レッドブルが「くたばれ正論」って言ったって、あんたアルボン降格させた張本人ですやん。
すごいなあ。アルボンをベンチ入りにして「くたばれ」ってのはなあ。どーもーせみころーんさんですーととととてて。
どうです?
ころーんさんもね、「愚直に大きく、アルボンベンチ!だったら怒られたんだろうなあ」とあまりの剛直さに引いてましたねえ。
これでね、フェルスタッペンとアルボンが二人でにっこにこでうつってたら、ちょっとメッセージの内容も変わりましたよ。
「誰が言ったか」であって「何を言ったか」ではないんですよね。
それはインターネットやスマートフォンが出たって変わんないです。
すらあっーしゅさんは「結果がでんとこうなるんや!愚直にまっすぐ異端と言われようが俺んとこはこうなんや!てか?」と思い切りネタにして遊んでいます。
これね。
今年角田君が乗るんでしょ。
怒られないですかね?
ホンダエンジンラストシーズンでね、7年ぶりに日本人ドライバーが誕生した。スッゴイめでたいじゃないですか。
それがね、こんだけ煽り系の宣伝をやらかしちゃって。
角田へのプレッシャーってすごいことになってると思うんですよ。F2みたいにらくらく表彰台に乗れないですよ。
シーズンまでもう2か月ちょっとでしょう。バーレーンだから、比較的事故は少ないと思うけれども。
ここを見ているなろうの読者の方にはもう説明は不要だと思いますが、小学生の方に説明します。
かつて昭和の時代、比較広告とか煽り広告というのは、非常に慎ましいものだったんです。
まだ大卒が1割しかない街も多く、新自由主義なんてのも全く存在せず、小規模な独立チェーンばかりが田舎の真実だったころ、「慎ましい宣伝」が美徳とされました。
そのため、企業も自粛しており、他人を不快にする広告というものは、ほとんど日本にありませんでした。
なので、昔の日本は豊かだったという老害がいるのはこのためです。
ところが。
1990年代に入ると、平成期に入ってお金がもうかったのか、他人を蹴落とすタイプの広告が横行するようになって来ました。アメリカ合衆国の30年遅れで入ってきました。
1990年代生まれのゆとり世代は「日本はちっとも豊かになっていない」と怒ることが多いと聞きますが、それはこの類の宣伝によるものだと思っています。
比較広告や比較宣伝が生まれながらにして横行しており、どのインターネットのサービスが一番素晴らしいか常に比較される、それが小学生から始まる。
こういう現実と隣り合わせの世代は、豊かさを感じることはできないでしょう。
「日本はちっとも精神的に豊かになっていない」んです。これは全面的に同意できます。
けれども、経済的には昭和の時代より豊かになってますよ。
私は「煽るのなら、もっと言ってることとやってることが同じじゃないと恨まれる」ことを考慮してほしいんですよ。
もう松坂大輔や斎藤佑樹が、プロとして何年でも続行できちゃうんですよね。
こういうのを小学生がみると腹が立ちますよね。
経済的な効果が出るから、置物として効果が出る。効果が出るのなら、一人のプロ野球人生をつぶしてもいいと。
でも、だれか一人が助かったかもしれないってのもありますよね。
こういう「新自由主義」的に延命したプロってのが、もうどこの業界にも珍しくなくなってます。
一番多いのは漫画だと思ってますが、20-30年するとアニメになります。
日本は江戸時代から変わってないので、逆らえないでしょう。そこに新自由主義が入ると極めてまずいんですよ。
日本的新自由主義はまずいんですよ。本来の新自由主義は何ともないんですが、日本的ってのが入るとうわっちゃーになるんですわ。
母語と母国語が違うってのと似てます。
日本的に、あらゆる主義を、曲げてやってきたんですが、昭和の時代はそれが慎ましかったということです。
どうしてこう慎ましかったのかというと、殴り合いの喧嘩になるからだろうってのが私の推論です。昭和の時代、酒と煙草の中、みんなで殴り合いするのは常でした。
酒と煙草があって、みんなで殴り合いってのに終止符が打たれるのはこれから15年後だと思ってます。
終止符が打たれるので、つい言葉の暴力で遊んじゃおうってのが、今回のレッドブルの広告なんですよ。
「正しすぎる」って定義は論理学的に可能でしょうか。
これはいまのなろうの読者はおろか、結婚や出産を経た大人でも回答することは難しいでしょう。ころーんさんでも回答できないでしょ。
そばでオレンジジュースを飲んでるころーんさんも、これには答えられそうにありません。
正しさは多数決ではない、とか、もっと万人に共感を得るキャッチコピーのほうが良かったんじゃないでしょうか。
そもそも自然言語はいくらでも突っ込めるので、そもそも議論する意味すらないって意見もあるかと思います。
だからここのイ・セカイであろうが、地球であろうが、音楽という言語は有効なんですよね。音楽こそが「突っ込めないくらいすごい」ことができるのは間違いがないのですから。