突然封鎖
これも、やりたいって語り部が多かったけど、結局私です。どーもーせみころーんさんですーととととててて。
神戸市に私橋があって、それが個人所有だと気が付かなかったと。うむ。
気が付かなかった、というのは、後付けで何とでもなるんですよ。
知ってて知らなかったと言えと。
記憶がないと言え問題と一緒ですよねえ。
どうしても、日本社会では個人の主張やプライバシーは尊重できないんですよ。
そういうことをいうと、「ほかの国だって尊重してない」と言いますけれども、個人的な印象では後進諸国のほうがエリートの育成に積極的で、机に向かう児童のプライバシーを支持しているような気がいたします。
後進諸国のほうが貧乏なのは、認めます。
ただし、貧乏なので、知力だけは負けないようにしようって流れに、なりやすいんですよ。いちばんきつくやったのが韓国だったんですよね。
地方の公立高校出身者がノーベル賞を獲得するのと同じ原理なんですよねえ。
生まれながらにして、何でもそろっちゃうと、逆に何とかしようと思いにくくなるんですよ。
イスラム圏って、クルアーンの音読を義務付けてるんですが、あれってやはり、子供を机に向かわせるってそれだけの話だったのかもしれないんですよねえ。
クルアーンも聖書も間違いだらけですからね。
でも、その間違いだらけの本を「読め」って風習があるというのなら、宗教団体がどやさないと子供は机に向かわないってことなんでしょうね。
でですね。
そういう強靭な宗教文化の「ない」国家、日本は個人の主張を育てないまま江戸時代の250年以上を過ごしてまいりました。
個人で何とかしてみようって概念を持たないまま、国家になってしまったんですよ。
となると、これは「私有地の橋です」って出てきても、「そんなわけあるかっ!」なんですよね。
個人の概念を認めない国家というとインドネシアもそうでしたね。
ガムランって集団作業ですからね。
一人じゃできない。
集団こそ正義って国は、今後不利ですよ。
だって、なんもつくれませんからね。
LINEの漏洩だって「集団こそ正義」って言ってたら一人の中国人技術者にこじ開けられちゃったしね。
この「私橋」、なんと神戸市は無料で譲渡せよと言いつけたと。
いやー、神戸連続児童殺傷事件のころからなんも変わってませんよね。神戸って。
あの県民はね。受験勉強以外のものを、捨てた県なんです。
ころーんさんは「神戸って、結構しゃれたお店もあって、地方都市といっても結構すごいんじゃ」とか言いますけど、違いますよ。
灘高校があるでしょう。
あれ、東大受験のための高校でしょ。
あれさ、神戸にあるのに「東大を目指す」んです。
つまり、東大に受かった高校生様は、兵庫から上京するんです。
近いところに京大があるのに、東大を目指せ、なんです。
もうおわかりでしょう?「上京するための心理的リスクを生まれながらにして抱える」んです。
こんな高校は全国に増えてまいりましたが、灘高校はそのリスクは一番突出してるんです。
こんな心理的障害をむき出しにした県が、まともに個人の権利について考えることなどあるでしょうか。
かつて神戸連続児童殺傷事件のころ、「この街にはコンビニもなければゲーセンもない。そんな中で受験勉強しか選択肢がなければ、こんな事件が起きて当たり前だ」という意見が宮崎学さんから出されました。
そのころから、変わってないんですよ。
普通に市が1500万払えばいいじゃないですか。
そんなもんくらい払えるでしょう。兵庫県って一応地方都市ですから。
絶対に払えない県なら、こんなトラブルは起きませんよ。
グーグルストリートビューと構造は同じなんですよ。
もう、私有地だということは、わかってて撮影しに行くんですよ。あれ。
で、やったあとで「どうもすみませんでした」と一言詫びて、金を払えばいいだろうってやつ。
みーんな集団の暴力が大好きなんですよねえ。だから私橋って概念すら認めない。
ここらへん、もう自由主義や民主主義の限界のような気がするんですよ。だって、集団で個人をいびって勝ち組についたらいいだろうってやつでしょ。
それでその人はいいかもしれないけれども、その世代以降は子供を産みづらくなります。
神戸市は、さっさと折れりゃいいんですよ。
もう「集団でスクラム組めば、絶対に勝つ」時代じゃないんですよね。
これはいかなる学術にも感じますね。
ネットで全部つながっちゃったもんですから、スクラムを組んだらセキュリティホールが見つかる、その連続でしょ。
日本の昭和時代は、セキュリティーホールに目を瞑れという宗教だったんですよ。
今後この常識では日本社会は耐えられないでしょうね。社会が個人に譲歩するという結末は、ほとんど日本に定着していないんですよ。他国では普通にあるんですが。
ほら、オークションでも、あれ個人に譲歩するってやつでしょ。ああいうの、日本人は苦手なんですよね。
個人に譲るって文化のないままの日本社会も、脱皮の時間なのかもしれませんね。




