2度の弾劾訴追ですっ!←コロナで人が死んでるんですが。
どもー政治の話はにがてなせみころーんさんですーととととって。
なんですか、議会が襲撃されたから弾劾しようって。
アメリカもいつからこんなヒマなことばっかりやるようになったのでしょうか。
すらあっーしゅさんの口癖に「ひよっとるからやあ!」ってのありますけど、ひよっとるかどうかはともかくとして、人がリアルタイムでばたばた死んでるのに、何の手も打たずに弾劾やってるのがすごいですよね。
4000人とかが1日に死んでるわけでしょう。白人だからかかりやすいし、病院にも行きづらいし。
なろうの読者でも、アメリカが広いことくらいはわかると思いますが、実際の移動は本当に大変です。
なんせ、鉄道なるものはほとんどありませんので、みんな飛行機なのですが、都市から都市を飛行機で移動するのがデフォルトです。長距離タクシーも存在しますが、できる限り飛行機を使ってほしいということだそうです。
日本は、鉄道で、どこへでも行けてしまいます。
この差は本当に大きいです。
このため、州によって文化が違うのは、県によって文化が違うの倍以上の格差がございます。アメリカの大学は、この州ごとの格差是正に国を挙げて取り組んでいます。
例えば、ポスドクも、本当に世界中から公募します。確かに任期は1年ですが、全く見たこともきいたこともない人種の方がいらっしゃうわけです。
こういう出会いは日本では本当に少なく、見たこともきいたこともない人種の人が外から乗り込んでくるのはあまりありません。日本語が障害になっているからです。
アメリカのクラシック音楽であろうが、ジャマイカ人がやってくるというのも普通です。
これが日本では普通ではありません。
この差はなかなか説明しても受け入れてくれません。イ・セカイでも「獣人と人類の差異よりましだ」とか言われてしまいます。
つまり、州と州が「開いている」というか「別世界」です。
となりますと、コロナで死者が4000人って言っても身近な人が死なない限り、なんとも思わないんですよ。
日本で1日4000人死んだらパニックですよ。
でも、アメリカ合衆国は無邪気にも「弾劾だ」などと吠えてる人がいるんですよね。
自分はもう感染しないから、弾劾しちゃっていいよねーってやつです。
まず東アジア人の思考じゃないですよね。
人が死んでんねんで!ってあれ、もう死語ですが、いまだに覚えてます。
まだ東アジア人は「不謹慎」ってのが大きいんだなと思います。
人が死んでるときに政治家にケチをつけるなという思想です。これは日本でも大きいでしょう。
でも、アメリカは違います。
人が死んでいようが政治家に極限のケチをつけようという社会です。
わかりあえるはずありません。
あのパククネを罷免した韓国ですら、コロナの防疫対策を行っている間、大統領にケチをつけてはいません。
健康が大事なんだから、政治は大事じゃないんだよ、というのはアジアの思想でしょうか?
元はと言えばヨーロッパの中世のころの思想みたいな気がします。
「誰が投票してやったと思ってんだ!」ってドヤ声のほうが、人の命より大事ってことなんですよ。
かつてアメリカが3億もの人口を誇っていなかったころ、まだ冷戦をやっていたころは、こうまで現職大統領いびりは本格化していなかったと思われます。
現職大統領いびりというと、一番の典型例はビル・クリントンでしょうね。
いびりができるくらい、アメリカは暇な国になってしまったんですよね。
もう誰もアメリカに逆らえないから、政治はショーなんだよと言わんばかりです。
もしもコロナなんてものがなかったら、2度の弾劾訴追にもそれなりの共感が得られたのではないかと思います。
でもですね。
人の死を放り投げて弾劾訴追をする根性はよくわからないんですよね。
これってね、もうアメリカの民間人が傷つく戦争はやっていないからなんでしょうね。
戦争がないとこうなっちゃうんですよ。
だってワンサイドゲームで絶対にアメリカが勝つわけでしょ。どうせアメリカが勝つのなら、どこが歯向かおうとポチにできる。
そうなると、今までの人類史の法則は適用できないんですよね。
人類史というのは勝ったり負けたりの連続です。
それが連続にならない。
ならなければ、人の意識も変わるってことなんです。
地球の人類史が大きく変わりつつあるってことなんでしょう。
それは理想論や根性論ではなく、徹底的に統計データで勝負する時代に変わったということです。
それなら、、1日4000人死のうが、、まぁ、緊急でもないし、弾劾しちゃえってことなんでしょう。
「1人の死は悲劇かもしれんがね、集団の死は統計上の数字さ」というアドルフ・アイヒマンの言葉が、アメリカでも現実のものになってしまいました。
こういう事実に基づいた政治ショーってのは見ていて気味が悪いですよね。
「トランプいびりショーをやるより、多くの人を救おう」とは思わないんでしょうか。
アメリカ合衆国の大学の進学率が、ポーランドの平均をはるかに下回ったまま動かないのも、なんだか納得がいってしまうのです。