三 開戦
今から三ヶ月程前のこと。
呉服屋の娘さんが行方不明になった。
山に入ってから帰ってこなくなり、村中で懸命に捜索したが見つからない。
こんな村人ならよく知っている小さな山で遭難するとは思えず、人攫いに拐かされたのだろうという結論になった。
それからしばらくと経たないうちに、一人また一人と年齢も身分も関係なく人間が山へ消えていくようになった。
六條家の方々に相談しても何も変わらない。
自分たちで探し出そうとしても、逆にこちらが山へ取り込まれてしまう。
そうこうしているうちに手も足も出なくなり、人々の間ではある結論が考えられるようになった。
これはもしや、化け物の仕業なのでは無いのだろうか、と。
それ以来、山中は霧で覆われ不気味になってしまった。
村人は余程のことが無い限り山へは近づかなくなり、今に至る──────。
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彼が語ってくれたのは概ねそういう内容の話だった。
今までいなくなったのは十数人ほどの人数で、事態は思っていたよりも深刻だったのかもしれない。
「俺が探してるのは万智さんって子で、万智さんも三ヶ月前にいなくなったんだ。でも、さっき山の方からでかい音がしただろう。何かあったんじゃないかって様子を見に来て・・・・・・でもやっぱり見つからなかったってことだ」
そう言って藤七は顔に影を落とす。
しかし、二人には彼の話に大きな引っ掛かりを覚えた。
「三ヶ月前だと?」
「ああ。六條の人に頼まれて、万智さんがお供え物とやらを運ぶことになったんだ。俺は止めたんだけど、あの人聞いてくれなくて」
紗雪の生まれは六條家。
紗雪が言うには、家の者が詳しいことを知らない使用人に供え物と称して運ばせていたらしく、それが途絶えたのは三ヶ月前のこと。
そしてこの彼の話と合わせれば、万智さんとやらは紗雪への供物を運んでいる最中に怪異に巻き込まれたという解釈ができる。
「・・・・・・これは、俺が原因ってことになるよなぁ」
「・・・・・・別に紗雪殿は悪くないと思うが、まあ、ややこしくなるから言わない方がいいと思うぞ」
藤七に聞こえないように、そっと二人で耳打ちし合う。
信じてもらえるかはともかく、事実を言ってしまえば激高されてもおかしくは無い。
「なあ、あんたたちは化け物を探してるんだろ?頼む、万智さんを助けてやってくれ!」
そう言って彼は頭を下げるが、生きている確証もないのに助けてくれと言われても安請け合いはできない。
もし見つからなかったことを考えると、彼に無駄な希望を抱かせるのは不本意だと四季は思うのだ。
「藤七殿、できる限りはやってみるがあまり期待はしないでくれ。ともかく、今はここにいない方がいい。麓の村に戻って待っていてくれ、日暮れまでにはそちらへ向かう」
年下の少女にあれこれとてきぱき指示をされ、彼は驚きつつもありがたいと頭を下げる。
「本当に、ありがたい。万智さんのこと、よろしく頼む」
そうして彼が来た道を引き返し、その姿が見えなくなったところで四季は口を開いた。
「私が思うには、怪異は確かにここにいる。が、人攫いもいたはずだ」
藤七の話を聞いて、概ねの推測がついたのだ。
「最初に人攫いが出て、何人か攫っていった。最初は人攫いだと言われていたが次第に、村人たちは人が消えるのは化け物のせいだと思い込むようになった」
藤七の話をまとめると、この事件はそういう流れになる。
「怪異というのは、人の思念から生まれるもの。人がいて、その存在を思うからこそ成立するもの。つまりだな、人々の間で人攫いの存在が怪異に置き換わり、その結果、元々ここにいて事件とは何の関係もなかったはずの紗雪殿の魔眼の力で封じられていた怪異が目覚め、その存在が『人を拐かす霧の怪異』に歪められたということだ」
人が思うからこそ、そうなる。
今回の霧の怪異は、人々の思い込みから生み出された結果のものということだ。
「紗雪殿の呪いが緩んでいたのも、その影響と見ていい。消えかけていたはずの怪異が、再び人々により呼び起こされた事で抑えきれないほどに強大になってしまったのだろう」
「なるほど、確かにそうであれば説明がつく」
全く関係のないように見えた人攫いと紗雪の存在が、偶然にも合わさったことで新たなる怪異が生まれた。
こういった事象はよくあることで、まだ推測の段階だがこれで概ねは正解だろう。
問題は、どう解決するかということのみ。
発端となった最初に人間に拐かされた娘はもはやどうしようもないが、怪異であれば可能性はなきにしもあらず、だ。
藤七の探している万智さんはもしかするとまだ生きているかもしれない。
「さて紗雪殿、ここで少し私から提案があるのだが」
四季はニヤリと笑い、いつも通りの即興かつ馬鹿馬鹿しい提案を話す。
「考えていても仕方がない。ここは正面から怪異に突っ込んでいくぞ」
「・・・・・・おやおや」
普通、他の者たちはもう少しまともな手段を取るのだろうが、この少女にはそういう考えはなかった。
ただひたすらに、強い怪異と斬り合い心の底から愉む。
四季の望みはただそれだけである。
「怪異がどのようにして造られたかはわかったが、その実態まではよく分からんまま。このままじゃあ埒が明かないから正攻法でいくぞ!」
ぐっと拳を握りしめて意気込む。
気分は開戦目前となりすっかり高揚していた。
「正攻法というよりも、無鉄砲というのかなんというのか・・・・・・」
「ここから先は紗雪殿も麓へ降りていいぞ。危ないからな。万が一戻ってこなかったら死んだものと思ってくれ。まあ瀕死で倒れているかもしれんから、様子を見に来てくれるとありがたいがそこまでは望まないさ」
四季がそう言うと、紗雪はやれやれといったように呆れる仕草をした。
「・・・・・・はぁ。やれやれ本当に四季さんはひどい人だ。先程も言ったが、俺が四季さんを置いて逃げるとでも思っているのか。四季さんのことは必ず守ると約束するぞ」
その真摯な眼差しに、四季は少し戸惑ってしまう。
今まで怪異と共に戦った連中はいるが、必ず守ると言われたのは初めてのことだった。
「それは頼もしいことだ。では、共にきてくれるかな」
「ああ。もちろん」
顔を見合わせて笑う。
彼を用心棒として雇いたいと思ったりもしたが、本格的に検討してもいいかもしれない。
「それで、正面から向かうと言ってもどうするのだ」
「決まっているさ。さっき、通らない方がいいって言ってた道があるだろう。そこを通る。確かな目撃情報もなく、今まで来た道にも何も無かったのならそこが一番可能性が高いだろう」
藤七の気配がここに来るまで無かったのも、違う道から来ているからだろう。
となると、誰も通らなかった箇所にいるのと考える方が自然だ。
「怪異という連中はな、何かと辺鄙なところを好むんだ。前に斬った奴も川の滝壺なんぞを住処にしていたからな」
「おお。それはまた大変そうだなぁ」
「でも愉しかった。やっぱり斬るなら普通の怪異よりも、もっと強いものに限るな」
目指すは怪異の根城。
二人は深い霧に包まれた道を進んでいく。
「四季さんは、今まで一人で旅をしていたのか」
「ああ。行き当たりばったりで同行する連中もいるが、基本は一人だ」
「危なくはないのか。怪異はともかく、四季さんはまだ子供だろう、よからぬ人間に怖い思いをさせられたこともあるのではないか」
「確かに、私のことを子供だと甘く見た連中もいたさ。でも別に苦ではない。一人で行くと決めた時から覚悟はしていた」
穏やかな風の音に混じり、枝葉を踏む音、僅かに聞こえる鳥の鳴き声。
先程まで通っていた道と違い、あまり整っておらず獣道に近いようなそこは静かで四季には心地が良かった。
なんだか、故郷の村を思い出す。
人がいなくなり静寂につつまれたあの場所は、今までで一番気分が良かった。
全てのしがらみから解放され、誰一人として四季を疎むものはおらず、優しい風が頬を撫で吹き抜けていくのは心が満たされるようであった。
「四季さんは、旅の終わりに・・・・・・その剣に何を求めているのだ」
ふと、紗雪がぽつりとそう四季に聞いた。
四季は彼と目を合わせることなく答えた。
「そうだなあ。私はただ沸き立つような愉しい戦いがしたいだけだ。それに『あの怪異』にもう一度めぐり逢えるのならば・・・・・・」
その時。
四季の言葉を遮るように微かな気配が。
どうやら予想は当たっていたようで、白い靄の中から複数の人間の手を模した怪異の腕が伸びてきた。
「四季さん!」
「ようやくお出ましだな・・・・・・!」
人間の手であるようだが、腕が曲がっていたり指が足らなかったり。
霧の向こうから現れた不完全なそれらは、狙いを四季の方に定めたようだ。
四季の喉元や脚に絡みつき、異界へと誘おうとしている。
「四季さん、手を!」
紗雪が手を伸ばし、四季もそれに応える。
「思ったよりも早かったな!よし、このまま引っ張ってもらうぞ」
「は!?」
怪異に絞め殺されるかもしれないというのに、四季は余裕綽々どころか笑っていた。
四季の狙いは初めからこうなることだったのだ。
こうして向こうから引っ張られれば、終着点に怪異の本体がいるはず。
強い力に体を引き寄せられ、それでも紗雪の手は離すまいと握りしめて。
より一層濃い霧に包まれ、ぎゅっと目を閉じる。
次に目を開いた時には、そこに霧はなくただ不思議な光景が広がっていた。
「これは・・・・・・」
人間がたくさんいる。
木々の間、川の水辺、土の上。
そこかしこに複数の人間が倒れているのだ。
まるで野生の動物が餌を持ち帰り保存しているように、無造作にたくさんの人間が転がされている。
男、女、子供、色々。
四季はその中から、藤七の言っていた縞模様の着物を着た髪の長い少女を見つけて駆け寄ろうとするが、まだ紗雪の手を握ったままだったことを思い出し、慌てて手を離した。
「紗雪殿」
四季よりも先に紗雪が少女に近寄り、脈を探す。
「まだ生きている。大丈夫だ」
その言葉が聞けて一安心だ。
倒れていた少女の体を起こし、そっと木の幹に寄りかかるように座らせる。
「噂話では怪異に攫われてしまうというところで止まっていたため、その先が無かったんだろう。人を連れ去り、その後どうするのかが決められていないからこうして放置していたんだ」
「そういうことか。喰われていなくてよかったぞ」
事情を知らない人が見たら卒倒するような光景だろう。
この場は異様な雰囲気につつまれており、さらに再び地鳴りのような大きな音が響きはじめた。
「紗雪殿、これを」
何かあった時のために備えていた短刀を懐から取り出し、紗雪に投げる。
「護身用の短刀だ。万が一のこともある、持っていてくれ」
紗雪はそれをしっかりと受け取ると頷く。
地鳴りが収まると、今度は木々の間から白い靄が集まってくる。
霧特有のひんやりとした空気が、目を覚ますようだった。
「これはまたずいぶんと奇妙な奴だ」
目前に現れたのは、人のようなそうでないような、八尺以上はあると思しき大きさの化け物だった。
海坊主のような怪異に似ている、人型を模してはいるが、とても人とは似つかない存在だ。
意思があるのか分からないが、奴は目前に立つ四季に向けて無数の腕を伸ばしてくる。
「さあ、我が愛刀よ。存分に咲き誇るがいい」
この瞬間がなによりも愉しい。
手の中の椿落としも同じだと言うように、ずしりと重みを帯びていた。
鯉口を切り、刀を構えた。
大地を蹴り、その刃が振るわれる。