映画を早送りで観る人たち?VHS時代になら
そんなのいっぱいあったと思いますけどねえ。どもーせみころーんさんですーととととててて。
地球の日本ではコロナ禍とオリンピックで手いっぱいで、ネタがないってことでしょうか。そんなんだからLINEで盗まれちゃうんですってば!
2倍速で見る人が多いってことでしょ。
むかしですね、VHS時代ってのを私の両親がよく記憶しておりました。ころーんさんの両親はあまり記憶がないそうです。
その時代ですね、イ・セカイでもデッキが壊れるまで使う奴がいたんですよ。
ほんとです。
あのねー、ディジタルではなく、アナログなもんで「ギーガッチャガチャ」とかああいう音と隣りあわせだったんですよね。
音に触発されて、つい夢中になっちゃう人っているんですよね。
そしたらね、最初っから早送りで映画を見るのがイ・セカイの常識だったようです。
最初は亜人の方々が始めたのを獣人たちがまね、人類が渋々ついていったのです。
獣人たちは早送りでつまらない脚本のシーンは飛ばし、スペクタクルシーンだけを切り取って面白がっていたのです。
早送りで映画やドラマを見ることに反対の人は、「感情移入」ってやつなんじゃないですかね。
「感情移入」
もう、イ・セカイでは絶滅しそうですよね。これ。
私は「そりゃ絶滅しますよ」ってあぽすとろーふさんにずいぶん前に話したら、あぽすとろーふさんほんのちょっと泣いちゃいました。
何でか知ってます?
あぽすとろーふさんの世代だと、「ピアノと朗読」という形式がまだ説得力を持って訴えられたからです。
こういう時にですね。かーんまくんあたりが。
「(*^◯^*,)<朗読だっせー!」
とね。
もちろんいろんな人に怒られました。
朗読なんてだっせーよな!って流れにどうしてなるのかというと、テープレコーダーがないからなんですよ。
テープレコーダーがないので、朗読者が情景を熱心に読み上げ、ピアノでそれを描写するってことが説得力を持つんですよ。
でもね、スマホでなんでもダウンロードの時代だと、朗読者っていったい何のためにいるのってことになりかねないんですよね。
すらあっーしゅさんの大好きな作曲家にルネ・レボヴィツがいます。
ころーんさんは「あっそ」の一言で切り捨ててしまった作曲家です。
レボヴィツは朗読者のための作品を数作残してますよね。
彼は、本質的にはロマン主義的な感情を捨てきれなかったんでしょう。なんとシューベルトの交響曲第1番の世界初録音までやってました。
録音メディアがあれば、もう80分以上かけてくどくどと御託を言う文化は滅んでしまうんですよね。
一昔前ならアジア映画はタイムスパン長廻しになるといわんばかりでした。
ころーんさんは、これを「宗教」「この宗教のせいでアジア映画は出遅れた」っていっつも怒ってます。
出遅れたかどうかはともかく、もうアジア映画がタイムスパンの長さで推すことに、何の必然性もありませんって。
ただし。
どこまで人間の認識が縮むのか、結論はまだ出ていません。
ころーんさんはピアノ協奏曲標準タイム27分まで縮むと、過去に私の学会で力説したことがあります。
「ピアノ協奏曲はヒーローとヒロインを鑑賞する文化。彼らの愛の結晶が育まれるまでの平均時間は27分である」「将来の映像表現は、これが標準ではなかろうか」と。
「なーるほどー」「このひと学者じゃないけどなかなかやるね」とか称賛の声が飛んでましたが、イ・セカイでは彼女の言うとおりになっていません。
なぜかというと、獣人から人類まで幅の広い知能の分布に、表現の形態が追い付いていないのです。
地球でもそうですが、映画に人を集めるには、その表現に蓋然性が必要でしょう。
「このあたりの人を集めたいな」ってのがあるので、27分までちぢむことはないんですって。
過去に早回しテレビアニメ「てーきゅう」ってのをやってまして、ころーんさんやすらあっーしゅさんみたいな一部の層には受けましたが、ゴウモエラーは「こういうの何度もやられるとさすがに」と難色を示しておりました。
知能の成長は種それぞれです。
それならば、種に適した表現を模索するのは当たり前でしょう。
私は、「55分まで縮む」派です。
過去にころーんさんと言い合いになってました。
55分なら、なんとか結末までダイジェストでたどり着けると思うんですよね。
私はまだ「シン・エヴァ」とかいうのを知りませんし見たこともありませんが、長い映画なんですってねえ。
この長さにすらあっーしゅさんは「庵野さんは、やっぱり実写映画で頭角を現したかったんじゃないの?」「かわいそうなアニメ作家だったんじゃないか」って。
実写でやるべきことをアニメにしてしまった、と。
何でも即座にダウンロードできちゃうと、いろんな文化が滅んじゃうよねってことです。その代わり、新しい文化だってできるんだから、それでいいじゃないでしょうか。




