表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/20

幸市

「ただいま」

 学生服の少年はそう言いながらリビングに入ってきた。

「おかえり、幸市(こういち)

司朗(しろう)、ただいま」

 幸市と挨拶を交わした司朗は、いつものように本を読んでいる。その隣でノートパソコンを開き、キーを叩くのに夢中になっている少女と司朗は、同じブレザーの制服を着ている。

実久(みく)、ただいま」

 実久と呼ばれた少女は無言で何度か頷くだけ。

「双葉は佐和さんとこ?」

 実久は更に何度か頷く。幸市がやれやれといった表情で寝室のドアを開けると、いつものように双葉が佐和に甘えていた。

「はい、双葉。ちょっとだけどいてて」

 幸市が佐和の前に正座すると、双葉はしぶしぶと佐和の背中側に回る。

「聞こえたからさ、持ってきたよ」

 そう言って幸市が学生カバンの中から取り出したのは、二重にしたビニール袋。中身は真っ赤で外からはよくわからない。佐和はそれを受け取り、ビニール袋をほどき、紅く染まった布をかきわけるように中身を確認すると、優しく微笑んだ。

「幸市、ありがとう。それからおかえり」

 幸市は目を細めて、佐和を見つめた。初めて会った頃と、彼女の姿はあまり変わっていない。昔、溝口が言っていた……巫女は魂の半分を霊界に置いているようなものだから、現世の理から少しだけ外れてしまう、と。幸市は皆にもその話をしたのだが、双葉も実久も司朗も覚えてないという。実際、幸市自身もそれをずっと覚えていたわけではない。佐和に新しい体をもらい、人として再び生きてきた中で折に触れ、そんな体験をしたことを唐突に思い出すのだ。

 晩年の溝口と幸市はよく会話した。その方法が「こっくりさん」というモノとして残っていると、実久がネットで調べてくれたが、まさしくそれだった。溝口が語り、幸市が「こっくりさん」で答える。当時の幸市は今みたいに体はなかったから。

 その会話の中で、溝口がしきりに謝っていたのが印象的だった。死して尚、御国のためにと働かせようと済まなかった、と。

 終戦が確定となったあの日。幸市たちは実験施設ごと爆破される予定だった。しかしその前に、溝口が何人かだけだが、連れ出して逃げてくれたのだ。どうして自分たちを選んでくれたのか、溝口に聞いたことがある。すると溝口は、強かったからだよ、と答えた。支配できるように小さくした想いは弱い力しか発揮できなかった。どうやら強さは自我に結び付く。だから言うことを聞かず、思い通りにならなくとも、お前たちを選んだ。日本は負けたから、お前たちの力を使ってどうこうしようという意思はもはやない。自我が強いということは、苦しみや悲しみも強いということだから、せめて、それを減らせるような、優しい巫女を見つけて縁を造ってあげたい。それがお前たちのせめてもの供養になれば、と。

 溝口はこうも言っていた。人の心の力は所詮、縁があるものにしか及ぼせないのだ、とも。神様がお願いしに来た人の頼みしか聞かないのと一緒だと。幸市は、自分たちは神様なのかと尋ねたこともある。すると溝口はすまなさそうな表情で、人としてまっとうさせてやりたい、と、そう呟いたのだ。だが、その溝口でさえ、幸市のことは最期まで「51番」としか呼ばなかった。

 溝口はそのやりとりまでもを日記にしたためていた。それを読んだ佐和が涙してくれた時、幸市はこの人に巫女になってほしいと願った。佐和はその願いに応えるべく、彼らに名前をくれた。幸市たちは佐和を助けようと決め、その通りに動いた。

『座敷笑子』として瓶に封じられた幸市たちだけではない。『座敷笑子』が何かを動かそうとするときに力を貸してくれる無数の幼子の霊たち……今も黒い靄のように縁でつながっている彼らも、幸市たちの願う通りに動いてくれた。その中の一部は、今もこの新しい家の本来の主の遺体を、風呂場ですり潰して排水溝へ流してくれているところ。双葉が燃やしてくれたらもっと楽なんだろうけれど、人の体になると、自身の力はとても弱くなってしまう。この仲間たちが手伝ってくれなかったら、今の幸市には鍵一つすら回せない。

 しかし最近、よく思うのは、佐和は幸せなのだろうかということ。自分たちは佐和を助けたつもりでいたが、当の佐和は、自分たちを生み、育てるために苦労をしているようにも見える。それでもずっと、自分たちを大切にし続けてくれる。本当は、自分たちの方こそが佐和に助けられているのだと気付いてからは、佐和の幸せが常に気がかりになっている。自分たちは人の子として成長してゆく中、佐和は一人、ほとんど変わらない。自分たちの存在が、佐和に呪いをかけてしまったのだろうか。自分たちが人として人生をまっとうしたら、佐和の呪いは解けるのだろうか。でもそこで、佐和は一人ぼっちで、どうなるのだろうか。

 幸市は自分たちのかつて収まっていた容器を見つめた。瓶にまとわりついている仲間たちは、かつてに比べてかなり薄くなっている。佐和と実久がネットを使って何かやっていたみたいだけど、こうしてみていると実際それは効果があるようにも見える。まあ、戻って来る連中も少なくないけれど。

 幸市たちが座敷笑子になるための生贄のように扱われた子たちは、自我がほとんどなく、ただ飢えた想いだけが集まっている。飢えが満たされれば昇華してゆくが、道具のように使役されるばかりでは満たされることはない。せめて、彼らが全て昇華されるまでは、佐和を置いてゆくわけにはいかない、と、幸市は誓い直すのだった。

 寝室を出た幸市は古いCDプレイヤーにイヤホンを挿し、ソファに腰掛けた。前の家のソファの方が座り心地は良かったけれど……「家」を移る時、基本的にはモノを持ち出さないのが暗黙のルールだったから仕方ない。幸市は目を閉じた。重低音のリズムから始まり、血生臭い歌詞と共にノリの良い曲が聴こえてくる。それなのに、妙に明るい不思議な曲。こんな気持ちになれるのも、この曲に出会えたおかげかな。あの日、仲間が溜まっているのを見つけたライブハウスの入り口で、金髪のお姉さんから百円で押し付けられたCD。まさかこんなにはまるなんてね。

「珍しい。幸市が笑ってる」

 幸市が目を開くと、実久もつられて笑っていた。

「実久がしゃべってることの方が珍しいよ」

 すると、司朗までつられて笑い出した。リビングに、幼い子どもではなくなった彼らの笑い声が響いた。

 

 

「っへぷしーん!」

「昌ちゃん、そのクシャミ、ツボ! ちょーツボ! 仮面ライダーかっての!」

 好春は鼻水が出そうになるくらい笑い、慌てて指で鼻の穴を塞ぐ。

「オリジナリティ溢れてるっしょ。もしかしたらミッチが噂してんのかも」

 昌のバイトが終わるのを待って、ミッチのスマホを彼女のアパートのポストへ入れてくるというのは好春の提案だった。ところがミッチはアパートに戻っていて、浮気していたという彼氏の頭をなでているところなのが、ギロチン網戸ごしに丸見えだった。

「エッチするときは部屋の入り口に設置してあるブラインド下げるんだってよ」

「そのブラインドはフツーの?」

「いや、鉄の処女の絵が描かれている」

「予想の斜め上!」

 好春が笑うと、昌も一緒に笑い出す。

「でもさ、ミッチってば中見たか珍しく気にしてたね。とぼけてみたけどバレてたっぽいなぁ」

「昌ちゃんが突然、あんたが何してても私は大好きだし友情も変わらないから、みたいに言い出すからじゃないの?」

「だってさー、私、友達けっこー少ないんすよ。座敷笑子なんてのをアレしても構わないから、バンド辞めないで欲しいなぁ」

「昌ちゃんの友達。会話中の固有名詞登場回数からすると、まさかのミッチさんと俺ちゃんだけとか?」

「うわ、好春さん漢字多いっ」

 好春は目をそらし、エア・スモーキングの仕草をする。

「なんかさー。ウィッグ外しただけで皆さん急に距離取られちゃうんすよ」

 昌は両手で金髪をつかむと、すっと持ち上げた。そこには見事なスキンヘッドが現れた。好春はそれを拍手で迎える。

「全身脱毛ガールズパンクバンドだっけ?」

「そーす。『Sick Ultra』っつーの。ミッチが作詞もしてんだけど、前向きに病んでる歌詞が最高って言われてるんすよ」

「今度聞きに行くよ」

「是非是非。あ、そーいや那珂川くんさ、今度会ったら好春さんから怒っといてよ。無断欠勤とかでさー。私、彼の分まで連勤したんすよ」

「言っとく言っとく岸部言っとく!」

 地下鉄の入り口で昌と別れた好春は、昌の姿が見えなくなると、パッパッと体に憑いている黒いモノを祓い落とした。

「縁が出来ちゃったかぁ……はぁー。黒いのから那珂川ちゃんが死んだの伝わって来るとか、もうほんと……」

 好春は月を見上げた。真っ赤な満月だった。




<終>


幸市が聴いていた曲のイメージは、YAPOOS『肉屋のように』です。エンドロールは是非、この曲で。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ