白銀の殺人姫 ~メイドになって憎き男を殺したいのに、この気持ちは何なのでしょう?~
私は、目の前の立派なお邸を見上げ、大きくため息を漏らす。
ここに私の目標がいる。
今までの仕事とはまるで違う、本物の大仕事。絶対に失敗するわけにはいかない。
あいつと相対すると思うと、落ち着かない気持ちになる。しかし取り乱してはならない、冷静な仮面を被り、着実に成功させるだけ。それだけなのだ。
「では、行きましょう」
――呼び鈴を鳴らした。
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私の名前はヴェレーノ。
今日これから、この邸でメイドとして働くことになっている。
しかしそれはあくまで仮の姿だ。私の本当の仕事は、殺し屋。
殺し屋なんて、多くの人は存在自体知らないだろう。しかし裏社会には確かに存在しているのだ。
殺し屋は依頼を受けて迅速に殺人を行う。そして今回の依頼は、この邸の主である男――デボレを殺害せよというものだった。
そして今回はただの依頼による殺人とはまるで違う。デボレは、私が復讐を誓った男なのだから――。
* * * * * * * * * * * * * * *
「いらっしゃい」
メイドと思わしき中年の女性に連れられて邸に足を踏み入れる。
室内のあらゆるところが金色に彩られていた。さすが、『黄金邸』ね、と私は少し感心する。
そしてそのまま廊下を行き、立派なドアの前に立った。ここが恐らく、デボレの執務室だろう。
「旦那様、新人を連れて参りました」
中年メイドがそう呼びかけると、中から「入ってきてくれ」との答えがあった。
と同時にメイドがドアを開け、私を小突く。私は半ば倒れるようにして部屋に入った。
執務室の椅子に座っていた男は、二十歳すぎくらいの青年だった。
金色の髪を美しく整え、朱色の双眸がこちらをまっすぐに見つめてくる。彼こそが、『金色の獅子』の異名を持つ男だ。
「初めまして。僕はこの邸の主人、デボレだ。知ってはいるだろうが、一応この国の大統領ということになっていてね」
「ええ、存じ上げております」
私はそう言って深く頭を垂れた。
そう、こいつが私の幸せを奪った張本人。知らないはずがない、忘れるはずがない。
込み上げてくる怒りをグッと押さえつけ、静かに自己紹介をする。
「私はヴェラと申します。このお邸で働かせていただきたく」
名乗ったのは今回使う偽名である。
殺し屋として働いている私は、基本本名を使わない。
ヴェラというのは、昔お母様に呼ばれていた愛称だ。もう十年以上前の話だけれど……。
「ヴェラ。話は聞いているよ。遠方から来たんだから疲れたとは思うけど、早速色々と話していいかな?」
デボレ大統領は、至って優しい口調。
しかし彼のその態度は被り物だ。実際は、とてもおぞましい悪魔のような男なのだから。
「はい。疲れておりませんので、お話を伺わせてください」
私は契約内容や邸のルールなどを簡単に説明され、それから契約書にサインをした。
* * * * * * * * * * * * * * *
私は中年メイドの後を追って邸を案内してもらっていた。
無事にメイドとして認められ、仕事を果たすことができる。少々安堵しつつ、邸の構造を記憶にしっかりと留め置いた。
いざという時の脱出経路に使えるかも知れない抜け穴などもチェックしておく。何があるからわからないからだ。
そんなことをしながら、私は豪華な邸を見てふと過去を思い出していた。
私は、元々は一国の姫であり、ここよりもっと豪勢な城に居を構えていたのだ。
美しき白銀の長髪、宝石を思わせるマゼンタ色の瞳。透き通るような肌、静かな月のごとき微笑み。
そう謳われるほどの美貌を誇っていた私には、あらゆることが満ち足りていた。
母は八歳の頃に亡くしてしまったものの、厳しくも優しい父、頼れる兄、可愛い弟に恵まれたし、世話係たちもどんなに優しかったことだろう。
したいことが何でもできるわけではなかったが、穏やかで幸せな日常が当たり前だった。
しかし二年前のある日、悲劇は起こる。
突然、城に火が放たれ、大勢の者が攻め込んできたのだ。
父は殺され、弟は死に。たった一人城を抜け出せた兄も、私を守るために命を散らしてしまって。
何も、残らなかった。
憎かった。城を落とした男――元公爵で今は大統領の男、デボレがとにかく憎くてたまらなかった。
だから私は殺し屋に、いいえ、殺人鬼になってでも復讐を果たそうと決めた。父と兄弟を殺した男を、この手で殺してやる。
裏社会に入り込み、ありったけの金を使ってのしあがった。
そしていつしか『白銀の殺人姫』との二つ名をつけられ、認知され出し。
私の腕は認められて、たくさんの人々に求められた。そして数日前、こんな依頼が入ったわけである。
『デボレ大統領を暗殺せよ』、と。
もうすぐ、もうすぐ復讐が果たせる。
メイドとしてしばらくの間を過ごし、そして突然奇襲をかける。そうすれば必ず……。
「――ちゃん。ヴェラちゃん」
中年メイドの声で我に返り、あたりを見回すとそこは衣裳室。
どうやら、私専用のメイド服を選ぶらしかった。
「ヴェラちゃん、何を考えてるの?」
「いいえ、何でもございません。デボレ大統領の元で仕えることが、嬉しくてたまらず」
これは嘘ではない。
あの男に顎で使われることは癪だったが、全て復讐のためと考えれば何の苦にも思わなかった。むしろ喜ばしいことだ。
「……そうよねぇ。あたしも最初にこの邸に来た時はそれはそれは。貴族のお家で働くのは、平民の夢ですものねぇ」
一応、私は平民ということになっている。
元々この国の姫だっただなんて言えないし、誰に言うつもりもない。もはやその地位は失われ、失踪してのたれ死んだだろうと思われている人間なのだから。
すぐにメイド服選びは終わった。
着替えてから、その姿を鏡に映してみる。
白銀の髪が黒と白のエプロンドレスに合っており、なかなか可愛らしく見えた。
「いいじゃない。見た目はこれでバッチリ」
「ええ。あとは御作法のご教授をお願いします。それと、お仕事の内容も」
「わかってる。一応あたしが教育係だから」
中年メイド――ジュニと名乗った女はそう言って笑う。
メイドだというのに、全然態度がなっていない。これは後輩に対する優しさを装っているのだろうか? 私にはよくわからなかった。
「よろしくお願いします、ジュニさん」
私は笑顔の仮面を貼り付けた。
* * * * * * * * * * * * * * *
『黄金邸』での日々は慌ただしく、なかなかに過酷なものだった。
ほとんど働いていて、眠る時間は少ない。それでも睡眠は極力摂るように努めている。
最初は慣れなかった料理や洗濯、掃除などのメイドの仕事もだんだんと板についてきて、他のメイドたちとも多少仲良くなった。
気づくと、働き始めてすでに半月が経っていた。
仮の主であるあの男、デボレは、私の仕事中によく声をかけてくる。
「ちゃんと働けているかい?」だとか、「手伝おうか?」だとか。
見ると彼は暇さえあればメイドたちの手伝いをしているのだ。
大統領ではないの? と思ったが、会合に出る時以外は大体書類整理らしい。呑気なものである。
私は彼をできるだけ避けていた。
何を思ってかは知らないが、彼はクーデターを起こし私の城を滅ぼした。私を不幸にしたのは全部彼なのだ。そんな人間と近くに居られるはずがない。
それに、彼の顔を見るとなぜだか胸がドキドキする。
きっと怒りに燃え上がっているのだろう。今すぐにでも殺したい、いつもそう思った。
その日、私はとある作戦を立てていた。
今日の夕食の時に、デボレを殺してしまうのである。
まだ邸に来て日も浅いしどうしたものかと迷ったのだが、今日はちょうど私は夕食係ではなかった。
もし毒殺したら、疑われるのは今日料理担当のジュニ。彼女に違いない。
私の殺害手法は毒殺だ。
十八とまだ少女と言ってもいいような年頃の私は、力が弱い。だから一番毒殺が確実なのである。
ジュニが料理を作り上げ、テーブルに皿を並べ出した。
しかしそのうちの一品、デボレのものだけに毒が盛られている。ジュニが目を離していた瞬間、うまいこと入れ込んだのだ。
毒味係がいない上、即効性の毒ではないからわかるまい。そう思い、私はデボレの死を確信する。
『金色の獅子』と呼ばれ、一国を覆したことすらある男を、毒だけで静かに殺める。なんて素敵なのかしら。
「美味しいそうな匂いだね」なんて言いながら、あいつが食堂に入ってきた。
軽そうな普段着を着ているその姿は、街角で会えば間違いなく町民だと思ってしまうだろう。それくらいに彼からは威厳とか、そういうものを感じない。
「こんな奴が大統領だなんて、笑ってしまうわ」
私は口の中だけで呟いた。そして、彼が毒を口にするのを待つ。
いよいよデボレがスプーンを手にし、料理であるスープをすくい上げた。
さあ、食べる、食べる、食べるわ……。
――ガシャン。
直後、皿の割れる音がして、スープが地面に飛び散った。
一体何が起こったのか。それは、デボレがうっかり手を滑らせ、皿を割ってしまったのだった。
私は目をぱちくりする。
最高級の毒だったのに。あれがあれば確実に殺せた、のに。
「ああ、すまない」
本当にすまなさそうな顔で謝られ、料理を作ってもいないのに私は「いいんです」なんて答えてしまっている。
ジュニから睨まれた。しまった。
内心の動揺をすぐに押し殺すと、私はなんとか皿の片付けに手をつける。
こうして、一度目の殺人計画は失敗した。私にとって初めての失敗だった。
* * * * * * * * * * * * * * *
それからさらに一週間ほど。
私はまだ、デボレを殺せずにいた。
「どうしましょう。あまりのらくらしていたら依頼主に怒られるし……」
復讐が本命とは言え、一応この殺人を依頼した人間はいる。だから、私は早めにデボレを仕留めなくてはならないのに。
どうやって殺そうかと考えながら庭の手入れをしていると、そこへ彼本人が姿を現した。
「やあ、何してるんだい?」
自分のことを殺そうと考えている女などとは知らず、彼は陽気に私に話しかけてくる。
私は立ち上がると一礼した。
「花の手入れです。ジュニさんに、ここを任されたものですから」
業務的に答えを返すと、彼は「そうかい」と微笑み、
「ここの花たちと君は、とてもよく調和しているよ。特にその銀髪なんか、太陽に煌めいて輝いて、周りの花をも薄れさすほどにね」
「……ありがとうございます」
城で暮らしていた頃は、よく言われたことだ。
特に兄は私の銀髪が好きで、よく撫でてくれていたっけ。そんな思い出は、もうずっとずっと古いことのような気がした。
全て、この男が奪った幸せだ。
「――一つ、聞いていいかな?」
突然、デボレがそんなことを言ってきたので私は少しギクっとした。
もしかしたら今の思考がバレてしまったのではないか。そう思うと少し声が震えてしまう。
「な、何でしょう?」
「いやね、君のそのマゼンタ色の瞳。綺麗なんだけど、なんだかいつも……そう、曇っているように見えてね。何か辛いことでも、あるのかい?」
――ああ、そんなことか。
私は心底安堵した。そして、答える。
「いいえ、ご主人様。私は今この邸で働くことができて、とてもとても楽しく過ごさせていただいております」
今ここで全てを吐いてしまえれば、どんなに楽だろうか。
お前が全部悪いのだと、そう言えたならどれほどスッキリするだろう。
しかし私はそんな短慮な人間ではないつもりだ。冷酷で冷静な、鋭い毒のような『殺人姫』であらねばならない。
一方のデボレは朱色の瞳でこちらをしばらく見ていたが、やがて、「それならよかった」と笑い、そっと歩き去っていった。
しかし最後、チラリとこちらを振り返ると、
「僕のことはデボレと呼んでほしい。いいかな?」
急に何を言い出すのかしら、こいつは。
そう思ったが、別に他意はなさそうだったし、私としてはどちらでもいい話だった。一応頷いておいた。
「了解です、デボレ様」
今度こそ彼は邸の中に消えた。
一体あの男は何がしたいのだろう。私には全然わからない。
でもまあいい。今夜中に、彼は死ぬのだから。
* * * * * * * * * * * * * * *
ワインに毒を盛った。
「今回こそ上手くやれるはず。大丈夫よ」
前回はとんだハプニングだっただけで、まさか毎回同じようなことがあるはずがない。
もしもそんなことがあったら、運の神が彼に味方しているのだろう。が、私は神など信じていない。
神がいたとすれば、どうして罪なき父は、兄は、弟は殺された? 神なんていない。いるはずがない。
そうして夕食後、デボレにワインをすすめると、彼はすぐさまグラスを受け取った。
「なんて無用心なのかしら。呆れるわ」
そんな私の呟き声など知らず、グィッとワインを飲み干すデボレ。
私の家族を奪い、城を破壊した悪魔が今、死へ向かっている。
昨日の毒と違って、効き目は割合早い。犯人はバレるだろうが、そうなったら逃げたらいいだけだ。殺し屋なだけあって、身分はいくらでも偽って過ごすことができる。
けれど、私の想像の斜め上を行く事態が発生した。
「うっ!?」
立ち上がろうとしたデボレ、彼がよろめいて倒れたのだ。
そこまではいい。そこまではいいけれど、おかしなのは口から血を吐き出す様子がないこと。あの毒は、一瞬で全身の内臓を傷つけるもののはずなのに。
「旦那様!?」
「ご主人様」
ジュニ筆頭に、他のメイドたちがみんな駆け寄っていく。
私も心配そうなふりをして、「デボレ様!」と彼の元へ。
そして私はデボレの脈を測った。脈は……正常だった。
おかしい、おかしい、おかしすぎる。
そう思って私は、ふと、あることに思い至る。
デボレは完全に意識を失っているようだが、体はまるで普通だ。
ワインに盛ったあれは毒ではなかった。間違って、気絶剤を入れてしまったらしい。
「……また失敗を」
ドジすぎるにも程がある。完全とも言われたこの殺人姫の名が落ちるというものだ。
私は己の愚行を深く反省した。
そのままベッドへ運ばれていく青年を見送りながら、思う。
この妙な安堵感は何なのだろうか、と。
* * * * * * * * * * * * * * *
それから私は二度も失敗した。
三度目はデボレの普段着に毒を染み込ませておいた。のに、ジュニに洗われてしまい、彼女の手が毒で腫れ上がるというとんでもない始末。
そして四度目は、デボレが出先から帰宅した瞬間、バルコニーから毒をぶっかけてやろうという作戦だ。
しかしこれまた上手くいかず、彼のすぐ背後の地面に毒が降り注ぎ、無駄にしてしまった。その上これが私の仕業だとバレ、ひどく怒られた。
幸いなのは毒水を『ただの水』と思われていたことだろう。そして私もまた、『掃除中、間違って水をこぼした』と嘘をついたから。
ギリギリのラインで毎回仕留め損ね、私は大きく自信を失っていた。
が、同時に自分が抱き始めている、なんとも言い表せない感情に気づく。
デボレと話していると、胸が痛むのだ。燃え盛る復讐心と同時に、寂しいようなそんな感覚に襲われる。
「これは何なの?」
毎晩のように、誰にともなく問いかけてみる。
おかしい。だって、殺し損ねる度、ホッとしている私がいるのだ。
その正体はわからぬまま、月日があっという間に過ぎていった。
一度、依頼人から手紙が届き、「まだなのか」と迫られてしまった。
ああ、早くしなければ。そう。今すぐにでも、今夜にでも。
「今夜……」
私は、今夜こそ殺人を決行することにした。必ず成功させる、そう心に誓って。
* * * * * * * * * * * * * * *
月明かりが窓から差し込む廊下を、私は静かに歩いていく。
普段はポニーテールにしている銀髪を下ろし、メイド服ではなく白いワンピースを身に纏っている。
これが『白銀の殺人姫』のスタイル。本来私は、夜半に暗殺するのが得意なのだ。
じゃあなぜ今までそうしてこなかったかというと、デボレがあまりにも無用心なものだから昼間にでも殺せるのではと甘く見ていたせいだろう。今夜の私は本気だ。
彼の部屋の位置は知っていた。メイドたちはみんな眠っているから、誰にも見つかりっこない。
デボレの寝室の前まで来た。
胸の鼓動がどくどくと、うるさいくらいに高鳴っている。
最初の頃はともかく、すでに二年も殺し屋をしているから普段はここまで緊張などしないはずなのに。きっと、本命の復讐者を前に興奮しているに違いない、私はそう思った。
――ドアを開ける。
中には案の定、無用心な格好でデボレが寝ていた。
顔を壁の方にやり、後頭部をさらけ出している。静かな寝息を立てていた。
「今から殺されるとも知らずに、呑気なものね」
そう言いながら私は、そっと髪から毒針を抜き出した。
これが彼の命を奪う凶器となる。それを手にしたと同時に、私は気づく。
自分の手が、小刻みに震えていることに。
「あら……?」
手だけではない。足もガクガクで、膝が笑っていた。
どうしたというのだろう。相手は泣き喚く赤子より、ずっと殺しやすい。まるで「どうぞ殺してください」と言っているようなものだ。
何を怖がることがある? 何もありはしない。なのに、どうしようもなく震えているのだ。
「何を。何をしているのよ。しっかりなさい。念願の復讐の機会じゃない。さあやるのよ、さあ、さあ、さあ……」
けれど足は全然言うことを聞いてくれず。
この原因が何なのか、私にはわからない。ただ自分に腹を立てること以外できなかった。
「行くのよ! 行って、殺すの!」
「――君には僕を殺せないよ、ヴェラ」
その時、声がした。
私は思わず、一瞬固まる。
幻聴か何かかと思ったが、どうやら違うらしい。先ほどまで寝息を立てていたはずのデボレが、そっと身を起こしてこちらを振り返った。
朱色の双眸が、私を射止める。
「来ると思っていたよ。だから僕は、君を待っていた」
「ど、どうして……!」
バレていなかったはずだ。何もバレていなかったはずなのに。
なぜ、と頭の中で疑問が湧き上がり出す。なぜ、彼が待ち構えていたのか。なぜ、私のことを知っているのか。
なぜ、なぜ、なぜ――。
「僕はね、ヴェラ。君の正体を知っているんだよ」
私は何も言えない。彼の瞳に魅入られたまま、一歩も動けない。
「『白銀の殺人姫』。そうだろう?」
毒針を、早く毒針を刺さなくては。
そう思うのに私の手は震えたままだ。動け、動けとどんなに念じても、石のように固まっている。
デボレは話し続ける。
「君は、どうして僕が殺せないと思う? 僕はね、ヴェラ。最初から気づいていたんだ。気づいていて、わざと知らないふりをしていた。ごめんよ」
最初から、知っていた?
そんなまさか。だって。そんな。
「僕も国を統べるという仕事柄、裏社会には少し詳しくってね。そこで君のことはよく知っている。銀髪の乙女なんて、そうそう多くはないから」
彼の一言一言を聞くたびに、体が凍りついていく。
「――君は、僕のことが好きなんじゃないのかい? だから、殺せないんじゃないのかい?」
私が、デボレを好き?
そんなわけない。そんなわけ……。
「――ぁ」息を呑んだ。
殺し損ねた時の、あの安堵感。
デボレと話している時の、高揚するような感覚。
認めたくはなかった。けれど、言われてみればそれはとても的確で。
私はデボレに、恋心を抱いてしまっていたのである。
「そんな、そんな」
父を殺し、兄や弟を死に至らしめた男だ。なのに恋をする? 馬鹿げているにもほどがある。
「私はあなたを殺す。殺して、殺して、復讐を果たすの」
毒針を強く握りしめた。
これを彼の細い腕に突き刺す。ただそれだけのことができないなんて。
「復讐したって意味がないよ」
「そんなことないわ! 城を焼いて、私の平和を壊した極悪非道の悪魔に、何がわかるの!」
彼を主人とし、メイドとして仕える間も、ずっとずっと憎かった。
頭を垂れることが苦だった。どうしてこんな男に敬意を払うふりをしなければならないのだろう。今すぐ死んでしまえばいいのに、と。
恋心と怨念が、同時に私の心に存在していた。
どうしてこんな男に惚れてしまったのか、自分でもわからない。気づきたくもなかったというのに。
「まあいいわ。殺せばいい、それだけ。恋する人でも殺す、それが殺し屋の役目だもの。か、覚悟しろぉ!」
躊躇いを吹き飛ばし、私は無茶苦茶に走り出した。
彼の胸の中にまっすぐ飛び込む。腕に突き刺すつもりだったが予定変更だ。胸に、心臓に、刺してやる。
しかし足がもつれて倒れ込んだ。私の頭が、デボレの腹部に直撃する。
それと同時に、自分でも嫌になるくらい小柄な体が、デボレに抱き止められていた。
「いやっ。離して、離しなさいよっ!」
冷酷の仮面など、もうすっかり剥がれ落ちてしまっている。
半狂乱になって叫ぶ私に、彼は一言。
「――僕は、君の声が好きだよ」
そう、言ったのだった。
「え?」と、思わず声が漏れる。
何を言われたのか理解が追いつかない。しかしようやくわかった後、また叫ぶ。
「何を言ってるの!? ふざけないで! ふざけないでちょうだい!」
「ふざけてなんかない」あくまで穏やかな声音で金髪の青年は言う。
「君の白銀の髪が好きだ。君の氷みたいに冷たくて、でもたまに可愛いところを見せるのも好きだ。――何年も前から好きだったよ、ヴェレーノ姫様」
* * * * * * * * * * * * * * *
「ええと、どこから話そうか。……そうだな、じゃあ僕の初恋の瞬間の話をしよう。
僕が君を初めて見かけたのは、王族貴族の集う夜会でのことだった。
まだ十歳と幼い君は、とても美しかったよ。銀色の髪に、輝くような白いドレスがよく似合っていたっけ。
僕は君を一目見た瞬間、恋をした。
でも僕はまだ十四歳だったし、四つも年下の君に告白なんてできるはずがない。
だから僕は、諦めたんだよ。
でも君の美しさは忘れられなくて、父の用事で王城に連れられてくる度、僕は君を見ていたよ。
一度、父が君の父上に婚約を持ちかけたんだがね。『娘は恋愛結婚をさせてやりたいから』とあっさり断られてしまったな。
……一方で父は、実は王家をとても嫌っていた。
独善的な政策が嫌だったらしい。いつかこの国を共和制に変えてやるって、毎日のように言っていたよ。
でも父は、僕が十七の時に死んだ。
十七で公爵の座を受け継いだ僕だけど、若いせいもあって母の言いなりでね。
母は、父の夢を叶えたい一心だった。だから僕にクーデターをするように命じたんだ。
僕は逆らえなかった。ごめん。
三年がかりで計画を作って、城を陥落させた。
『黄金の獅子』なんて呼ばれているけど、自分で戦う勇気がなかった。弱いんだよ、僕は。
だから集めた兵士に全部を任せたよ。
本当は王族皆殺しの予定だったんだけど、君だけが逃げ延びたみたいで。その時僕は、よかったぁと思ったんだよ。
勝手だね。君の家族を殺しておきながら。
ちなみに母は、去年他界したばかりだ。残念なことにね。
君が『白銀の殺人姫』になったと知ったのは、つい半年くらい前のことだよ。
信じられなかった。麗しい君が、殺し屋になっているだなんてさ。
探し出そうと思ったんだよ? でも大統領となった僕の力をもってしても、君を見つけ出すことができなかった。
だから、メイドとして君がこの邸に来てくれた時、僕は嬉しかったんだ。
君を見た途端に気づいたよ。ああ、姫様だって。
その瞬間僕の恋心は、もはや抑え切れなくなった。君が僕を殺しに来たんだってことはわかっていても、ね。
何度も殺されそうになっていることは知っていた。だけど黙っていた。君が躊躇っているのがわかったから。
君だって、僕のことが好きなんだろう? 曇り空から差し込む月光みたいに、時折、ほんの一瞬だけ輝く君の瞳。僕はずっと見ていた。
そして今日、君がここに来るってわかった。君へ送られた依頼人の手紙も、僕はちゃんと読ませてもらっていたんだよ?
でもそんなこと、一向に構わない。今は二人になれたことが、嬉しくてたまらないんだから。
ヴェレーノ姫様、僕は、僕は……」
* * * * * * * * * * * * * * *
私も愛していた。
メイドとして振る舞って、彼と近づく度に歓喜する心を押し殺してはいたけれど。
デボレが好きだ。
『金色の獅子』のようでありながら、どこか弱々しい彼が。
何を考えているのかわからなくて、でも優しく微笑みかけてくる彼が。
胸が蝋燭を灯されたように暖かく、復讐という鎖に繋がれて凍りついていた体を溶かしていく。
例え愛する家族を殺したのが彼なのだとしてもこの気持ちはもう止められない。
「ああ、私、なんて馬鹿なの……?」
このまま全てを忘れ、本能のままに愛してしまいたい。
けれどそんなことは許されない、と私の理性が叫んでいた。だって、
「私はたくさんの人を殺したわ。あなたを殺す、そのために。こんな私に幸せになる資格なんてない。毒花は孤独で終わるのがお似合いよ」
――私は殺し屋。
『白銀の殺人姫』として、千人もの人々をこの手で殺めた女。己をただの復讐の鬼と定めた、哀れな女。
なのにどうして幸せになることが許されよう。なのにどうして愛することなどできようか。
だが、デボレは大きくかぶりを振った。
「そんなことない。そんなことないよ。……僕は、君を愛してる。君は僕を愛してる。それだけでいい、それだけで充分じゃないか」
柔らかく、けれど男らしい両手で、私の頭がグィと持ち上げられる。
向かい合う二人の顔。そのまま、頭ひとつ分は高い位置にあるデボレの顔が近づいてきた。
「な、何を……」
「――大好きだ」
唇と唇が触れ合う。
喉が鳴り、なめらかな感触が直に伝わってきた。
驚きに目を見開く私に、彼はそっと笑いかける。私が大好きな、太陽みたいな微笑みで。
「ごめんね、そしてありがとう」
* * * * * * * * * * * * * * *
私は、『白銀の殺人姫』の二つ名を捨てた。
死した家族たちには悪いと思っている。しかし私は私の道を行こうと、そう決めたのだ。
あの夜から数日。
邸で盛大な結婚式が開かれ、私――元メイドのヴェラと、主人である大統領デボレは、結ばれることとなる。
白いウェディングドレスに身を包む私は、姫であった頃のように美しく壇上で輝いた。
私がヴェレーノ姫だったことは彼と二人だけの内緒。そして、『殺人姫』のことも、ね。
ああそうそう、殺しの依頼をしてきた人間は、デボレが処刑していたらしい。今となってはどうでもいいことだ。
私と彼がこれからどんな人生を歩んでいくのか、それは私にもわからない。
けれど彼とならきっと大丈夫だ。私はそう確信している。
「――ヴェラ」
「デボレ様」
互いの名を呼び合う。
そして愛の誓いを捧げると、会場から拍手の渦が巻き上がった。
「白銀の花嫁と黄金の花婿に、末永き幸せあれ!」