出ました。楽して作りたい、だってさ!
昨日はえらい物騒でしたねえ。漏洩と露出とシカ騒ぎ。どーもーせみころーんさんですーとととととて。
今日も物騒ですよねえ。「中国にジェノサイドは存在しない」って。
大国同士が戦争をしないと、大国はおかしくなるってことなんでしょうかね。
20世紀中葉までの常識は、人類は戦争をするものだ、でしょう。
それがひっくり返っちゃって、いまや、核兵器防止条約がどーのなんて話をやっている。
明らかに人類の文化の移行期なんでしょうね。こうまで針が振り切れるほどの変化ではなかったですから。
ほれ、ポリコレでアニメの描写まで手が入っちゃう。BPOにいつ文句言われるかわからないってやつで。残酷描写ってなんも使えないんですよね。
残酷描写で思い出した。
世界中の音楽から、思いっきり10時間しごきとか、思いっきり10時間ミックスとか、もうそう言うのすっごい少なくなりましたよね。
残酷しごきってやつ。
え?ちがう?
珍しく朝からピアノのころーんさんは「ピアノとヴァイオリンだけは違う」って。
そうなるのかもしれませんねえ。チェロで一日10時間は聞いたことがないからなあ。ピアノとヴァイオリンは今でもあるんですよ。
伝統芸だけ1日10時間が残るのかもしれません。
でもねえ。
現代聴覚文化からは、1日10時間しごきっての、もうなくなるんじゃないかなって。
今の子供は、賢くなったが、体力の低下という問題に悩まされているはずです。
ずっとスマホでしょう。
昔の子はちがったんですよ。
昔の子はね、ずっと10円コピーですからね。
10円コピーで刷ってる間、待たなきゃいけないんですよ!立って!
これもうわかんないでしょ。
すらあっーしゅさんとすらあっーしゅさんの父親は、10円コピーで立ちすくむですからね。
でももう、それいらないんです。
おうちのプリンタでじーこじーこです。
となると、座ってじーこじーこですから楽です。
でも、立つ体力は必要とされないのです。
こうして体力は低下します。
この果てにですね、、、
「宇野<このビートの単調さと音色・音圧のショボさが世間で許容されてるのはちょっと信じたがたい」
こんなのが出てきてしまったのです。
どうです?
「ショボさ」
すらあっーしゅさんは「最近の若い奴のピアノの音はとにかくしょぼいっ!たるんどるっ!」ってあれ。
電子音楽の世界にすらしょぼいが使われる時代になりました。
ここから先は18禁ではありませんが、「くれぐれもYoutubeの音量を最小にしてお楽しみください」と断っておきます。Youtubeをつけたら、大音量だった、壊れたどうしてくれるといわれても困りますので。
もう一度言います。
【ここから先のYoutube参照音源の再生にはくれぐれもご注意ください!ここから先のYoutube参照音源の再生にはくれぐれもご注意ください!ここから先のYoutube参照音源の再生にはくれぐれもご注意ください!】
中国共産党みたいに3回繰り返しました。
ではいきます。
電子音楽がまだしょぼくなかったころ、1960年代は、とにかくマッチョでノイジーな音が、積極的に評価されました。
ピアノのトーンクラスターのためにべっこんばっこんは当たり前、現実に楽器を燃やす人まで出ました。
そのころの秀作にですね。
Robert AshleyさんのThe Wolfmanがあります。
音量に気を付けて、再生してみてください。
ぽち。再生。
どうですか?
これが1960年代なのです。なろうの中学生以下の読者の方には、おそらくは共感をもっとも得られない音楽だと思っています。
途中から中年のおっさんの「あーーーーーーーーー」とか「うーーーーーーーーー」とかいうのは、マイクロフォンの前でパフォーマーは怒鳴り声をあげよと、楽譜に指定されているからです。
「(§ゴ`。´ウ§)<いーーーーーーーーーやーーーーーーーーーっ!にどとききたくなーいっ!0てんっっ!!!!」というゴウモエラーの叫びがskypeから聞こえてきたような気がしましたので、もう切りますね。
ぽちっと。停止。
どのような感想をお持ちですか?
ころーんさんは「1960年代もイタイなあ」て。一言で斬り捨ててます。
すらあっーしゅさんが「これこそが現代音楽の正史や!」とご満悦ですね。
人によって真っ二つの評価。
日本でもこれを評価する人は少ないでしょう。
とにかく、1960年代は日本だろうがアメリカだろうがヨーロッパだろうが前衛が一番で、それ以外は全部だめだったんです。
前衛でなければ人ではないなんですよ。
その時代の音がこれでした。
まだ酒と煙草とパチンコの時代。
音楽にも暴力が必要だったのです。なので、こんな表現が生まれました。
こういう時代を生きていた人は、今の電子音楽のすべてがしょぼく感じるのではないでしょうか。
電子音楽の黎明期、人は加算合成や減算合成を使って、どこまで人の聴覚は耐えられるだろうかと真剣に、実験をしていたのですよ。
武満徹はこれを「人の耳が馬鹿になるまで」と形容しておりました。
ですので、まだシュトックハウゼンの「2人のピアニストのためのマントラ」は、暴力的な音と抒情的な音とのはんぶんこってとこなんですよ。
そういう人はやはり少数派で、圧倒的多数派は「どこまで音が大きくなるかやったれっ!」なんです。人間って単純ですね。




