令嬢、愛の決闘タイムリミットが迫っています。
「時間の掛かる愛は脳に悪い!!!!!!!!!!
これは現代の脳科学者達が
よく取り上げる題材です。
ヒトは"好き"や"愛"に取り組む間、
過度の興奮状態になります。
成人の場合……、"約30分間"興奮して、
脳が熱を帯び続けると、
脳の神経細胞が消失してしまう。
情報伝達に悪影響が出て、
不快感、強い眠気、悪心、放心、
倦怠感、疲労感、反応の鈍化など、
いくらか悪影響が出るのです。
人類の体には未だに……
進化の過程で淘汰できない欠点がある。
"好き"や"愛"にともなう
生活を脅かすほどの脳の破壊……!
ときめく代償は計り知れません。
なので恋物語は程々に。
30分毎に1分間はお休みください。
……聞いていますかお嬢様」
ある豪邸の一室にて、
執事の長々とした説教が始まった。
傍にあるベッドでは、
女令嬢が寝転んで本を読んでいる。
「俺様は忙しいんだ!後にしな!」
令嬢は怒鳴りながら、
本のページを次々にめくる。
彼女の体は、興奮で熱を発しており、
"30分"のタイムリミットに今、火が付いた!
「しかしお嬢様。
娯楽用品で受ける脳の刺激は、
文字媒体ですら、
恋人といるときの20倍にも及びます。
ましてやお嬢様の年代であれば、
平均値よりも刺激は大きいでしょう。
どうか、お身体を大切に……」
タイムリミットを察し、
執事は読書をやめるように促す。
しかし令嬢は愛に燃えていた。
本を放り出し、部屋の隅から
冒険用具一式を取り出す。
「隣町の傭兵、ジョンだ!
奴を倒し、俺の夫とする!」
令嬢は、ジョンを夫にすると心に決めた。
しかしジョンは腕利きの傭兵であり、
撃破するには、一筋縄ではいかない相手であった。
「しかしお嬢様の父上は
お嬢様より強い殿方を認めません。
ジョンに敗れたときは、
愛の興奮を収めてくださいませ」
「勝ってみせるさ。
脳細胞を賭してでも、
奴との子孫を作り出す!」
令嬢は窓を開け、外へと飛び出した!
庭を超え、塀を超え、森の中へと着地する。
読書の興奮を胸に秘めたまま、
令嬢は森の中を駆け抜けていく。
「30分以内に片付けてやるっ!」
興奮してからわずか"30秒"で、
家を飛び出した令嬢。
タイムリミット以内にジョンを倒し、
愛する気持ちのまま、愛の契りを結べるのだろうか。
脳細胞を失うリスクを抱えて、
令嬢は、ジョンのいる隣町へ向かうのであった。
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令嬢が家を飛び出してから、
"29分"の時が過ぎた。
外出前に"30秒"経過していたので、
残された猶予は、わずか"30秒"である。
「あ、あれは……ジョン!」
街に着いた令嬢は、
路地裏で誰かと話すジョンを発見した。
高身長の後ろ姿、年季の入った名刀、
その姿は、令嬢の愛するジョンそのものであった。
「へっ、野郎め。
俺の旦那になる日に何してやがる?
……あ、あれはっ!?」
令嬢の目に、ジョンの話し相手が映る。
令嬢はその人物を見て、
心臓が止まりそうになる。
ジョンの話し相手は、秘密結社の総帥であった。
秘密結社は、世界で暗躍する闇の組織であり、
令嬢の家とも関わりのある組織であった。
令嬢は幼少期に一度、秘密結社の総帥と対面したことがあった。
「頼む総帥。組織を抜けさせてくれ。
俺は令嬢の夫になるんだ。あの家の金は、
あんたには渡せない……!」
ジョンは秘密結社の一員であった。
かつて令嬢を護衛したジョンは、
結社の指令で、豪邸に盗聴器を仕掛けていたのだ。
そして数分前、ジョンに新たな指令が出された。
令嬢の夫となり、令嬢家の財産を引き継ぎ、
結社に貢ぐという指令である。
ジョンはこの指令を受け、結社を抜けることにしたのだ。
「はははは、バカなことを。
貴様が令嬢と知り合うことができたのは、
我が結社の指令があったからこそ。
今更抜けるなど身勝手にも程がある!
聞き入れられぬわぁっ!」
総帥が手を突き出すと、衝撃波が発生して、
ジョンを吹き飛ばした。
令嬢が顔を引っ込めると、路地裏の中から
ジョンの倒れる音が鳴り響く。
「任務に戻れジョン!
次にふざけたことを抜かせば
命はないと思え!」
「い、いいのかよ総帥。
盗聴器を始め、あんたは随分と豪邸で
悪さをしてきたはずだ。
盗み、スパイ、偽装工作……!
豪邸で行った、結社の悪行の数々を
俺は知っているんだぜ……っ!?」
「……その辺にしておけジョン。
今ならまだ、冗談として聞き流してやる」
「てめえに引く気がないのなら、
俺は組織の悪事をばらして……!
うぐあああああぁっ!」
路地裏にジョンの断末魔が響いた。
令嬢が再び路地裏を覗いたが、
そこには誰の姿もなかった。
「ジョン……!」
ジョンの身を案じる令嬢。
その時、1人の配達員が背後から
令嬢の肩を叩いた。
「お嬢様。
文をお届けに参りました」
「あん?手紙だぁ?」
令嬢が不機嫌そうに睨むと、
配達員は怯えた様子で手紙を渡し、
街中へと走り去っていった。
手紙は、決闘受理のお知らせだった。
"令嬢vsジョンの決闘"を
受理する旨が書かれており、
決闘場所も記されていた。
「決闘場所は……
この路地裏の先か!」
決闘場所は広場であった。
しかし令嬢が広場へ行くには、
ジョン達が争っていた路地裏を
通り抜ける必要があった。
「愛の想いは
まだ胸に留めておく。
生きていろよ、ジョン!」
令嬢は路地裏へと駆け込んだ。
読書時の興奮を纏ったまま
路地裏を抜け、決闘場所へと向かうのであった。
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街の各所にある路地裏から
大きめの広場に行きつくことができる。
広場の用途は"決闘"!
愛と生死のやり取りを行う
真剣勝負の場である!
「ここが広場か」
広場の中央にやってきた令嬢は、
目の前の相手を見据える。
令嬢の目の前にいるのはジョン
……の姿をした総帥であった。
「ジョン……!」
「ふふふふふっ。
よくぞ吾輩のために来てくれた。
心から感謝する。令嬢よ」
「ジョン。……へっ。
しばらく会わない内に
雰囲気変わったんじゃねーの?」
総帥は変身魔法によって
姿形はジョンそのものになっていた。
衣服もジョンから奪ったものを身に着けており、
傍目に見る分には、彼はジョンそのものであった。
そして、偽る気が微塵もない口調も
本物らしさの一因になっていた。
総帥の堂々とした態度は、
偽りの人間がするものにしては
あまりにも自然で、自信に満ち溢れていたのだ。
本人特有の自然なオーラが、令嬢に浸透していく。
口調に違和感を抱いていた筈が、
「疑問を感じる方がどうかしてる」と言わんばかりに、
令嬢の中で、ジョンの姿形と一致していくのだ!
記憶されているジョンの印象は薄れていき、
目の前の新たなるジョンが、
令嬢の中で、本物になりつつあった。
「吾輩が何者かなど些細なことだ。
吾輩がジョンで、貴様との決闘の場に立った!
なのに貴様は……っ!
命懸けの覚悟1つ汲めぬのかっ!」
「……何てこった。俺としたことが
勝負前に水を差しちまった。
悪かったジョン!
お前の愛は、力と命で受け止めるっ!」
決闘に向けて、
両者共に万全の態勢を整える。
間もなくして、
見届け人が、2人の元へ駆けつけた。
特に何か説明するでもなく、
見届け人は2人の表情を確認する。
そして、決闘開始の旗を掲げた!
読書の興奮を抱えたまま、
冒険者用の剣を手に、令嬢は総帥に向かっていく。
脳の神経細胞消失のタイムリミットは
残り"5秒"を切っていた。
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静寂に包まれた広場の中心で、
令嬢は、倒れた総帥に剣を突きつけている。
タイムリミットは若干過ぎていたが、
令嬢の興奮はとっくに、冷たく消え去っていた。
勝負は決していた。
令嬢の勝利である。
しかし、令嬢の心に嬉しさはなく、
怒りと悲しみで溢れていた。
「ジョンてめえ……!
何で手を抜きやがったっ!?
ふざけんじゃねえええええっ!」
令嬢は怒りを露わにして叫んだ。
総帥の戦い方は粗末なものであった。
わざと外れるように魔法を撃ち、
令嬢の攻撃を何度か避けた後、自ら転倒。
剣を突きつけられたのだ。
「吾輩は非力ながらも
死力の限りを尽くした。
本気でやったのだ……!
この思いを嘘とは言わせぬぞ!」
「噓つけてめえ!
背中の剣はどうしたっ!?
……いや剣はもういいっ!
ジョンじゃねーんだ、使えねえこともあるさ!
だが、あの腑抜けた魔法何だっ!?
あからさまに手ぇ抜きやがって!
愛と命を懸けた真剣勝負に
泥塗るマネするんじゃねぇっ!」
「見抜いていたのか?吾輩が
ジョンではないと……!
……では1つ教えておこう。
貴様が思うほど、魔法は強くない。
吾輩は己の持つ魔法で、
最も優れたものを使ったのだ。
愛する貴様を殺めようとした……!
吾輩は、その事実が
心苦しくてたまらない!」
「じゃあ説明してみろ!
ジョンをやった魔法を
俺に使わなかった訳をよっ!」
「な、何だと……?貴様まさか、
全て知っていたのか!?」
「この広場に向かうときに考えたんだ。
もしジョンが死んでいても、
決闘に来た男が居れば愛する!
そんな選択も……ありだと思ってた!
あんたが今の姿で現れたとき、
俺の知るジョンではなかったが、
変なジョンでもよかった!
ここに来ることは、愛のために
命を懸けることだからだっ!
この場所で戦う奴が、
どれだけ死の覚悟を背負っていたか、
わからねーのかっ!?」
決闘による愛の成就は、
敢えて死のリスクを抱える方法である。
決闘というのは名ばかりではない。
決闘後に愛し合う関係になることもあるが、
それは互いの同意があった場合である。
もしも同意がなければ、
どちらか一方が死ぬまで戦わなければならない。
この決闘システムでは、愛するための決闘と
相手に銘打っておきながら、
隙をついて命を奪うことも容易なのだ。
リスクしかない決闘であるが故に、
死を覚悟して、愛を勝ち取る必要がある。
勝てば"愛"か"相手の死"、
負ければ"愛"か"自分の死"、
これが勝者と敗者が選べる権利である。
両者が愛することを決めた場合にのみ、
敗者は生き延びることができる。
しかし愛を選んだ敗者による
報復のリスクもある。
愛を誓った直後の不意打ちは多い。
家に招かれてから報復し、
全てを奪い去る強奪者なども存在する。
だからこそ決闘で愛を成就するなら、
死力を尽くして戦い合い、
相手を見極める必要があるのである。
勝者は真剣勝負で相手を見極め、
敗者は真剣勝負で愛と信頼を得るのだ。
決闘で手を抜くというのは、
命を懸ける参加者たちからすれば、
"見極めを放棄して愛せ"と
理に敵わない選択を要求しているに等しい。
不誠実で邪道……これが
令嬢が総帥に抱いた印象であった。
「ジョンは死んだ。だが令嬢よ。
ジョンにあって吾輩にないもの……
そんなものはこの世に存在しない!」
「んだとぉーっ?」
「くくく、気づかぬか?
吾輩はジョンの
上位互換だと言っておるのだ!
今の吾輩の容姿を見ろ!
ジョンそのものだ!吾輩は、
貴様の望むありとあらゆる人物の容姿を
手に入れることができるのだ!
吾輩の秘密組織を知っているだろう!
令嬢、貴様の家と取引し、
ジョンを部下に従えるほどの
世界規模の大組織の長!
それが吾輩だ!
吾輩はジョンに勝った!
剣はジョン並にしか扱えぬが、
秘密組織直伝の武術を身に着けている!
並の傭兵ならば相手にもならぬ!
何より、吾輩の魔法はこんなものではない!
吾輩が生活のために魔法を使えば
貴様は、これまでとは比類なき
豊かな生活を送れるだろう!
もう一度言う!
ジョンにあって吾輩にないものなどないっ!」
「……はあ。もういい。
てめえに話すことはもうねえ!
おいジョンてめえ!
覚悟はできてんだろーなっ!?」
「ほほう。なるほど。
吾輩をジョンの代わりとして
愛することに決めたか。
構わぬさ。貴様を愛する覚悟はできている」
「ばーか。死ぬ覚悟はできたのかって。
俺はそう聞いたんだ!」
「……なんだと?
ば、バカな真似はよせっ!
決闘状には、貴様とジョンの名が記されている!
吾輩の命を奪えば、
貴様もタダでは済まぬぞ!?」
「ならどうでもいいなっ!
命を懸けた俺がどうなろうがよぉっ!
それにてめえは
ジョンだからなあああああああぁっ!」
「や、やめろぉーっ!
吾輩はジョンじゃないーーーっ!
ぐあああああぁーーーっ!」
令嬢の一撃が
倒れている総帥を切り裂いた!
焦りから魔法を撃つ心構えすらできずに
総帥は致命傷を負う。
「う……ぐっ。
な、なぜ吾輩が……
こんな目に……ぐふっ」
「"死ぬ覚悟"がねーからだよ。
……バカタレめ」
総帥が力尽きるのを見届けると、
令嬢は、遠くの見届け人に視線を移す。
すると、決着を察した見届け人が
総帥の生死を確認する。
「……ジョンの死亡を確認しました
って、あれ!?」
見届け人が死亡確認を終えた直後、
総帥の姿が元に戻る。
見届け人が戸惑う中、令嬢は剣を収めた。
「俺が悪いってことになりそうか?」
「……いえ。私が見ていた限りでは
変装と判断できる要素はありませんでした。
最後のジョンじゃない発言も、
本物が命乞いのために言う可能性が」
「そりゃねーよ」
こうして令嬢の決闘は、終わりを迎えた。
読書の勢いで始まった決闘は、
結局、愛する人を失う結果となってしまった。
しかし令嬢にとっては、
ジョンの愛と覚悟を見極める戦いであり、
愛を感じ取ることができる結果であった。
令嬢は、ジョンの愛を受け止めつつも、
いつか来る新たな愛に備え、
恋物語を読み耽っていた。
死んでしまった相手を想い続けるほど、
彼女の心は現世を離れてはいない。
読書も、死んだ相手への愛も、
現実で愛を手にするための糧なのだ。
スパイの居なくなった豪邸の中で、
令嬢は日々を過ごすのであった。