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留十郎

「ちょっと! 恭太郎センセ、呼んでこなくていいの?」

「佐和が呼んで来たらいいじゃない。大好きなセンセを。その間にあたしが中を調べておいてさしあげますわ」

 羽月はおどけながら、軍手で髪をかき上げる仕草を見せた。普段は緩くウェーブのかかった茶髪を長く伸ばしている羽月であったが、今はちゃんと結んでヘルメットの下にまとめてある。佐和もヘルメットをかぶり、羽月同様、泥や埃にまみれた汚いツナギ姿に軍手という出で立ちである。

「発見したの私なんだから、そんなの黙って見てられるわけないでしょ」

 東北のさほど大きくない町のさほど広くはない古民家。途中、改築はされたようではあるものの、建てられてから百年以上は経つというそこは、建材があちこち腐りかけていて、中を歩き回るのですら細心の注意が必要な状態だった。

 その中の一室で、他よりも少しだけ形が残っている畳が気になった佐和は羽月を呼んで一緒に畳をずらしてみたのだが、なんとそこに地下への階段が見つかったのだ。階段も、周囲の壁も、土ではなく石積みをモルタルで補強しているようだった。かなり頑丈な造りである。

「たぶん防空壕だよね。例の医者、ここらに来たのは戦後だから、これは使ってないとか、もしくは知らなかった可能性もなくない?」

 羽月はヘッドランプが点くかどうかを、顔の前にかざした軍手で確かめている。佐和はその隙に、階段に一歩踏み出してしまう。

「そうね。多分、その通りだと思うから、ちゃちゃっと調べてきちゃうね」

「あ、佐和ってばズルい!」

「ズルくないよ。私が見つけたんだから」

 佐和もヘッドランプを点け、二人は連れ立って中へと降りて行く。すぐに羽月が顔をしかめ、軍手の比較的汚れていない手首の部分で鼻を覆う。

「妙に臭くない?」

「じゃあ、引き返せば?」

 佐和の反論にムッとした羽月は軍手で鼻を覆うのをやめる。

「行くに決まっているじゃない!」

 階段を降りられる場所まで降りきると、すぐ目の前に木製の扉があった。通路に木枠がはめ込んであり、そこに扉が付いているようなのだが、目に見える釘という釘の頭は全て錆びて真っ赤に膨らんでいる。扉には一つだけ手前に出っ張っている所があり、佐和が少し触れてみると、思ったよりもスムーズに左右へ動きそうだということがわかった。閂状の鍵と、ドアノブとを兼ねているのだろう。

「佐和……開けるの?」

 羽月の声にさっきまでの勢いがなくなっている。もしも防空壕ならば中に戦時中の遺体が……羽月はそんなことを考えていた。しかし霊感が強い佐和が平然としているということは、変なモノは中にはないのだろう。そんな及び腰の羽月を尻目に、佐和は黙ったまま出っ張りを目いっぱいスライドさせた。

 思わず顔をしかめたくなるほど金属の軋む音が響き、その音が途切れると同時に開きかけた扉が不自然な角度から床へと倒れる。

「きゃっ」

 羽月は思わずヘルメットごと頭を抱えてしゃがみ込んだ。

「錆びた蝶番が千切れただけだよ」

 佐和は羽月を置いてさっさと中へ入ってしまう。羽月は、佐和に何か違和感のようなものを感じていた。羽月と佐和が仲良くなったのは、そもそもいろんな共通点があったからなのだ。美人だと周りからもてはやされようが、遊ぶでもなく、驕るでもなく、自然体で居ようとする。ブランドに狂うでもなく、好きな作家の趣味もことごとく合った。だから一緒に居ることが増え、ゼミも偶然同じ所を選んだ。羽月は佐和を友人として好きだったし、佐和も同じだと思っていた。それは、好きな男の趣味も一緒だと判明した後も、変わらないと思っていた……でも今の佐和は、いつもと違う。何かが違う。それとも本当は佐和が変わったのではなく、自分の方が一緒に歩くのをやめ、置き去りにされているだけなのかも……羽月は気合を入れ、扉の向こうへの一歩を踏み出した。

 扉の向こうは、八畳くらいの広さの長方形で、天井も少し高くなっている。窓はないが、天井から裸電球がぶら下がっている。電球のソケット部分にスイッチが着いているタイプで、昭和の懐かしい風景の中にありそうだなと羽月は思った。部屋の奥には棚があり、円筒状の……ガラスか何かの容器がいくつかと、本が何冊か並んでいる。部屋の中央には引き出しの着いた木製机があり、傍らには同じく木製の椅子もある。装飾などはない質素な部屋だった。机の引き出しは既に開いていて、中に何か紙のようなものが見える。佐和は羽月に背を向けたまま、本のようなものをパラパラとめくりながら、読みふけっているようだった。

「あたしも見ようかなー」

 羽月は軍手を片方外すと、引き出しの中の紙に手を伸ばした。佐和はよっぽど夢中になっているのか、返事すらしない。ダメとか、センセ呼んでくるよ、とか、そういう返答をちょっと期待していた羽月は、一瞬、佐和がこの部屋の一部になってしまったかのように錯覚する。

「名前?」

 机に近づいて分かったのは、机の右隅に『溝口留十郎』と彫られていることだった。

「持ち主の名前かな? 例の医者かな?」

 佐和は相変わらず返事をしない。いったんは部屋を出て恭太郎を呼んでこようと思った羽月だったが、それでも、手に取った紙を読むことを優先させたのは、そこに書いてあった言葉がとても心に引っ掛かったから。

『座敷笑子』

 そこにはそう書かれていた。

『浮カバレヌ御子ノ霊ヲ以テ座敷笑子ト成ス。御子ノ生前ノ所有物ヲ以テ呪術ノ媒介トス。』

 呪術という言葉に、羽月の目は釘付けになる。犬神憑きというのも呪術的な話。接点がないはずがない。羽月はもう片方の軍手も外すと、引き出しから残り数枚の紙も取り出し、読み始めた。

「すごいよ、佐和! 恭太郎センセが探してたのこれじゃない? 死んだ子の霊を使って犬神みたいな使役できる人工妖怪を造るって呪術みたい。犬神憑きの話が実際に残っているってことは、これ本物だってことよね? ……佐和?」

 佐和はいつの間にか読み終えた本を小脇に抱え、部屋の奥の円筒瓶を指先で一つ一つ撫でていた。佐和の指先は、調査というよりは小さな生き物を慈しむかのようにも見える。瓶は割れているものや中身の入っていないものも少なくなかったが、佐和が触れている瓶を始め5つだけ赤黒い液体で満たされているものがあった。佐和は最初に、瓶についているラベルに書かれた数字をなぞっていた。

「51?」

 佐和が更に瓶の表面を指でなぞり続けると、瓶の中で何かが動いていることに羽月は気付く。その動いている何かを見極めようと、羽月は数歩近づいてそれを凝視した。

「ひっ」

 一瞬だけだが、羽月には目玉のようなものが見えた気がしたのだ。羽月は膝から力が抜けるのを感じ、慌てて近くにあった椅子にしがみつく。

「佐和、怖いよ、ここ。早く出よう。その気持ち悪いのから早く離れて……こっちへ来てよ」

 羽月がそう言った途端、周囲の空気が変わった。寒い、と、羽月は感じた。ずっと瓶を見つめていた佐和は、羽月の方へ振り返る。その目には涙が浮かんでいた。

「この子達、可哀想な子達なんだよ。そんなこと言わないで」

 佐和の声はとても落ち着いていた。そして、その直後、幼い子どもの笑い声のような声が、その部屋いっぱいに響いた。


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