ワールド・コミット!(5)
それからしばらく経った、とある金曜の夜。
そろそろ梅が咲き始める季節だというのに東京はまだまだ寒く、夕方には雪がチラつくほどだった。
「うぅ……あったかぁ〜、しみるぅ〜」
真新しいバスタブに貯められたお湯に身を沈め、冷えた体を温める。
マユさんはシャワー派だから、あまりバスタブを使わない。
ここのお風呂がやたらと綺麗なのは、そのせいだろう。
とはいえ、流石に今日ほど寒いと湯船に浸かりたくなるものだ。
……と私が説得しての、お風呂である。
マユさん的には、それでもシャワーがよかったらしい。
ちなみに、これは私の我儘なので、この後お風呂を洗うのは私の役目。
好きな人の家のお風呂を洗うというのは、なんだか経験したことのない感情を覚えるな。
なんというか、奥さん……的な?
ムフフ。
「この場合、どっちが奥さんなのかよく分からないけど……悪くないですなー」
などと馬鹿な独り言を呟きながら、大きなバスタオルで体を拭く。
それからルームウェアを着て、ドライヤーを片手に持ち部屋へと戻る。
リビングではマユさんがペタンと座って、何かの本を熱心に読んでいた。
よほど夢中になっていたのか、私が出てきたことに気づいていないようだ。
せっかくなので足音を立てないようにして、ゆっくりと近づいてみる。
そして何を読んでいるのか、後ろから覗き見してみた。
……って、これ……
「わっ、エッチな漫画読んでる!」
「ひゃっ!」
マユさんが驚きのあまりビクッと大きく肩を上げ、手に持っていた薄い本を目の前に投げ出した。
どうやらワールド・コミットで千弥さんから買った、私たちの百合漫画を読んでいたらしい。
「びっくりした、びっくりした、びっくりした!」
大きく目を見開いて、胸に手を当てるマユさん。
「もぅ……心臓が爆発しそう」
「あはは〜ごめんなさいです。それ、けっこうエグいですよね……エロシーン」
「エグいっていうか……そりゃ想像なんだからしょうがないとは思うけど、現実と違いすぎるというか……」
マユさんが投げ出した本を拾い、ペラペラと捲る。
そして、とあるシーンで捲るのを止めて、私に見せてきた。
「こんな、道具なんか使わないっての!」
「あー、確かに使わないですね。漫画だと、よくありますけども」
「……そうなの? まったく、なんてもの描いてるの」
「凄いですよね。細部までしっかり描けてるし……なんか、感じ方とか妙に生々しいし。千弥さん、資料として持ってそうだなー」
「マジか、あいつ」
マユさんが唇の端をヒクヒクとさせながら、そのページを凝視する。
よほど気になるのか、私が隣に座ってもジーッと見たままだ。
「マユさん、使ったことあります?」
「あるわけない!」
「ですよねー」
話しながら髪を拭いていると、マユさんがドライヤーへと手を伸ばした。
そしてそのまま私の後ろにまわり、ドライヤーを当て始める。
ちなみにこれは、いつもの流れ。
こうして私が横に座ると、髪が傷まないように気をつけながら、いつも丁寧に乾かしてくれるのだ。
好きな人に髪を触られるのって、大変心地がいいものである。
しばらく目を閉じて堪能していると、マユさんがポツリと聞いてきた。
「え……ユリは、使ったことあるの?」
恐る恐る聞いてくるのが、妙に可愛らしい。
なんだか、イニシアティブをとれている気分になってしまう。
「あー、たまたま泊まったラブホに置いてあって、使われたことはありますよ。ただブルブル震えるだけの、シンプルなやつですけど」
「うえぇぇ、まぁじぃでぇぇ?」
一瞬、マユさんの手が止まる。
表情は見えないが、たぶん引いてるのだろう。
「……怖くなかったの?」
「入れないやつなので〜。マッサージ器みたいな感じでしたよ」
しばしの無言。
マユさんの頭の中で、思考がグルグルしてるっぽい?
「一応聞くけど……気持ちいいの?」
「それはもう、頭おかしくなりそうな……もしかして、興味あるんですか?」
そしてまた、無言。
分かりやすいし、そこがまた可愛い。
「買ってみます?」
「やっ、待って……そこまで踏み込むのは、ちょっと怖いかも」
「まぁ〜私はエッチなことは嫌いじゃないですし〜、でも〜こんな物なくても満足なので〜、どっちでも良きですよ〜」
そう言って振り向き、そのままマユさんに抱きついた。
そして甘えるように、首筋へ鼻先を擦り付ける。
「うぅ……私の彼女が可愛いすぎるんだがっ!」
今はマユさんの方が、可愛いのだが?
でも自覚したら可愛いさが激減してしまいそうなので、黙っておこう。
「というかね……使うことによって、この漫画の通りになるのが、嫌かも」
「あぁ〜。ただの千弥さんの妄想が、本当になっちゃいますしね〜」
「そう。あと、それを矢代が見てるってことが、絶望的にキボヂワルイ……」
「あぁ……たしかに、ゲボ出そうですね」
とりあえず矢代先輩に対しては、「私たちは、この本の存在を知らない」ってことにしようと決めていた。
イジられることを、防止するための作戦である。
そんなことよりも……私は気になることがあった。
「ちなみに、マユさん」
「……なに?」
「これ読んで、エッチな気分になりました?」
ぷぷぷ。
マユさんが顔を真っ赤にしながら「なるわけないでしょ!」と返してくる展開を想像してしまい、思わずニヤニヤしてしまう。
しかしマユさんは、私を後ろから強く抱きしめると……
「なるけど?」
……と、耳元に唇を触れさせながら、低めの声で囁いてきた。
そんな予想外の行動に驚き、逆に私の方が耳の先まで赤くしてしまうのだった。




