一 矢神国にて
かつて戦乱の世を駆け抜けた一人のつわもの、皆方百花。
妖刀を操ることで怪異を喰らい、その力を得ることから『怪異喰い』の異名を持つ皆方の伝説は数しれず。
妖狐に大蛇、果ては鬼神まで切り落としたのだとか。
そしてその伝説は後世において途切れることはなく、皆方に憧れあの者と同じ高みに登りたいと願った者たちは溢れるほどいる。
彼らは皆方がかつて操った百振りの刀剣を求め、怪異と戦う。
その様を見て人々は彼らをこう呼んだ。
百花の剣、と。
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矢神国に美味しそうな怪異がいると聞いてやって来たのだが、山を越えるあたりで道に迷ってしまった。
霧が濃くなったあたりでやめておけば良かったのに、遠慮なく進んでいってしまったのが悪かったのだろう。
四季は旅人であった。
見た目は十五、六ばかりの少女だが目的のため一人で全国各地を巡る旅をしている。
その目的とは怪異に会うことなのだが、やはり見た目の幼さ故か、服装こそは旅人らしくてもこの山の中での四季は迷子の子供のようだった。
濃霧の中せめてどこか休めそうな場所で日が昇るまでしばらく待つかと、探していた時のことである。
ふと、視界の先になにやら小さな山小屋が見えた。
長年ここにあったのだろう、それはぼろぼろで今にも崩れそうな朽ちかけの小屋だった。
しかしそれでもこの状況ならありがたくて仕方のないものだ。
人がいる気配はなさそうで、御伽噺なら小屋の中に山姥でもいるのだろうなぁと思いつつ戸を引く。
「おや、先客がいたのか」
山姥はいなかったが、変わりに青年が一人そこにはいた。
埃のつもった床の上で、着物の羽織を布団代わりにして微動だにせず眠っている。
怪我をしているようで体のあちこちに包帯を巻き、それは片目までにも巻かれていて、生きているのか死んでいるのか判断に困りそう。
しかし、微かに胸部が上下しているので生きているのは確かだった。
先客が屍でなくてよかったよかったと、その辺に置いてあった座布団を引っ張って適当に腰掛ける。
山小屋は外観こそ崩れかけのようだったが、意外と丈夫なようで少しばかりの家具が置いてあったりもする。
小さな箪笥や文机などは、この青年が使っているものなのだろうか。
ふぅと一息ついてから、やはり彼のことが気になって顔を覗き込んだ。
綺麗な顔をしている、というのが率直な感想。
片目は包帯で覆われていても目鼻立ちがすっきりしていて、相当な美青年だと分かる。
紺色の着物は裾や袖口がほつれていたり血のにじむ跡があったりして残念なことになっているが、すこしはだけた襟元からのぞく胸筋は惚れ惚れするぐらいだった。
「いいなぁ・・・・・・私もこれぐらいの筋肉があればよかったのに」
脳内で立派な力こぶを作って高笑いをする自分を想像してくすっと笑う。
多分自分は筋骨隆々にはなれないし、その前に身長と童顔をなんとかしたいところだ。
人様の顔を見ながらそんなくだらないことを考えていたら、ふと、彼の瞼がぴくりと動いた。
「───────誰だ」
ゆっくりと目を開き、そう言った。
声は掠れていて相当疲弊しているようだったが、こちらのことを警戒しているのは分かる。
突き刺すような鋭い視線が向けられた。
「通りすがりの旅の者だ。霧が濃くて道に迷ってしまったので、しばらくここにいさせてくれないだろうか」
やましいことなど何も無いので素直にそう答えると、彼はしばしの間思案するように目線を黙っていた。
「・・・・・・勝手にしろ」
ぽつりと吐き捨てるようにそう言うと、彼は四季の視線から逃れるように寝返りを打って壁の方を向く。
その時の事だった。
ぐぅぅぅ、と奇妙な音がした。
一体何の音かと思ったが、すぐにこれは腹の虫が鳴ったのだと気がついた。
もちろん、四季のではなく彼の腹だ。
「腹が減っているのか」
彼は何も答えないが、さらさらとした黒髪の隙間から見える耳が赤く染っていることから言わなくても分かる。
見た目より精神が若いのだろうか、恥ずかしがっているようだった。
「良かったら、これ。口に合うといいのだが」
四季は包の中にあった握り飯を彼に差し出した。
彼は驚いたように目を丸くして私 四季の顔を見る。
場所を借りさせてもらっているのだから、せめてなにか礼をしたいという思いからだったが何か裏があるのではないかと疑われているようだった。
「どうぞ」
動かない彼に押し付けるように渡すと、彼は恐る恐ると言った様子で握り飯を一口、ぱくりと食べる。
それから、呆然としたように固まるとおもむろに何か言った。
「・・・・・・うまい」
口に合わなかったのかと一瞬焦ったが、彼が無我夢中で食べている様子を見るとそうではなかったようで安心する。
見た目は立派な青年なのに、飢えた幼子のように握り飯を食べているのだから不思議な気分だ。
あっという間に完食してしまったので、ついつい与えたくなる気持ちが押さえられず水筒と残りの握り飯を渡した。
彼は今度は何も疑うことなく素直に受け取った。
彼が食べ終わり落ち着いた頃には、初対面のときの警戒心はすっかり解けているようで顔つきがずいぶん穏やかだった。
「先程は失礼な態度ですまなかったな。三ヶ月間何も食べていなかったから助かった」
優しい穏やかな顔でそう言う。
これが本来の彼なのだろう、先程の鋭い声はどこへやらのんびりとした柔らかい口調だ。
「それは良かった・・・・・・三ヶ月?」
よかったよかったとうっかり空気に流されそうだったが、聞き捨てならない言葉が混ざっていた気がする。
「三ヶ月間も何も食べなかったのか?」
もう一度確認するように聞くと、彼はあっとした顔をした後にこくりと頷いた。
今この彼は確かに、三ヶ月間何も口にしていないということを言ったのだ。
反応を見る限り言うつもりはなかったのだろう、いかにも後悔した顔をしている。
「それは、それは大変だったな!辛かっただろう、兵糧丸もあるが食べるか?」
握り飯二つでは到底足りなかっただろうと思い、非常用の兵糧丸も差し出そうとしたら拒否されてしまった。
「いや、それは結構だが・・・しかし、怖くはないのか」
「何故?」
「三ヶ月も何も食わなかったのに生きているの俺が、化け物のように見えないのか」
彼は戸惑ったようにそう言うが、四季の目には彼が化け物など到底見えなかった。
「いいや、あなたは綺麗な男子にしか見えないぞ。それに、私は首がちぎれても生きていられる奴をみたことがある。あれに比べればあなたは普通の人間だ」
「・・・・・・俺が普通?」
きょとんとした顔で固まってしまった。
少しの間そうしていると、おもむろに彼は、はっはっはっと大きな声で我慢ならないといったように笑いだした。
「こいつは面白いな。なんということだろうか」
自分にはそれほど愉快なことを言った自覚はないが、彼には抱腹絶倒ものの言葉だったらしい。
「そなた、名前はなんというのだ」
ようやく笑いも落ち着いて、彼は四季にそう尋ねた。
「四季だ。旅をしている。矢神国には強い怪異がいると聞いて来た。あなたはなんという名なのか、教えてくれないか」
「俺は・・・・・・紗雪だ。六條紗雪。ああいや、苗字は別に覚えなくていいんだ。むしろ、忘れてくれ」
何やら込み入った事情があるらしい。
紗雪と名乗った彼はどうにも正直な癖があるようで、隠したいと思っていることばかりすぐに口に出してしまってばかりだ。
ここは彼の気持に寄り添い、深追いはしないことにしよう。
「そなたは・・・」
「折角名前を教えたのだから、四季と呼んでくれ」
四季にそう言われ、紗雪は逡巡する。
「では・・・・・・それでは、四季さん。四季さんは怪異を探していると言っていたが、それはどのようなもので?」
四季さん、と呼ばれるとは思わなかった。
恐らく私の方が歳下なのだから呼び捨てでいいのに、丁寧な人だ。
「知り合いから人伝に聞いたものなのだが、八神の山中に人を拐かす怪異がいるらしい。なんでも、霧を使って人を惑わすとか」
前に別の怪異を喰らった時、その時に同行していた連中から教えてもらった話だ。
矢神国のとある山中で、濃霧で人を惑わし連れ去ってしまう怪異がいると。
実態の見えない奇妙なそれは最近になって現れたようで、現地の住民は怯えているのだとか。
同行していた彼らは別の目的地がありそこで別れたので一人で来たのだが、早々に噂に聞いた霧によって遭難しかけたのでもう少し下調べと入念な用意が必要だったかもしれないと反省する。
噂通りであれば、あのまま進んでいれば怪異に連れ去られていたかもしれない。
「紗雪殿は何か知らないか。その怪異はこの山にいるはずなのだが」
紗雪の口ぶりからして、彼が長いことここにいるのは確かなことだ。
来たばかりの自分と違い知っていることは少なからずあるだろうと思ったのだが、紗雪の顔は浮かなかった。
「申し訳ないが、知らんな。そもそも俺はここから出られないからなぁ。外で何が起きようとも、俺は何も知り得ないのだ」
「出られない?どうして」
「せっかくだから話すとするか。旅人であるのならば、知られても困ることはないだろう」
どこか自傷的な顔で寂しげにそう言う紗雪に、四季は何も言えなかった。
「俺は子供の頃、祖父に飲まされた薬により長寿と人間離れした回復力を手に入れた。要するに、半分人間ではないのだ。だから三ヶ月何も食わずとも生きていられる。ここから出られなくても生きていられる。変わることない長い年月をただひたすらに耐えるしかないのだ」
なるほど。
たしかに、妖しい薬や術で超人的な身体能力を得たがる者はいつの時代にも少なからずいるものだ。
紗雪の場合はそれが祖父で、不幸にもその対象が自身であったということか。
「それはまた面妖な・・・・・・しかし、出られない、というのは?たとえ体がどうあれど、どこで生きるのかは自由に決めていいだろう」
「いや、俺を恐れた俺の母親がよく分からん憑き物落としに泣きついた結果、俺はここに閉じ込められた。変な術を使われて、俺は出入りが出来ないんだ。しかし外から他人が入ってくることはできるようで、それで家のものがお供えと称して食糧を運んでいたのだ・・・・・・それも、三ヶ月前に途切れてしまったがな」
そう哀しげに笑った紗雪は左腕に巻かれた包帯を解き、素肌を四季に見せる。
「俺を縛る為の鎖だ。俺にはこれを解くことはできん」
驚くことに、彼の肌にはくっきりとした鎖の痕がそこら中に巻きつくようにつけられていた。
恐らく紗雪の言っていた憑き物落としとやらがかけた呪いだろう。
蛇が絡みつくように、ぐるぐると螺旋状になっているそれがどこから来ていてどこにたどり着くのか、四季には分からない。
「そういうわけで、俺ではそなたの力にはなれんのだ」
眉を寄せて困ったような顔をする。
土地勘のない自分よりもこの土地のものである紗雪の助けがあれば、此度の怪異探しは簡単にいくのだろうと思ったが、そうはいかないらしい。
というよりも、今は怪異は関係なしに紗雪のことを放っては置けない気がしてならないのだ。
霧がやめば、私はここを出ていくことができる。
だが、彼はそれができないのだ。
そうなれば、彼が次に食事にありつけるのは一体いつになるのだろうか。
まだ若く見えるこの青年には未来がある。
ずっとこんな古びた小屋に閉じ込めておくなんて、そんなことがあっていいのだろうか。
「であれば、その鎖を斬ってしまえば私に協力してくれるのか」
ここで紗雪を助けたいと言ってしまえば、きっと遠慮深い彼は困るだろう。
四季は彼に助けてもらったという意識を持たせないため、あえて四季のために助けるという言葉を選んだ。
「まあ、それができるのならそうしてやりたいところだが・・・・・・」
「よし。斬るぞ」
四季は腰に携えた打刀を手に取る。
「待て、斬るといっても刀で斬れるようなものでは・・・」
「この刀は単なる刀ではない。まあ確かに値の張るものではないが、金で買えるようなものでは無いさ」
一見すれば、普通の打刀。
しかしこれは、普通ではない。
「かつて戦乱の世を駆け抜けたつわもの、皆方百花。彼の操る刀は全て怪異を喰らいその力を得る、妖刀だ」
紗雪の目が、驚いたように見開かれる。
「これはかつて皆方のものであった刀剣・・・・・・椿落とし。私は百花の剣だ」
百花の剣。
皆方百花という一人の武士に憧れ、彼の死後全国に散らばった彼の刀を探し出し再びその手に携え怪異と戦うものたち。
皆方百花というつわものの背を追い、その高みに登らんとするものたち。
それぞれが目的を持ち、刀を振るう。
四季はその百花の剣の、一振りであった。
「そなたのような幼い少女が・・・いや、今のは無礼であったな。すまなかった」
「いや、構わないさ。旅の途中で出会った人達は必ずそう言うからな。ま、百花の剣と言っても他に何十人もいるんだ。私みたいな変わり者がいてもいいだろう」
先程、紗雪が自分は普通ではないと言ったように四季もそうなのだ。
百花の剣は誰かに授けられる肩書きのようなものではない。
ただ、かつて皆方に仕えた刀剣に新たなる主として認められればそれで良い。
だから、武士でも両家の跡取りでもない四季のような少女でも刀が応えさえすれば認められるのだ。
「前に供え物を持ってきた者が語っていた。皆方という武士の生き様と怪異譚、そして百花の剣について。では、四季さんはここへは怪異を喰らいに来たと言うわけか」
「ああ。そういうことだ。だから、少しの間だけ協力してくれないか。その代わり紗雪殿は今後自由の身になる。悪い話ではないだろう」
「しかし、どうやってこの呪いを解くというのだ」
「少し動かないでいてくれ。こういうものは大抵、縛り付けている大元を断ち切ってしまえばいいものだ」
辺りを見回し、怪しいところがないか探す。
椿落としが反応する場所を探すと、文机に近づいた時にすこし震えるような反応を示した。
「失礼」
文机を退かして、その裏の壁に隠すように貼られた一枚の札。
触れると少し指先がひりつくが、我慢できないほどでは無い。
かなり古びているのだろう、呪いは半分壊れかけのような状態だった。
思い切ってそれを引き剥がし、刀でさくっと斬ってやる。
四季が出るまでもなく、これならば紗雪一人の力でも対処できたのでは無いのだろうか。
「・・・・・・妙だな」
ぱりん、とひび割れるような音が聞こえたと思いきや、椿落としの様子がなにやらおかしい。
これが本当に憑き物落としを名乗る者が仕掛けたものならば、怪異ではないのだからこれを斬っても椿落としには何の力にもならないはず。
しかし今手の中にあるこの刀は震えている。
刀の言葉に耳を傾ける。
何か言っているわけではない。
ただ、現在の持ち主たる四季に何かを伝えようとしてくれているのは分かったからだ。
「・・・・・・私が斬ったのは呪いではなく、怪異である、か」
椿落としは今も尚震え、四季の手を動かす。
刀の切っ先が向かった方向は、紗雪の包帯で隠された左目。
「どういうことだ?」
突然刀を向けられて紗雪は困惑するが、それは四季も同じだった。
ともかく彼の片目に何かあるのはたしかなことなのだろう。
「紗雪殿、その片目を見せてはくれないだろうか」
四季の言葉に、紗雪は困ったように顔を逸らす。
───────その時のことだった。
ごぉぉぉぉぉぉお。
獣の咆哮のような、大地を震わす大きな音が聞こえる。
小屋がみしみしと軋み、塵が舞う。
今にも崩れそうな小屋の中で、二人は顔を見合せた。
これは地鳴り、いや足音か・・・?
「四季さん、これは・・・・・・」
「怪異、だな」