新型コロナウイルス対策の感染症法改正案から刑事罰の規定が日本ではなくなるそうです。
へー。そんなことできるんですねー。どもーせみころーんさんですー。
アメリカ合衆国は相変わらず「終末時計は100秒だあっ!うわああああああっ!」とかやってるんですよ。
なんかさあ、21世紀になって、黄色人種のほうが白人よりも、はるかに明晰に動いてないかってのは感じますよ。
だってー、アメリカ人はどんどん濃厚接触でうつるわけでしょ。マスクもしてないのいっぱいいるし。
もう白人種の時代ではなくなってるのかもしれませんね。
かつては黄色人種って奴隷でしたからねえ。
奴隷を有意義に使って面白いと感じてたのがカール・マルクスでしたが、当時のヨーロッパ人は誰もがそう思ってたんですよね。
ところがね。
そうではなくなり始めたのは、ユネスコ国際作曲家会議で日本人ばっかり通りだしたころでしょ。
1970年代からですよ。
それでも「まだあわてなくてもよい。日本は例外だ。ほかのアジアが日本みたいになるなんてことはありえない」と高をくくっていました。
それから50年です。
近代化とか、もう、西洋人の理屈を問わなくなったってことでしょうかね。
いまや中国人のつくったTECSUNの短波ラジオを聴くのが世界のデフォルトになってしまってます。
かつてはこれは日本の仕事でした。
今はひっくり返ってしまっています。
しかし
ユニヴァーサルな近代化があるのかないのかということは問題です。
お昼ご飯にベトナムのフォーを用意してくれたころーんさんは「イ・セカイであろうが、地球であろうが、ユニヴァーサルなレヴェルの近代化はある」って言うんですよね。
70%は賛成なんですよ。
でもね。
すらあっーしゅさんがねえ。
「ユニヴァーサルなどありえん!」「これからはローカル競合の時代や!」とかいうんですよね。
すらあっーしゅさんみたいな人でも、ユニヴァーサルがどっかおかしいことになるくらいはわかるそうです。
アムパサンドさんやゴウモエラーは「別に問題ない」とすました顔でした。
ええとこの子だと何ともないのかもしれませんね。
どうです?
異世界物を連載してる作者って、ユニヴァーサルな価値ってあると思います?
100年後はあると思いますね。
でも今は無理ですよ。
アジア人がこんなに賢くなるって思ってなかったでしょ。
なめてかかってたでしょ。
スターリンは「日本人はどうせまた這い上がってくるから注意しろっ!」とヤルタ会談で檄を飛ばしたと伝えられてますが、本当にその通りになってしまいました。
当時、日本だけが国際連盟の輪の中で発言権があったのです。
他は人間と思われてなかった。
そこらへんさあ。
「アジア人がこんなに賢くなると思ってませんでした。深くお詫びします」とか、謝罪の一言でもあってもいいんじゃないんでしょうか。
ないんでしょうねこれ。
今日は、昨日のZimmermannつながりで、彼の引用したダリウス・ミヨーの『世界の創造』ってのを聞いてみようと思いました。
youtubeにはいくらでもあります。
ぽち。
ミヨーは、アメリカにわたり、ほんとに多くの人種を相手にレッスンをした最初期の作曲家にあたるみたいですよ。
多言語に接したミヨーは、ユニヴァーサル化をどう考えてたか格好の題材です。
珍しいなと思うのは、これ、サックスなんですよね。
一時期はやったんですよ。オーケストラにサックスを混ぜるのは、ルチアーノ・べリオが晩年愛好しておりましたが定着しませんでした。
終戦後は、イタリアでミヨーがかかるだけで大騒ぎだったそうです。
なんでなのかよくわかんないんですよね。敵国の音楽だったのが余計まずいんでしょうか。
まだ、ウェーベルンとベルクはきつすぎるので、ミヨーとヒンデミットから行っとこうという配慮だったそうです。
この配慮はもっと日本の教育関係の皆さんも見習ったほうが良いと思うのです。
いきなり12音で面食らうってのは、イプシロン・デルタで面食らうのと一緒。ちゃんと段階を踏めば、そんなことにはならないんですが、今の教育では不可能なんですよね。ゆとりで。
ミヨーとヒンデミットは、あんま中学や高校の教科書で重要視されてないんですよね。日本人の弟子もいるのに。
そんでも、ミヨーは日本では受けが悪いですよね。
ころーんさん!「弾かなくてもいいから」って。ちょと!言いすぎですって。
あー。
そうなんですよねー。どこの国際コンクールでも出題されないもんね。フランスのコンクールの課題曲リストにすらないんですよね。
でもミヨーってピアノ曲やピアノ協奏曲、いっぱいありますよ。
『世界の創造』を聞いた限りでは、中途半端なガーシュインみたいに聞こえるのがいかんのでしょうねえ。
断っておきますが、この複調ネタはミヨーが元祖で、ガーシュインがパクリです。
こういうこと全然書いてませんが、ちゃんと必要ですのでいいます。
複調だと、思いっ切り対斜になるんですが、この程度の不協和な響きでもブーイングだったのですからすごい。
そんだけ、伝統文化の根は恐ろしいんですよねえ。
今となってはなんじゃこりゃなんですけどね。これでも当時の人にとっては斬新だったんです。




