4 大鏡
インターフォンを押すと、由利がドアを開けた。
「刑事さん。まだ、何か?」
西村の背後から、ひょこりと海堂が覗く。
「船越由利さんですよね?」
「え、ええ」
海堂の白い髪に驚きながらも、由利が首肯する。
「お話を聞かせてもらっても、いい?」
「そこの刑事さんに、すべてお話ししましたが……」
西村と由利の目が合う。
「確認です。何度も申し訳ないね」
「そう、ですか……」
由利は二人を招き入れた。
「お姉さんが亡くなった部屋があるのに。まだ、このマンションに住んでいるの?」
無遠慮な海堂の質問に、西村は顔をしかめる。
「おい。失礼だぞ」
「不思議に思われるかもしれません」
廊下で、由利が振り返った。
「ここは姉との思い出の場所なので」
「でも、家賃が高いでしょ。支払えるんですか?」
海堂を殴りたい衝動を、西村はどうにか堪えた。
案の定、由利の表情が引きつっている。
「田舎に両親がいますし、私も作家として稼いでいますから」
「ふーん」
納得したのか、海堂が鼻を鳴らす。
「あ、あの。白い髪の刑事さん」
部屋の前で、由利が立ち止まった。
「その髪の毛って、地毛ですか?」
「うん。そうですよ」
「あああ、あの。あなたのような外見のキャラクターを、小説の中に登場させても、いいですかっ?」
作家の性か、両手を胸の前に組んで懇願する。
「いいよー」
「ありがとうございます!」
「書くことができればね」
ひどいことを口にしながら、海堂はにこりと微笑んだ。
西村は手を額に当てる。本人はその容貌を誇らないが、黙っていれば美青年。「作家デビューした新人が、納得のいく描写ができるの? お嬢さん」という意味だろう。あくまで西村の推測だが。
「姉の部屋は、ここです」
ドアを指差して、由利は開けようとしない。姉が亡くなった現場だ。極力、入りたくないのだろう、と西村は思う。
それでも、遠慮容赦なく海堂はドアを開けた。
「おー、こいつは面白い」
カーテン越しに差し込む光に、人型にかたどった白いテープが浮かび上がる。
床一面を埋め尽くすのは、もはや黒に変色した大量の血。黒い血の海に、割れた鏡の破片がきらきらと輝く。
正面の壁には、砕け散った大鏡。
くん、と海堂が鼻を鳴らした。
「埃の匂い。以前から、掃除はしていなかった?」
「ええ」
ドアの近くから、由利が答える。
「姉は無精者で。私が掃除を担当していたんですけど、部屋はしなくていいって。物を動かされるのが、嫌いだったみたいで」
「じゃあ、この部屋の物には触れていない?」
「え? ええ……、たぶん」
「ふーん」
海堂が割れた大鏡に近づいた。四方の木製の枠に、精密な彫刻がされている。
「中世ヴェネチアの鏡か。大きいな」
そう言って、海堂は手の平を浮かせながら、木枠に沿って動かす。
「何やってんだ?」
西村が訊ねる。変わり者の同期の奇行が恥ずかしい。
「長さを図っている。僕の手の平を広げると、親指から小指の先まで、直線の長さが約二十二センチ。だから、この鏡は縦百センチ、横八十センチぐらい」
「……へえ」
そう言えば、わかっていることを話しただけで、詳細な捜査資料を見せていなかった。
「うーん」
大鏡が気になるのか、海堂は割れた鏡面を眺める。近づき過ぎて、上部の木枠に肩が当たりそうになった。
「おい、気をつけろよ」
「壁も興味深いね」
答えになっていない。クリーム色の壁紙が貼られた、普通の壁だ。
「何が興味深いんだ?」
「これが殺人事件だからだよ」