないのは―――昔、全く同じ事を言った相手がいたからだろうか。


どんな宿世の(えにし)であろうか、と美夜と自分を隔てる襖の向こうを伺いつつ、志津は忘れがたき幼少の日の出来事に思いを()せる。

その少女は焔と同じく、世を()べる役目を生まれながらに負った日輪であった。




侯爵家の諸事を管理する家令を父に、彼女の乳母(めのと)を母に持つ志津が、焔と共に育ったのもごく自然な成り行きだったのではないだろうか。


けれど、志津が彼女に親しみの情を抱いた事は一度としてあらず―――二人の関係は幼なじみとも、無論姉妹とも呼べぬ、極めて無味乾燥としたものであった。

物心ついた頃から、二人の間には明確な主従の線引きが、当たり前のものとして()されていたように思う。


先代侯爵の勝之介と夫人にとっての初子(ういご)であり、跡取り娘の日輪である焔に寄せられる将来の嘱望(しょくぼう)は、他の追随(ついずい)を許さぬ大きさであった。

成長した暁には陸軍で最高位の大将へと上り詰め、栄耀栄華(えいようえいが)の限りを尽くし、名誉ある野々宮家の名をさらに高めさせんと―――


燃え盛る炎の如く、帝國軍人に相応しき勇武を誇る人間に育て、と彼が娘に付けた「焔」という名からも、勝之介の願望の強さは推して知るべきだろう。


自らも陸軍の将校であった彼は、一睨みで相手を縮み上がらせる気迫のある(まなこ)と貫禄のある体つきとを備えた、武将の風格を遺憾(いかん)なく放つ男であった。

そんな勝之介は、自ら剣術を教えるなど、軍人に必要な素養たる武道の一から十を娘に叩き込もうとしたのだが―――その稽古は厳しさを越えて、最早苛烈(かれつ)と言っても良い程であった。


「野々宮家の日輪ともあろう者には、一分の弱さも許されん」


少女の身にはあまりに酷ではなかろうか、と志津の子供心にも思わしめたくらい、幼い焔の体には常に生傷が絶えなかった。


―――あの方は房事の際には相手が誰であろうと、決して(ねや)の中に明かりを灯すのをお許しにはならないのですって。

後年、焔が艶福家として方々の月影と浮名を流すようになってから、彼女達の間で語られた甘い忍びやかな(エニグマ)の真相を知っているのも、志津のみであろう。


風采に非の打ち所の無い軍服で固められてはいるが、その下の素肌には、父の手による永劫(えいごう)消えぬ大小の疵痕(きずあと)が、見慣れた志津ですら目を背けたくなる程在り在りと焼き付けられているのだ。


体裁(ていさい)(こだわ)る焔は蒸し暑い夏の日とてシャツの襟元は断じてくつろげず、入浴の時も志津以外の女中が湯殿に立ち入る事は御法度(ごはっと)とされていた。


「誰かに()()の事を話してみろ。貴様を殺して、私も死ぬからな」


泡立てた石鹸で志津が撫でるように継ぎ接ぎの背中を流す度、焔は口癖の如く、容赦無くそう言い渡すのである。


心得ております、と言承(ことう)けるのも志津には決まり文句だった。


父君は、日輪でも女児であるがゆえに生じる男児との体格や力の差を、その修練の激しさで埋め合わせようとしておられたらしい。


稽古の時だけでなく、焔が何か失敗をすれば、叱責よりまず先に張り手や拳骨が飛んでくるなど、体罰も当然に加えられていた。

だが、どんなに手酷く痛めつけられようと、焔がさめざめと泣く所なぞ、志津は一度としてお目に掛かった事は無い。

殴られて(はた)の切れた柔らかな唇を血が出る程噛み締め、(くすぶ)る怨恨を底に隠した眼差しを、一枚岩の如き父の軍服の背中に投げ付けていた。


孤独にも、(あお)い火花を散らして燃え盛る燐火(りんか)のようだと―――将来の主君に対して、幼い頃の志津はそんな印象を抱かずにはいられなかった。


焔の生まれつきの負けず嫌いも影響していたと思うが、日輪として柔弱(にゅうじゃく)な醜態を晒すものか、という最早本能に近しい克己の念が、幼い彼女に渦巻いていたのではなかろうか。




あれは今から十五年前、元号が冥治から大宵に変わる少し前の夏であった。


健やかに三つの歳を迎えた珠緒の為に、来たる秋の七五三のお参りを盛大に祝わんと、文緒(ふみお)侯爵夫人自ら晴れ着の被布(ひふ)や、お稚児髷(ちごまげ)に挿す髪飾りなど選んでおいでだったのを記憶している。


「珠緒はこの歳ながら、末恐ろしくなるくらいの美しさだもの。母親のあたくしも鼻が高いわ」


焔の時には、その様な甲斐甲斐しき真似は(つい)ぞなさらなかったのに―――


こんな事は口に出すのも恐れ多いが、凄絶な美貌の月影と持て(はや)された女性である侯爵夫人は、姉娘よりも自分によく似た妹娘の方を偏愛しておられるようだった。

珠緒には気まぐれに御自(おんみずか)足袋(たび)も履かせてやるのに、焔の身の回りの世話に関しては志津の母任せで、ご自分は鏡の前で着飾る時間の方が長かったのではないか。


乳母である志津の母も言いつけ通り献身的に面倒は見るものの、やはりそれは心理的に一定の距離を(へだ)てた、主人と使用人の関係以外の何物でもなかった。


父の仕打ちでささくれ立った心も、生みの母の(いたわ)りの愛情によって、(やわら)ぐ余地は十分にあったと思う。

けれども、その母には(かえり)みられず―――


積もった鬱憤(うっぷん)の数々は幼い胸には溜まりかねたと見えて、そのはけ口は彼女より弱い立場の志津に向けられた。

だが、焔のみを責める事はできないのではないだろうか。




その日もいつもの如く、志津は焔の言い掛かりのまま、庭園の夾竹桃の茂みの(かげ)へと引っ張り込まれた。


「返事の声が小さいと父上が私を()たれた時、貴様は後ろで笑っていただろう」


焔の言い分はどれも全くの詭弁(きべん)だったが、痣が出来そうな力で手首を掴まれれば、それに対する否の言葉は許されない志津であった。

()だる様な暑さの中、じっとりと前髪を貼り付かせる汗を拭う事もできない。


焔は胸高に締めた緋の袴の裾から覗く、白足袋もくっきりと映る草履の底で志津の剥き出しになった下駄の爪先を踏みつける。

志津は痛みにも声を上げず、直立不動の姿勢を保ち続けなければならなかった。


「尋常種の貴様が、日輪の私を笑う事が許されるとでも思ったのか」


自身の吐き出した言葉の旋風(つむじかぜ)に煽られる如く、彼女の興奮の炎はいや増して燃え盛り―――それに従って、志津に加えられるいたぶりも激しさを増していくのだった。


まさに、三つ子の魂百までと言ったところだろうか。


けれども、これも元を正せば父たる先代の教えが大部分であったと思う。

強き日輪こそは、人の世を手中に収めるに(しか)るべき選ばれし人種である。


我々の子を生むという名誉ある役目を与えられた月影を除けば、それ以外の性別なぞ、日輪の足元にも及ばぬ無価値な生物であるのだ、と。

日輪であれば誰しもが少なからず抱いている優生思想において、先代は彼らの中でも最たる声高な信奉者(しんぽうしゃ)でおられた。


けれど、両親や志津を含めて、誰がこの絶対論に異を唱えられただろう。


九つの志津は殴られるも蹴られるも焔の()すがまま、生き死にさえもその手に(ゆだ)ねて、無心のままに足元の玉砂利を数えていた。


夏木立の陰に押し倒され、馬乗りになって首を締められようと、志津は足をばたつかせる事も手首に爪を立てる事もせずに、(まぶた)を閉じて全て受け入れただろう。


子供の心とは、(きびす)に似たものだと志津は思う。

びっしりと生えた棘の上を歩かされるうちに、次第に皮を厚くしてゆくそれと似て―――志津の心も言い尽くせぬ数々の棘を刺されて、すっかり強張(こわば)ってしまった。


(ほぐ)す術は、今となっても分からない。


「黙っていないで何とか言わないか、本当に貴様は何を考えているのか分からなくて気味が悪い―――」


(うつむ)いた志津の向こう(すね)を蹴り飛ばそうと、苛立たしく焔が助走を付けて足を振り上げた時であった。


「何をしているの!」


入道雲の彼方の天から降ってきたのかと聞き(まが)う程、突然の一声―――真清水の如く澄み切っていながら、本能的に志津の(おもて)を上げさせる何かがあった。

暑さも、(かわ)きも、痛みも、刹那にして全てが(そそ)がれてしまった。


志津だけでなく、焔も足をぴたりと止め、憂さ晴らしの遊戯を中断された不機嫌さできっと背後を振り返り―――声の主である自分と同じ年頃の少女の存在を認めた。


その一そよぎさえ颯爽(さっそう)とした涼風を生む如く、群青の空の色を染め抜いたセーラーの襟清々しき、白妙(しろたえ)の洋服姿。

きちんと三つ折りにされた靴下と、砂塵(さじん)さえ弾くほど滑らかに磨き上げられた黒革の靴を()いた足で、しかと地面を踏みしめていた。

大瑠璃揚羽(おおるりあげは)もかくやと思われる、天色のリボン揺れるお河童(かっぱ)の下の利口そうな目は、睨みつけるというより、あくまで公明正大に真っ直ぐ焔を見据えている。


「その子に意地悪するの、お()めなさいよ」


洋服を着ている子なぞ志津の通う平民の小学校には一人もおらず、街で洋装の少年少女を見掛けるのも珍しい時分であった。

しかし、それに加えて普通の女の子とは違う雰囲気を、志津は彼女から感じ取っていた。


何と言い表そうか、その(おもむ)きを。


犯しがたい神威(かむい)の如く、一種荘厳(そうごん)さをも帯びた何かが見えざる後光となって身内から(みなぎ)る様であった。

人を(おびや)かして従えるには(あた)わず、されど(あなど)りを(もっ)て相対するにはあまりに罰当たり。


如何(いか)なる権力の元にも、彼女の威光を抑えつけられるものでは無い―――


「私に命令するな!一体全体、急にしゃしゃり出てきて何だ、貴様は」


自分の為す事に関して、例え親切心ゆえであろうと他人に口を出されるのを大層嫌がる焔は、一見するとこの見知らぬ少女からの横槍に対するお冠の(てい)であった。

だが、黒地に大輪の向日葵を咲かせた単衣(ひとえ)(たもと)を、(しわ)になるほど握り締める仕草は、彼女の神経が張り詰めている何よりの証拠だという事を志津は知っていた。


「貴様だなんて呼ばないで頂戴。私には、清小路怜子という名前がきちんとあってよ」


清小路、怜子。


少しも臆する事無く発せられた彼女の名は、幼い志津の胸にすっかり烙印されてしまった。

この少女に似つかわしき、高貴の響きを帯びし名―――されど、怜子が名乗れば、どれほど平凡な名でもいみじき御名(みな)となるだろう。


「清小路?今日、父上の客としてやって来た伯爵の、日輪の娘だろう。我が侯爵家より爵位の低い家の娘が偉そうに。使用人の尋常種の子供をどう扱おうが、私の勝手ではないか」


焔は手近な夾竹桃の葉を(むし)りながら、平静を装う如く大上段に構えていたが、その嘲笑さえどこか虚勢じみているのを隠し切れていなかった。


日輪なればか―――と志津は先程自分の感じていた怜子の威光に対して、ようよう()に落ちる気持ちがした。

けれども、その威光は聖母の背負いし光輪の如く、(すが)りたくなるくらいの慈愛に満たされていた。


この後も日輪は幾人も見てきたけれど、怜子のそれほど気高い威光を放つ者なぞ、一人としていなかった。


「その子だって、私達と同じ女の子だわ。どんな理由があって虐められて?日輪という性別を持っているのも、華族の家に生まれたのも、私達の力で成し遂げた事では無いじゃない。そんな事で威張るの、可怪(おか)しいわ」


可怪しいわ―――


志津が疑義を(ただ)す事も許されない不変の掟を、怜子はたったそれだけの隻語(せきご)で言ってのけてしまった。


だが、広くも残酷な世界を知らぬ子供の由無(よしな)し事と片付けるには、怜子のそれは天上の音楽の如く、志津の肺腑(はいふ)の奥へと沁み入るあまりに重厚な響きを備えていた。

革命の始まりを告げる叫びを、聞いた気がした。


血の気が引く程握り締められた、焔の拳の中の向日葵は、へし折られてその生命(いのち)を散らさんばかりであった。


父の侯爵の様に上から押さえつける相手を別とすれば、焔に正面切って意見した相手なぞ、怜子が初めてではなかろうか。

さればこそ、その屈辱は焔にとっては幼いながらも持ち得ていた、唯我独尊の威信を踏み(にじ)られたのに等しきものであっただろう。


「……知らん!」


幼い暴君は捨て台詞を残すと、汗ばんだ髪に結んだ鹿()の子も赤い鳥の如く羽撃(はばた)かせ、押し退けるように志津の脇をすり抜けて屋敷の方へと行ってしまった。


怜子は、高慢ちきな子をやり込めてやったと得意げな顔をするでもなく、九つという年齢を(かんが)みると空恐ろしくなる程大人びた―――清閑(せいかん)そのものの表情で、焔を見送っていた。


義憤(ぎふん)も無ければ、憐れみも無い。

最早見限りに近い呆れが鏡面の如く、こればかりは子供らしく丸みを帯びた瓜実顔(うりざねがお)に冷然と満ちていた。


真夏の白日の最中(さなか)、恐るべき物など何も無い筈なのに、暑気で火照った体からはさあっと熱が引いていく。

志津のくすんだ顔色は、木蔭(こかげ)に飲み込まれたせいばかりでは無いだろう。


鹿威(ししおど)しの歯切れの良い音が、志津の意識を引き戻した。


「あなた、お怪我はされていない?」


怜子は水を司る闇御津羽(くらみつは)の神も驚く程、手の平を返した如く滔々(とうとう)慈雨(じう)を志津へと降らせるのである。


志津の方へと歩み寄り、肩に手を置いて尋ねる言葉一つにも、心から志津を気遣(きづか)っているのが感じられる。

目下の者にも親しい友達の如く接するこの子に、どう言葉を返せば良いものかと志津が黙りこくっているうちに、怜子は桐下駄を履いた足元に目を遣る。


「あら、いけないわ。痣になっているじゃないの」


焔に踏みつけにされた志津の足先は、中指から小指の部分まで青紫色に腫れ上がり、爪は鳳仙花(ほうせんか)の爪紅を塗り過ぎた様に内出血を起こしていた。


「いいんです、これくらい」


砂埃に(まみ)れた足を見られるのが何だかひどく恥ずかしく、行き場の無い片足を、逡巡(しゅんじゅん)するようにふらふらさせる。


「駄目よ、冷やさないと。どこかにお水を()める場所は無いの?」


あっちに―――と志津が群竹(むらたけ)鬱蒼(うっそう)と生い茂る林の方を指差すと、()ぐと怜子は志津の手を取って歩き始めるのだった。

木漏れ日のひんやりと落ちた石畳の小道を、片足()びに歩かざるを得ない志津に寄り添い、時折いたわる如く笑みを添えて見返る振る舞いなぞ、どうして小さな淑女であった。


百日紅(さるすべり)も、青紅葉(あおもみじ)も、見慣れた庭園の全てが、極楽の(その)()うものの様に思われて、何とはなしに(たっと)く感ぜられた。


朱塗りの太鼓橋もゆらりと映りし水面(みなも)に咲く、日頃から夢の中に薫る如く、のどかな幽香(ゆうこう)を漂わす蓮の花にも、阿弥陀如来が御座(おわ)すような―――


夢路を辿る思いで、志津の幼い空想は消えゆく事が無かった。


屋敷が建てられた時からあるという古井戸は、井筒(いづつ)の板や屋根も朽ちかけており、夏の喧騒を離れてひっそりと佇んでいた。

蓋代わりの(すだれ)が怜子の手で退()けられ、青緑色の水がぬらりと(たた)えられた井戸の底を覗き込むと、そこに沈む苦い記憶が浮かび上がってくる。


これより少し(さかのぼ)った或る春の夕暮れ、その井戸端で、学校から帰った焔が手毬突きに興じていた。


(みぎわ)ま白き 月の宵


姫様寂しや (ただ)一人


()きて(かえ)らぬ 黄泉の国


恋しき御君(おんきみ) 待ち侘びて


波の彼方に 消えたとや 消えたとや


気に入りの唄を口遊(くちずさ)みつつ、(たく)みな調子で手毬を弾ませていた焔だったが―――


跳ねた拍子に毬は焔の手をするりと()れて、(まろ)ぶままにあらぬ方へ飛んでいくと、井戸の中へと真っ逆さまに落ちていき、間延びしたぽちゃんという水音をさせた。


井戸はその小暗さも手伝って、身を乗り出して(かろ)うじてその奥底が(うかが)える、二丈(6m)は優にあろうと思われる深さであった。


八重桜の一房を手折(たお)った如く、絹糸の色彩を細やかに組み合わせた手毬は、遊びの時には片時も離さぬほど、幼い焔には愛用の品であった。

その為、腹立ちは並大抵では無く、それは当然の様に傍の志津へとぶつけられた。


近くにいながらどうして真っ先に拾わなかった、落ちたのは貴様の手抜かりではないかと、まるで志津が先祖代来の家宝を失くしたのを(なじ)る如き責め様なのである。

何遍(なんべん)頭を下げようと焔からの許しが得られる事はなく、小突き回されるまま井戸の(ふち)へと追い詰められてしまった。


「貴様のせいで落ちたのだから、貴様が取ってこい」


突き飛ばされた拍子に体はふわりと空に投げ出され、水飛沫(みずしぶき)も音高く井戸の底へと落ちていった。


湛えられた水は志津の胸の高さ程で、(おぼ)れもせず、また体を打つ事もしなかったが、暗くじめじめした井戸の底へと落とされるのは、幼い子供にとっては恐怖以外の何物でも無い。


「お許しください、お許しください、焔様っ!」


水を吸って(たもと)の重くなった腕で壁を叩けど、拳はつるつると石の壁を滑り、反響した自分の声が魍魎(もうりょう)のもののようで、ぞっとした。


「罰として、此処(ここ)でずっとそうしていろ」


頼みの綱とも思われた蓋が閉められると、隙間から入ってくるのはわずかな明かりばかり、一寸先も分からぬ水底(みなそこ)へ閉じ込められる。

このまま誰にも見つけてもらえなかったら、如何(どう)しよう―――


まだ生きている人間が誤って埋葬され、墓の中で息を吹き返したが、助け出される事無しにそのまま絶命した、という怪談話を思い出す。

自分も同じ末路を辿るのではないか、と総毛立った。


小川も(ぬる)む春といえど、日が暮れると胸まで水に()かった体からは刻刻と熱が奪われていき、次第に目の前が暗くなっていく恐ろしさも手伝って震えが止まらなかった。


後にも先にも、死を覚悟したのはこれが初めてだろう。


屋敷では、夜になっても志津が戻って来ないと大騒ぎになり、使用人達の手で敷地内のあちこちが捜索された。

そして、下男の一人が庭の木々の間を探し回っていた時に、井戸から響くすすり泣きを不審に思った彼が底を覗いた事で、ようやく志津は見つけられたという。


数時間もの間押し込められていた水牢(すいろう)の中から助け出された時、志津の体は(かばね)の様に冷え切り、顔は井水(いみず)か涙かで分からない程ぐしゃぐしゃになっていた。


大義(ひろよし)さん、お(てい)さん!お志津ちゃんが見つかりましたよ」


そうして、慌ただしく父と母が呼ばれた。

事情を聞かされた両親は、お屋敷の人々に娘が気を揉ませて申し訳ないと、周囲の使用人達にずっと()び続けていた。


「一体どうしてこんな古井戸になんて落ちたのかね。可哀想に、随分怖かっただろう」


自分の羽織を脱いで、それで志津を温めていた下男が、志津を咎めるでもなく優しく尋ねた。


志津が何か言うよりも先に、父が割り込む様に口を挟んだ。

()()()足を滑らせて落ちたんだろう、お志津。なあ、そうだね?」

その一言で、二丈の井戸よりも尚深く尚暗き無限奈落へと突き落とされた気がした。


誤って足を滑らせて、どうして井戸の蓋が閉められよう。

それに、ずぶ濡れになりながらも後生大事に抱えていた手毬の持ち主を、父や母が知らない筈もなかろうに―――


だが、隷属(れいぞく)より他に生きていく術を知らない父や母の身、そして自身の境遇を(おもんばか)れば、ただ頷く他は無い志津であった。


自分の子が主君の娘からされている事を両親が黙殺しているとは、幼いながら薄々感づいていた。

けれども、晩秋の木枯らしの如く、途方も無い(むな)しさが胸をすり抜けていくのを如何(いかん)ともしがたかった。


尋常種の我が身の無力を、初めて骨身に染みて思い知らされた。

元々内向的で、焔の行為を両親に告げ口する事も無い志津だったが、これをきっかけに、わずかに残っていた生みの親に対する無条件の信頼というものは、完全に壊れてしまったように思う。


その後両親に連れられ、屋敷内で騒動を起こしたとして、侯爵夫妻や、他ならぬ焔の前で頭を下げなければいけなかった事も相まって、志津にとってその古井戸はすっかり忌々しい場所になってしまった。

志津にとって(いわ)くのある井戸へ、怜子は放る様に釣瓶(つるべ)を投げ下ろす。


「どうやって上げれば良いのかしら」


その(よそお)いからも分かる通り、純日本的な井戸の無い西洋風の家庭に育まれたらしい怜子は、滑車に通された縄を手にしたまま、寸刻はとつおいつする如く目をぱちくりさせていた。


(わたし)がやりますから、と志津が代わろうとすると、怜子は箸より重い物なぞ持った事は無いと思われる手に縄を食い込ませ、ぴんと張ったそれを器用に()って釣瓶を引き上げていく。


「できたわ!」


なみなみと溢れる水に服を濡らす事を(いと)わず、水で満たされた釣瓶を抱え、達成感に頬を上気させる怜子は、やはり、ただのやわなお嬢様では無かった。

怜子は志津を突起の少ない庭石の上に座らせ、桶の中の半分の水で砂の付いた足を洗い清めていく。


次に、胸ポケットから貴婦人が口元を隠す様な繊細なレースの縁取りが施された手巾(ハンカチ)を取り出して、水でゆすいで固く絞ったそれで、志津の爪先を覆った。

ひんやりと水気を含んだ手巾に包まれると、(うず)くような熱を持った痛みが少しずつ和らぐ。


(しばら)く、楽になるまでじっとしていらっしゃいな」


「ごめんなさい、妾なんかの為に」


項垂(うなだ)れる志津に対して、怜子は悪意なぞ微塵(みじん)も感じさせない、至純そのものの笑顔を向ける。


「気にする事無くてよ。私がしたくてしているのですもの。それに、自分を卑下したりしないのよ。あなただって尋常種だろうと、一人の人間なのだもの。忘れてはいけなくてよ」


どんな薬よりも、怜子のその言葉が痛みを消してくれた。


口下手な志津は、この天使の様に優しく綺麗な心根の少女から授けられた贈り物に、どんな言葉を(もっ)て返せば良いものかと、返答に(きゅう)した。

せめて、ありがとうの一言だけでも―――と志津が口を開きかけた時である。


「怜子。いるか?」


生け垣の向こうから彼女をそう呼ぶ、落ち着いた気品のある大人の女性の声に、(かが)んでいた怜子が弾かれる様に立ち上がった。


「おもうさま!」


駆け出した背中をびっこを引きつつ追い、生け垣の陰から覗くと、怜子によく似た面差しの女性がいた。

この人が、怜子の父である清小路伯爵なのだろう。

すらりとした背の高い肢体に洋服を着こなした姿は、成長した暁の怜子を思わせた。


怜子は父の手前、小弓の(つる)の如く背筋をぴんと伸ばし、どこか張り詰めた様子だったが、帰るぞと父に促されてその後を遅れずに着いていく。


白昼夢も、いつかは()めるものである。

だが、志津の手の中には怜子の半巾が、そして心の中には忘れ()ぬ面影が―――消える事も無しに、夏の一日(ひとひ)(あかし)として残された。


この時から、古井戸は消えない悲しみの淀んだ泥濘(でいねい)では無く、み恵みの水も滾々(こんこん)と湧く清泉へと生まれ変わった。

そして、それは怜子の()せる慈愛の御業(みわざ)以外の何物にもよるものでは無いのだ―――

十五年の歳月が過ぎた今となっても、志津はそう信じてやまない。




部屋の片隅に置かれた行李(こうり)を開け、(わず)かな衣類と共に仕舞われている、古風な螺鈿(らでん)の細工が施された手箱を取り出す。

封じられた秘密を(ひもと)く如く、その蓋を外せば―――夏椿の純な白さをそのままに、怜子の(いつく)しみを(かたど)った半巾は、今もこうして丁重に納められている。


触れればその清らかさを損なってしまいそうで、志津はただそれを眺めるばかりだった。


神代の昔から、(えにし)というものは人知を越えた霊妙なものとされている。

何があろうと切れる事の無い神秘の糸で結ばれていると考えてしまう程、先程の美夜の姿が、十五年前の怜子の面影と容易に重なった。


あの時と同じ驚き、同じ感動を与えた見えざる手の名を―――偶然と呼ぶのか、それとも必然と呼ぶべきか。

けれど、偶然の一言では片付け切れない繋がりが、二人の間には確かに存在するとしか志津には思われない。


対の日月。


運命によって結ばれている日輪と月影―――世に数多ある縁の中でも、稀有にして唯一無二の絆。


尋常種の自分なぞには手も届かず、目にも映らぬその縁の糸が二人を繋いでいたとしたら―――どうにかして、それを永久に絶つ(すべ)は無いものか。


でなければ御姫様(おひいさま)が、あまりにも報われない。




手箱には怜子の半巾だけでなく、その墨跡も匂い立つかと思われる「風岡志津 殿」と宛てた(ふみ)の数々も、緋房の紐で束ねて保管されていた。

無愛想で人付き合いにも頓着しない自分にせっせと手紙を寄越してくれるのは、この世でただ一人である。


彼の描く女性はどことなく怜子に似ているから、とご贔屓にしている流行の画家の筆である(たお)やかな撫で肩に清婉(せいえん)な流し目の美女や、千代紙めいた模様を刷り出した少女(おとめ)さびている封筒も、やや丸っこい文字も何もかもが―――珠緒らしくて、志津にはなつかしかった。


姫君の近況が記された文を日々心待ちにし、届く(ごと)に幾度も幾度も読み返して、その玉章(たまずさ)の一言一句を(そら)んじる事も志津は容易く成し得た。


つい昨日も珠緒からの音信(おとづれ)があったばかり、差出人の所在地は―――帝都の清小路伯爵邸である。

怜子との正式な婚約はまだ先だが、嫁入り前の行儀見習いも兼ねて、生まれ育った侯爵邸から一足早く伯爵家に迎えられたのだ。


「お志津、お志津」と自分の後ろをちょこまかと着いてきていた幼い童女も、とうとう()する年頃になった―――婿君は世に数多御わす日輪の中でも、最も優れた女性である。

華燭かしょくに照らされし、晴れの日の装いに身を凝らした夫婦(めおと)の美々しき様を一目見られれば、志津は自分の尋常種の女としての幸せも、何も望むまい。




帝都もすつかり夏めいて、お志津とかき氷を食べに行きたくなる暑さです。


怜様のお父様もお母様も、大変あたくしに良くしてくださります。

特にお母様には、真実の娘のやうに可愛がっていただひておりますの。


ほんたうに、このやうな幸ひがあつて良からうか、と思ひます。


ナイフやフォウクを使つての御食事や、西洋式のマナアなど、覚へる事は沢山ありますけれども、妻として怜様に恥を掻かせる訳には参りますまい。


怜様なのですが、この頃どことなくお顔色が優れなく、お声にも張りがありませんの。

お小さひ頃は体が弱くいらしたさうですから、夏負けでもなさつたのかと胸が騒いでなりませぬ。


でも、陽射しの強ひ昼日中であつても、日傘を差して毎日何処かしらへお出ましになりますの。

百貨店や劇場でしたらあたくしも御一緒したひ、と怜様に申しましても、一人で行きたいからと(とも)の者もお付けになりません。

まあ、すげなくいらつしやるわとも思ひますが、日輪様のなさる事に月影が不平を言ふのも図々しひものね。


他にも、例へ御食事の時に顔を合わせやうと、お父様とは一切口をお利きになりません。

お父様もそれを咎めやうとはなさらず―――不仲な様子なぞ、かうして清小路様のお家にやつて来るまでは見受けられなかったゆえ、驚いてしまひました。


けれど、父娘の事は当人達にしか分からぬものなのでせう。


姉上にどうぞ(よろ)しく、御学友の方にも、お体おいといくださひとお伝えする(よし)頼みます。

お志津も、あまり根を詰めすぎぬやうに。


あたくしの事なら心配は要りませぬ、こんなにしあはせなのが恐ろしくつてならないくらひです。


あらあらかしこ 珠緒




この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば―――と云った所だろうか。


少しの陰影も無く、煌々(きらきら)と満天に光を振り()く望月の様に、どこまでも朗らかな珠緒の姿が目に浮かぶ。


(お健やかでいらっしゃるようで、良かった)


ほんの数週間前まで、怜子に近寄ろうとするあの小間使いが憎たらしい、到底許せるものではないと殺気立っていたのが嘘の様だ。

何の前触れも無く突如伯爵家から姿を消したメイドについては、名前一つも珠緒の手紙には登場しなかった。


そこに記されていたのは、幼い頃より慕う人の妻となる幸いを勝ち得た月影の姫君の、喜びに満ちた日々の留め書き以外の何物でも無かった。

次期清小路伯爵夫人という名の冠を濡烏(ぬれがらす)の髪に(いただ)いて、我が身の幸運に酔いしれる彼女に、何人をして哀れな美夜の存在を思い起こさせられただろうか。


姉の焔が孤月ヶ浜の別邸に入り浸っている事についても、彼女の士官学校時代の親しい学友が病後の保養を必要としており、その世話の為に志津も駆り出されているという嘘を素直に信じているのである。


世間知らずの深窓の令嬢と揶揄(やゆ)されようと、一種残酷な健忘症を含めて、珠緒には珠緒のままでいて欲しい。

その御足元(みあしもと)の真下に隠れているどろどろと濁り切った醜いものなど、彼女の玉眼には一切触れさせてはならないのだ。


その為に自分が出来る事なら、何だってしてみせよう。


持たざる性である尋常種の我が身に許された唯一の行為―――忠義の名の下に神も仏も畏れぬ自分を、人は羅刹(らせつ)と呼ぶのだろう。

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