泰子
「ねぇ、聞いたぁ? 一昨日の事件のこと」
泰子はお弁当の蓋を閉めながら、友人たちの顔を覗き込んだ。その背後にある木製の古い本棚には大判の画集や下地しか塗られていないキャンバスが無造作に放り込まれている。美術室に併設されている美術準備室。泰子の美術部部長権限を利用して、三人はいつもそこでお弁当を食べていた。
「待って泰子。それアレでしょ、グロいやつ。食事中にしちゃいけない話なんじゃなくて?」
結は唐揚げに箸を突き立てて頬張ったあと、二本の箸を両手に持ち替え、口の前にバッテンを作る。彼女のすぐ後ろにはクロッキー用の石膏像が何体か立ち並ぶ。
「私は大丈夫だけど」
茉凛も弁当箱の蓋を閉め、口元をハンカチで拭った。彼女の後ろにある扉は、美術室へとつながっている、この部屋への唯一の出入り口。扉の横の横には彼女らが座っているパイプ椅子がまだあと数脚立てかけてある。
「え、もう終わり? 少なっ」
結は食べ終わっていない自分の弁当箱を茉凛のそれと比べながら、眉間にシワを寄せたバージョンの変顔を披露する。
「ちょっとぉ、結の変顔のせいで弁当箱の大きさの違いが入ってこない」
泰子は笑いながら手の甲で結の肩を叩く。茉凛がダイエット宣言をしてから二週間、このやりとりは彼女たちにとって日課となっていた。結の変顔だけは毎回バージョンが異なるのだが。
「だけどさー。そんな量でよくあの地獄のシゴキを乗り越えられるよね。あたしはムリ」
「ふふふ。愛で乗り越えるのよ」
茉凛は得意になるわけでもなく、澄んだ湖面に広がる静かな水紋のように、いつもの穏やかな笑顔でそう言い放つ。波紋が広がってゆくように、二人もつられて笑顔になる。
「茉凛ってばほんと凛太先輩一筋だよね。こないだ男バスのキャプテンに告られてたじゃない。アレも振っちゃったんだよね?」
「うん。だって凛太先輩じゃないから」
「え、男バスのっていうと江戸川くぅん? 顔だけ見たらイケメンだよねぇ」
「だって凛太先輩じゃないんだよ?」
茉凛は真面目な顔でそう答える。二人はやれやれといった表情で視線を交わした。
「あーあ。あたしもモテたい! 高校生活がバスケだけで終わってしまう!」
「ダメダメぇ。それだけの能力を手に入れるには、この学校一と名高い美しい黒髪を持たねばならないのよぉ」
泰子は茉凛のすぐ隣へと椅子を移動し、髪を指で梳き始めた。それに倣って結も椅子を移動し、テーピングを巻いてない方の指で茉凛の髪を梳き始めたのだが、その指を数センチも動かす前にハッと止めた。
「あの事件で死んだ子たちの中にもさ、すごい綺麗な長髪の子、いたよね」
一瞬の静寂が辺りを支配している間に、三人の表情から笑顔が消える。
「その話、したかったんだぁ。私、警察の事情聴取っていうやつ? あれ、生まれて初めて受けたのぉ」
「泰子が? どゆこと?」
結と茉凛は泰子の顔を覗き込む。
「死んだ五人のうちの一人ね、うちの部員でね」
「うわ、それは……泰子、つらかったね」
「つらかったよね。打ち明けてくれてありがとう」
「二人ともありがとぉ……でもね。こんな言い方したらアレなんだけどぉ。その子、絵は上手いのに幽霊部員でね。関わりが薄いというか、私もほとんどしゃべったことなかったの。勧誘の時とあと二回くらいでぇ」
「部長でそれ? というかその二回ってのが気になる」
結は椅子をさらに前へと出し、茉凛とほぼ密着状態のようになりながら泰子の顔をじっと見つめる。いつもなら近い近いと顔を離す茉凛も、今は静かに泰子を見つめている。
「実はその子……というか死んだ子たちのうち女子四人とも、私の中学の後輩なの。向こうは私のこと知らなかったけれどねぇ。私はその子……美術部幽霊部員の多賀さんって子、四人の入学前から知っていたの。中学生が応募できる美術コンクールがあってねぇ、私は中三の時それに入選したんだけど、多賀さんは中二で入選、中三では特選取っててね。すごいよねぇ。あと名前がキラキラしているのもあって、覚えてたのよぉ」
「キラキラって?」
「鈴っていう字に亜細亜の亜って書いて『れいあ』って読むみたい。お父さんがなんとかっていう古い映画が好きだかららしいよぉ。目立つでしょ。だから部活見学に来て名前書いてもらったとき、すぐに特選の子だってわかったの」
「へー。んで即勧誘ってわけ?」
「そぉなの。描くとこ見たかったからね。でも全然部活に顔出さなくてねぇ。私、渡り廊下でばったり会った時に聞いたのよぉ。どうして部活来ないのってぇ。勧誘されたときだってね、無理やり入らされましたって感じでもなかったのよ……そしたらね。部活来ちゃうと、友達と一緒に居る時間がなくなっちゃうからって言うのよぉ。じゃあ友達も一緒に誘って来てもいいんだよって言ったら、友達は絵を描かない子だから、ですってぇ」
「確かにちょっと変わった子かも。でさでさ。あと一回は?」
「そぉなの。でね、もう一回は部活に全然関係なくってぇ……まだゴールデンウィーク前だったかなぁ」
「そこそこ前ね?」
ずっと聞き役に徹していた茉凛が、珍しく合いの手を入れた。
「そぉ。でねぇ、多賀さんに聞かれたことあったのよね。『ざしきわらし』って知ってますかって」