ワールド・コミット!(1)
まだ少し肌寒いのは、ここが海のそばだからかもしれない。
少し前を歩く黒いダウンに黒いミニフレアスカート、そして黒いタイツという真っ黒なマユさんも、寒そうに手を擦っている。
やがて自力で手を温めることを諦めたのか、振り向いて私に手を差し伸べてきた。
「手ぇ」
意訳すると、手を握って温めろということだろう。
私は言われるがまま、マユさんの細い指に自分の指を絡めていった。
マユさんは満足そうに笑みを浮かると、そのまま私の手を引っ張り、再び歩き始める。
しばらく進むと目の前には、あの有名な東京国際展示場が見え始めていた。
ここビッグサイトは、いろいろなイベントが行われる日本最大規模の展示場だ。
私自身はあまり縁のないところなんだけど、前彼にキャンピングカーのイベントを見たいとかで連れてこられたことがある。
ちなみに今回は、マユさんの希望である。
「なに見るんですかー?」
そして私は、いまだにどんなイベントを見に来たのか知らないでいる。
「ん〜たしか、自主創作本の販売会かなぁ?」
「自主創作本……コミケ的な?」
「まぁ、近いのかな? 私も、よく分かんない」
どんなイベントかよく分からずに来ているのは、マユさんも同じらしい。
となると、マユさんの知人が、出店でもしているのだろうか。
それとも、好きな作家さんでも、いるのだろうか。
「あれ? でもマユさんって、漫画とか好きでした?」
「漫画はあんまり読まないけど、小説とかはたまに読むよ。文芸系とか」
「でも部屋に、それっぽい本なかったような?」
「あぁ〜そりゃ紙の本は実家に置いたままだし、今はもうスマホで読んでるし」
まぁ、たしかにそうか。
本といえば紙派かアプリで読む派かで別れるけど、こういったイベントで文芸作品を買い漁る人って、勝手に紙派のイメージがある。
しかし、人が多い。
今日は他にも大きなイベントがあるらしく、特に人が集まってるようだ。
その誰もが道に迷うような素振りも見せずに、足早でまっすぐ目的地に向かって歩いている。
それだけで「好き」の熱量が感じられるような、そんな気がしてしまう。
急流のような人の流れに飲み込まれながら、二人で手を繋ぎ目的の岸へと突き進む。
まるで溺れないように「手を離しちゃだめだよ」と、言われているようだ。
「あ〜、あそこが入り口だ」
マユさんが指し示す方向に見えてきたのは、『ワールド・コミット』という大きな横断幕だ。
そして、ものすごい人の数である。
とりあえず、どうしていいのか分からないので、長蛇の列に並び始める。
なんかずっと普通に手を握ってるけど、誰も気にしていないようだ。
「ん〜……漫画、小説、オリジナルグッズ、写真集……けっこう何でもあるみたいね」
「私、こういうの初めてです」
「あんた、本読まないもんね」
「よ、読みますよ。漫画ですけど」
「百合本とか?」
「そっち系は興味ないので、ほとんど読んだことないですけど……」
なのに、こんな仲になるなんて……我ながら、人生って面白いと思うのだ。
ちなみにマユさんと付き合うようになってから百合漫画とかも読んだのだけど、やっぱり興味はわかなかった。
百合好きなわけじゃなく、マユさんが好きなだけなんだろうと、自分の中では結論付けている。
「入場には『コミット・カタログ』ってのを、買わなきゃいけないみたいだね」
「入場券の代わりに、出店リストのカタログ本を買うってことですか?」
「そうみたいだね。入るだけで、千五百円かぁ……まぁ〜仕方ないな」
ここまで来て帰るってわけにもいかないし、それは本当に仕方ない。
これも思い出の品になると、考えるべきだろう。
「で、目的の店があるんですか?」
そこでマユさんが、ムフフ〜と悪戯っぽく笑みを浮かべる。
あ、なんか企んでいる顔だ。
かっわよ!
「とりあえず、行ってみよ〜か」
私はそれ以上聞き出そうとはせず、このままマユさんに手を引っ張ってもらうことにした。




