晴天の花嫁
天からの祝福の様に晴れ渡った空が、果てしなく広がる春のたけなわ。
美夜にとっては、人生で一番幸福な日。
この世で最も愛しい怜子との、結婚の日なのだから。
神の恩寵の様に、教会の控え室にも燦々と陽射しが降り注いでいる。
「まあ、何て綺麗な花嫁さんやろか!大奥様、あんたお幸せでいらっしゃいますわ。こないに可愛らしいお嫁さんが来てくださるんやもの」
純白のウエディングドレスを纏った美夜を前に、嘉世子はすっかり色めき立っている。
「嘉世子さんのおっしゃる通り。今までで一番お美しくいらっしゃるわ、美夜さん。この日を迎えられて、ほんとうに良かったこと……」
感極まるあまり、初音は早くも着物の袖口を目の縁に押し当てる。
面はゆさに、美夜は淡く白粉のはたかれた頬を赤らめてはにかんだ。
しかし、その仕草さえ十九の花嫁の初々しさを引き立てる。
ミモザの花の様な、若々しい黄金の洋装の嘉世子。
花婿の母として、気品を以て鮮やかな裾模様の黒留袖を着こなした初音。
美装を凝らした女性達の中にあって、白妙の花嫁衣装は何にも染まらぬ純潔を誇る。
本当に、夢の様。
穢れ無き花嫁衣装にこの身を包んで、怜子と結ばれる今日を迎えられた事が。
輝かしい幸福が、絶え間なく胸に満ちていく。
ともすると、感涙で目の前が滲みそうになる。
しかし、花嫁の印であるヴェールを濡らすまいと、美夜は唇を真一文字に結んで堪えた。
幸せの涙は、これから幾らでも流せる。
この晴れの日だけは、雨を降らせずにいよう。
「ところで、大槻さん達まだ来ぉへんの。参列者の待合室にもいてへんかったわ」
結婚式には秋元夫妻と共に、大槻夫妻も招待されている。
怪訝そうな嘉世子に、美夜は慌てて答える。
「ああ、それはね。さっきお電話があって。赤ちゃんがお産まれになったので、今日はいらっしゃれないんですって」
昨夜遅くに誠太郎が産気づき、つい先ほど日輪の男の子を産み落としたという連絡が國彦からあった。
母子ともに健康で、赤ん坊も元気いっぱいだそうだ。
妻と子の無事に安堵しつつ、新たな家族が誕生した喜びが電話越しにも伝わる興奮ぶりであった。
「おめでたい事は重なるもんやなあ。今度、うちの人と一緒にお祝い渡しに行かな」
クリスマスの晩餐会で顔を会わせてからというもの、歳の近い子供を持つ両家は自然に気も合い、家族ぐるみの付き合いを続けているという。
かく言う嘉世子も、今年の夏には出産を控えた身である。
誰にも隔てなく降り注ぐ太陽の光の様に、皆に幸せが訪れれば良いと思う。
明るい未来の象徴の如く、晴天はどこまでも澄んでいる。
式の始まりを告げる教会の鐘の音が、高らかに蒼穹に鳴り響いた。
誓いの時は、すぐそこまで来ている。
ドレスの裳裾をゆるやかに引く美夜を見かね、初音が手を貸す。
美夜は愛する人の待つ場所へ向かうべく、覚悟を決めて立ち上がった。
手にした清らかな白百合のブーケは、心安らぐ甘やかな香りを振りまく。
しかし、ただ一人で礼拝堂へと臨もうという今になって、ヴェールの下の顔が緊張で強ばっていくのを感じた。
もしも、今日の全てが白日の幻だったら。
この扉の向こうに何も無かったら、如何しよう。
美夜には、隣に立って不安を和らげてくれる頼もしい父はいない。
誰の助けも借りないまま、花嫁は進まなければならないのだ。
古めかしい扉が、重々しく軋んで開かれる。
溢れ出る光の眩さに、美夜は思わず目を瞑ってしまった。
しかし、おずおずと瞼を上げた時―――礼拝堂の最奥に立つ女性の姿を、美夜の瞳は確かに見いだした。
遙か高みの窓から降り注ぐ陽光を一身に受け、美夜の伴侶となるべき相手は燦然と佇んでいる。
誰よりも気高く美しい、美夜の太陽。
明けき光の中で、怜子は彼女の花嫁へと微笑む。
恐れの雲は、晴れ渡った。
バージンロードの両側に並べられた長椅子には、清小路家の親族達を含めた参列者達が席を占めている。
彼らの眼差しを集めながら、美夜は迷い無き一歩を踏み出した。
美夜が歩んできた十九年の人生は、全てこの道に繋がっていたのだと思う。
怜子という対の日月の待つ道―――そして、二人で共に生きていく道に。
全てが明るい輝きに溢れた人生であるとは、決して言えなかった。
底知れぬ闇に身を投げたくなる時も、数え切れないほどあった。
しかし、愛する太陽が、いつでも美夜の希望を翳らせずにいてくれた。
湧き上がる気持ちを胸に、一歩ずつバージンロードを踏みしめていく。
ついに、新郎新婦は祭壇の前で相並んだ。
(綺麗よ)
向かい合う怜子が、唇の動きだけでこっそりと囁く。
同じ言葉を贈る代わりに、美夜もにこやかに怜子へ笑いかける。
フリルやレースをあしらい、膨らんだ長い袖で肌の露出を控えめにした可憐な美夜のウエディングドレスと、怜子のそれは全く趣きを異にしていた。
装飾を抑えた袖無しのドレスは、つつましやかでありながら、この上なく怜子の内なる麗しさを映えさせる。
帝都中探しても、これほど美しい花婿はいるまい。
聖書を手にした牧師が、厳かに新郎へと問い掛ける。
「汝、清小路怜子は百幸美夜を妻とし、病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も。空に太陽と月の輝ける限り、妻として愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか」
「誓います」
礼拝堂中に響く声音で、怜子が答える。
首から緋色のストラを掛けた牧師は、続いて美夜の方へと向き直る。
「汝、百幸美夜は清小路怜子を夫とし、病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も。空に太陽と月の輝ける限り、夫として愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか」
空に、太陽と月の輝ける限り―――永遠に変わらない怜子への愛のもとに、美夜は生きていく。
「わたしの名とこの命に掛けて、誓います」
そして、二人は互いの手で指輪を交換する。
幾年を経ても、銀の指輪は偽らぬ愛の誓いを証立てるのだ。
「これにて、お二人は神の御前で夫婦となられました」
牧師が高らかに宣言した時、波の様に広がる拍手が美夜達を包んだ。
たとえこの命果てるとも、美夜は怜子の妻である。
晴天の下で結ばれた二人を、どれほど昏い闇も引き裂く事はできないだろう。
美夜は何にも代えがたい幸福の中で、愛しい夫を見上げる。
生涯を分かつ妻を見つめる怜子の瞳は、新たな慈しみと愛情に光り輝いている。
二つの太陽と月は互いを照らしながら、同じ明日を生きていく。




