綾芽
絶対にまた自分のせいにされる。今までのことを考えるとそうとしか思えない。綾芽は鬱々とした気持ちを足枷のように引きずりながら、それでも智季と鈴亜のあとをついて行く以外の選択肢を見つけられないでいた。
この町では高い建物の部類に入るマンション。その最上階……智季と麻衣架の家は違う階だけど……その外廊下は地上近くに比べて驚くほど風が強く、綾芽の長い髪を弄ぶように引っ張り、その度に視界の片隅に紛れ込む夕闇迫る景色には、確実に灯りの数が増えつつあった。そんな時間なのに、近所からはまだ幼い子どもの笑い声が風に乗って聞こえてきたりもする。次に吹いた風の中には油で揚げている匂いなんかが混ざっていたりもして。目の前にあることへ積極的には向き合いたくない綾芽は、五感に誘われるまま脇へ脇へと気をそらし続けていた。
昨日の事件の目撃者として、警察から改めて聴収を受けた後、麻衣架の葬式に「友達」として顔を出し、そしてそこで出会った智季たちについて来るように指示された。綾芽は本当はずっと自分の部屋にこもっていたかった。何もかも忘れて。しかし自分は、そんなことは許される立場にないと考えていたから、要求されたことには何一つ逆らわなかった。麻衣架達に執拗にイヤガラセを受けていた時も、変に逆らうよりは、大人しく言いなりになっていた方が、結果的に嫌な時間は短く済んだ。今日もそうやって出来る限り短くなるよう付き合ってやり過ごそうと考えていた綾芽にとって、警察官の表情が、麻衣架の家族の表情が、智季の表情が、刺すように綾芽の心へ深く刺さった。
自分のせいとして話が進んでいる……綾芽はそう感じていた。麻衣架なんていなくなってしまえばいいと、心の中で言葉にしたことは何度もあった。そんなのいじめに遭ったなら誰だって考えること……でも、いざ本当にその死を目撃してしまうと、自分の願いがその死に加担しているかのように思えて、罪悪感に苛まれてならなかった。
いつの間に自分は、そして皆との人間関係は、こんなに悪くなってしまったのだろう。綾芽が自身に課せられた罪から逃れようと思考の中でもがくとき、決まって浮かぶシーンがあった。高校の合格発表の、番号を見つけたあの瞬間のこと。綾芽は四人分の受験番号を全て覚えていて、たくさんあった番号の中から、四人の番号だけがなんだか輝いて見えた。そこの場面は特にスローモーションで覚えている。全員が同じ高校に通えるねと喜びあったあの瞬間。四人は中学を卒業しても、高校を卒業しても、大人になって様々な進路に進もうとも、結婚しても、おばあちゃんになっても、ずっとずっと一緒に居られる、かけがえのない仲間だと疑いもしなかった。あの時の自分たちは無敵だった。どんな困難だって乗り越えていけると思っていた。
現実でどんなに虐められたとしても、その日から逃げるように眠りにつくときは必ず、あの時の無敵の四人が綾芽を優しく抱きしめ、励ましてくれた。綾芽はその幻のおかげで、自分の人生からはギリギリ逃げ出さずに済んでいた。だけど麻衣架の死を目撃してしまった昨日は、いつもとは違った。
合格発表の受験番号を探しているシーンで、綾芽は麻衣架の番号だけ見つけることができずに焦っていた。あるはずなのに、あるはずなのにと何度も見直すのだけれど、やっぱりなくて。やがて、既に見つけていたはずの智季の番号も見つからなくなっていることに気付く。それだけじゃない。鈴亜の番号も綾芽自身の番号ですら、いつの間にか見えなくなっていた。怖くて、悲しくて、信じられなくて、自然にこみ上げてきた涙が綾芽の左手首にポツンと落ちたその瞬間、シーン全てが真っ赤に染まった。
綾芽が今朝、救いのない悪夢から目覚めた時、シーツも赤く染まっていた。いつもの癖が、寝ている間に出ていただけ。右手で左手首をつかみ、親指を手首に突き立ててしまう行為。疼くようなその痛みに耐えている間、綾芽は自分に関わるすべてのことから心を解き放てられている、そう感じていた。だから理由も目的も明かされず二人のあとをついて行っているこの瞬間も、無意識に後ろ手に組んだ手で行為を行い、安心を貪ろうとしていた。
「ノロノロしてんなよ」
頬を叩くような強い風と同じくらい、智季の語気は強かった。綾芽は顔を上げる。いつの間にか廊下の端……非常階段にたどり着いていた。
「ちょっと下、覗いてみなよ」
智季の顔には嫌悪と侮蔑の色が浮かんでいる。綾芽の脳裏には昨日の、麻衣架が落ちていくあの瞬間がフラッシュバックした。
「なに? 私に突き落とされるかもなーんて考えてんの?」
綾芽は首を左右に必死に振った。
「……ちが」
「じゃあ、早くやれよ!」
綾芽は非常階段の手すりから少しだけ顔を出して下を覗く。地面がずいぶんと遠く感じられる。学校の、麻衣架達が落ちた高さに比べたら倍以上はあるだろう。吹き上げてくる風が、綾芽の髪をつかんで引きずりこもうとしているみたい……そう感じた瞬間、背中をドンと押された。