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相愛の聖夜

元旦を前に、世間がにわかに忙しなくなる年の瀬。

年迎えの準備に追われながらも、帝都はクリスマスの賑やかな雰囲気に包まれていた。


神の子の誕生を祝う西欧の国の聖誕祭は、近頃ようやく日の本の国にも広まりつつある。


西洋風を尊ぶ清小路家の人々はクリスチャンでこそないものの、欧州の習慣に(なら)って古くからこの日を祝ってきた。

常ならば盛大な宴を催すのだが、今年は怜子の襲爵を祝うパーティーがあったばかりだし、尊子の喪もまだ明けていない。


そこで、この度の一件で怜子と美夜に協力してくれた大槻夫妻や秋元夫妻など、ごくごく親しい人だけを招いた内輪の会を開く事にした。

晩餐会の当日、白いレースの襟が引き立つサファイアブルーのワンピース姿の怜子と共に、美夜も冬らしい菊の花をあしらった和服で装った。


息も凍るばかりに冴え渡った空気すら神聖なものに感じられる、クリスマスの宵。


先にやって来たのは、息子の晴彦を連れた大槻夫妻だった。


「ご機嫌よう。今日は、ようこそお越しくださいました」


玄関先で挨拶の口上を述べた美夜を見るなり、誠太郎の銀縁眼鏡の奥の目にはみるみる涙が溢れる。


「美夜さあん!無事でいてくれたんだね。良かった!」


誠太郎が大きなお腹にも関わらず、飛び掛かる様に抱きついてくるので、美夜は嬉しさと同時に、すっかり面食らってしまった。


大槻家に乗り込んできた焔率いる軍人達に身柄を拘束されて以来、美夜達が夫妻と顔を合わせるのは初めてである。


「わたしも、誠太郎さんがお元気そうで良かったです。赤ちゃんも、随分大きくなったでしょう」


美夜の肩を涙でぐしゃぐしゃにしながら、誠太郎が頷く。


「ああ、お陰様で。来年の春、桜が咲く頃には生まれるらしい」


丁度その時期に、美夜と怜子は結婚式を()げる予定だ。

べそべそと泣きじゃくる妻の肩に手を置き、國彦も感極まった声で呟く。


「本当に良かった……本当に……」


これほどまでに自分達を案じてくれる人々とまた会えた事に、美夜も胸が温かくなる。


父の後ろからおずおずと顔を出した晴彦が、背伸びをしてそっと怜子の顔に触れる。


「怜子さん。もう、怪我したところ痛くないの?」


この子や大槻夫妻が見ている中、焔は怜子に手酷い暴行を加えたのだ。


直後は殴られた顔が腫れ、蹴られた鳩尾(みぞおち)が燃える様に痛んで仕方なかったという。


そんな血生臭い出来事が、大人しいこの子の心に傷を与えない筈が無い。


「しばらくは、家の外へ出るのも怖がってね」


母親らしい(いたわ)りを眼差しに(たた)え、誠太郎は息子の頭を撫でる。


怜子は晴彦を安堵させる様に、にっこりと微笑む。


「ありがとう。もう、すっかり元気になってよ」


「あの怖い女の軍人さん、もう来ないよね?」


忠実な士官達を統率し、怜子を徹底的に痛めつけた焔をも、晴彦は未だに恐れているらしい。


怜子は腰を屈めて、晴彦と目線を合わせる。

そして、(さと)す如く穏やかに言った。


「大丈夫。悪い人なんて、最初からいなかったのよ」


続いて、ヒイラギで飾った鈴を鳴らす様にわいわいと、秋元一家が賑やかにやって来た。


秋元は妻に着せられたらしい焦げ茶の背広姿で、嘉世子も普段の水屋着の代わりに、薄黄の福寿草を描いた付下げの着物で華々しく着飾っていた。


夫妻の娘である秀子(しゅうこ)も、おさげにクリスマスらしい赤のリボンを飾っている。


「よお。メリイ・クリスマス!」


「外はえろう(さぶ)いなあ。そろそろ、雪降るのと違うか」


それぞれ初対面の二家族はおやと顔を見合わせたが、美夜達に互いを引き合わされると、和やかな会話の花が幾つも咲く。


「秋元秀治郎と申します。女房と二人、しがない医院をやっていますよ」


秋元が彼らしいざっくばらんさで手を差し出すと、國彦が人なつこい満面の笑みで握り返す。


「大槻國彦です。『あかつき』という雑誌の編集部に勤めております」


「へえ、『あかつき』の!あの雑誌なら、いつも楽しみに読んでいますとも。特に、今やってる東雲(しののめ)月輝子(つきこ)先生の『蔦紅葉(つたもみじ)』の続きが気になって仕方無くて」


「素晴らしい偶然だなあ!東雲先生の小説はぼくの担当なんですよ。この前、先生は最終章の原稿を書き終えられまして」


夫同志が盛り上がる横で、妻達も負けてはいない。


「秋元医院の奥様先生でいらしたとはなあ。あそこの先生達は親切で腕も良いと、お噂はかねがね伺っていますよ」


「うちの病院は月影専門やさかい、何ぞあればいつでもいらしてください」


残された子供達は、黒すぐりの様につぶらな目と目をおのずと突き合わせる形になった。


「ぼく、晴彦っていうんだ。君の名前は―――」


はにかみながら晴彦が尋ねようとした矢先、秀子が大きな声を張り上げる。


「あたし、秀子!晴ちゃんっていうのね。もう、じんじょう(尋常小学校)には行ってるの?あたしも来年から行くの。おうちどこ?遊びに行ってもいい?」


矢継ぎ早に質問を投げ掛ける間にも、晴彦の両手を掴んでぶんぶんと揺さぶる。

お転婆な月影の女の子の勢いに、日輪の男の子はすっかり毒気を抜かれてしまった様である。


ダイニングルームでは、既に晩餐会の支度が調(ととの)っていた。


天井に届きそうなばかりに大きなクリスマス・ツリーは、本物の(もみ)の木だ。

粉雪を模したきらめく塗料を吹き付けたガラス玉や、光り輝く赤や黄金(こがね)のオーナメントに彩られたツリーが壁際にそびえる光景は、壮観でさえあった。


蝋燭が灯されたテーブルでは、今夜のご馳走が温かな湯気を立てている。

こんがりと焼けた皮目が食欲をそそる七面鳥の丸焼きを始め、ローストビーフやスモークサーモンといった料理が純白のテーブルクロスの上を埋め尽くす。


一番の目玉は、西洋人御用達の菓子店から取り寄せられたクリスマス・ケーキだった。

雪の様なクリームに覆われたケーキは砂糖菓子のクリスマス・ローズの花で飾られており、まるで美しい彫刻だ。


メイドは食前酒のボトルを手に、身重の誠太郎を除いた大人達の席を回る。

グラスに深い赤のワインを注ごうとするメイドを、嘉世子が手で制した。


「ありがとう。でも、うちお酒飲まれへんねん」


「嘉世子さん、ワインお嫌いだった?」


美夜が問うと、違うねんと嘉世子が首を横に振る。

そして、隣の席の秋元と意味深な視線を交わす。


夫婦はもじもじと互いを肘で突き合っていたが、やがて照れくさそうに切り出す。


「いやあ、いつ言おうかと迷ってたんだけどな。その……」


「二人目ができてん。来年の夏には生まれる予定や」


大槻夫妻に続いて、秋元家にも新たな命が誕生するのだ。

めでたい報告に、食卓はどっと沸き立つ。


「嬉しい事だね、誠太郎」


「ああ、本当に」


目を細めて語り合う大槻夫妻と共に、晴彦と秀子も子供らしい喜びを見せる。

すっかり仲良くなった子供達は、二人とも隣の椅子に座ると言って聞かなかった。


「ぼくと秀ちゃん、お兄ちゃんとお姉ちゃんになるんだね」


「きょねんのクリスマスにね。秀子、サンタクロースのおじいさんに妹をくださいって頼んだの。だから、サンタさんがお願いを叶えてくれたのよ」


美夜も、心からの祝福を嘉世子に贈る。


「嘉世子さん、おめでとう」


「ありがとう。美夜ちゃん達の子ぉが生まれたら、この子とも仲良うしてな」


嘉世子はまだ膨らみの目立たない腹部を愛おしげに撫でさすりながら、満ち足りた微笑みを見せた。


その言葉に、美夜と怜子は揃って顔を赤らめた。

まだ結婚式も挙げていない二人だが、いずれは。


「孫の顔を見るのは楽しみだけれど、子供は授かり物ですもの。二人ともまだ若いのだから、急がずともよろしいのよ。美夜さんも気負わずにね」


同席した初音が、そう慰撫(いぶ)する。


嫁として跡取りを産む重圧に苦労してきた初音だからこそ、同じ立場になる美夜を気遣ってくれるのだろう。


けれでも、と美夜は隣の席の怜子を上目遣いに見やる。


「わたし、早く怜子()()との赤ちゃんが欲しいです」


美夜と怜子が命に代えても貫いた愛の証。

淡月と愛日の輝きを受け継ぐ赤ん坊。

二人が夢見た夜明けの、その先を生きる子が。


怜子の心を映す瞳は、万感の思いを澄んだ水鏡に浮かべる。


「―――私もよ」


二人はテーブルクロスの下で、互いを(いつく)しむ様に手を握り合った。


美夜の左手の薬指に嵌められた指輪のダイヤモンドが、聖夜の星の如く清らかに輝いた。

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