昌
昌がコンビニのバックルームに入ると、その奥で好春が口元に逆ピースを遠ざけたり近づけたりしていた。
「あ、好春さん、チース……って、何やってんすか?」
「昌ちゃん、おつかれーい。これね、バイト上がりのエア・スモーキング。俺ちゃん、禁煙してみようかな、なーんて……うわ、どっかで何か変なモン拾ってきたりしてない?」
好春は昌を見るなり、苦そうな顔をした。
「変なモン? 捨て猫とか? で、エア・スモーキングって?」
「そこ広げるとこじゃないから。昌ちゃん、冗談抜きでけっこう霊的にヤバいやつよソレ」
「うっそ? つーか好春さんが見える人っていう噂マジだったんすね」
昌はキョロキョロしながら自分の肩やら手首やら足首あたりを次々と指さしてゆく。好春の目には、昌の背後のあたりに黒い靄のようなモノがまとわりついているように見えていた。
「ちょっと後ろ向いてみてよ」
「こう?」
昌はポーズをつけながらくるりと一回転する。好春には、昌が背負っているリュックに黒いモノがたかっているように見えている。
「そのリュックの中じゃないかな?」
昌は背負っていた黒革のごついリュックを小さなテーブルへと置いた。リュックにはリベットや鎖がいくつも取り付けられており、上部のチャックを開けただけで賑やかな金属音が存在感を主張する。昌の服はいつもの黒尽くめ、今日のTシャツ柄は鎌を持った死神なのだが、昌が何かをリュックから取り出した時、好春には、その何かにまとわりつくような黒いモノのせいで死神が隠れて見えた。リュックの中にあった時よりも黒いモノが大きくなったように見える。
「それ、何?」
「何ってスマホ。ボーカルのミッチの」
「は、早く置いて。机の上。手を放してっ」
「そうなの?」
焦っている好春に対し昌はあくまでも動じず、マイペースで指示に従う。
「私さぁ、今までオバケ見た事も感じたこともなくってさ。霊感強い友達に、あんたこの場所よく平気だよねって言われるくらい霊的鈍感で。あ、その友達ってのがミッチね。ライブハウスってけっこう棲み憑いてるらしいんだけど」
好春は、自分にしか見えないその黒いモノを、あっけらかんとした昌に対してどう説明しようか思案する。彼にしてみればその黒いモノに触れるというのは、近づいただけで暖かい電気ストーブの赤く熱を持ったヒーター部分を素手で直に触るのかよ、くらいの感覚なのだが、世の中にはこの手のモノを見えない人が多く、どうにも理解してもらえない場合がほとんどであった。
「俺ちゃん史上、けっこう上位ランクインするくらい禍々しいモノなんだけど、昌ちゃんそれ持ってて平気だったの? あとさ、そのミッチさん、どうしちゃったの?」
「平気かって言われると……晴れている時に傘ささないで濡れないのか聞かれてるくらいに平気? ミッチは、練習終わりにスマホ置きっぱにしたままどっか行っちゃって。借りてたスタジオ、時間来ちゃって撤収しなきゃだったから、とりあえず私が預かってるだけなんだけど……中、見てみる?」
「え、それはマズいっしょ」
「ヘーキヘーキ。ミッチ、撮った画像ももらったメールも全部、私に見せてくれるんだよね。猫が捕った獲物持ってくるみたいに。それにスマホにロックかけない主義でさ。あいつ家にも鍵かけないときあってさすがにそれはやめろって怒ったんだけどね」
昌はミッチのスマホを再び手に取り、中を見始めた。
「ミッチさん、女性だよね? 家に鍵かけないとか怖くないのかな?」
「ミッチは美人だけど変人。なんかさ、安アパートで暑いから玄関に網戸設置して、それでドア全開で寝たいんだっつって。でも手先けっこう器用でさ、その網戸も自作してんの。それがギロチンのデザインなんよ。刃のところに本物のノコギリ取り付けて……あれ見たら痴漢でも逃げ出すね……ほら、これこれ」
昌が好春に見せた画像は、玄関にはめ込まれたギロチン型の網戸。その刃として取り付けられている幅広のノコギリはかなり錆びていて、見るからに兇悪そうだ。その後も昌は画像フォルダをつらつらと見続ける。好春は少し遠慮して、というかその黒いモノから距離を置きたくて、心持ち遠巻きにしていた。
「ミッチに見せられたことがある画像ばっかだなぁ。特に死体とか事故現場とかの画像もないし……あ、もしかしてメールかな。何ヶ月か前、彼氏が浮気してる現場に踏み込んだっつってたからなぁ。彼が大事にしてたベースでその女の顔面ぶっ叩いて出てきたとかウケるよね。その女からイヤガラセメールが来てたりとか? ん?」
昌はスマホ画面をスワイプしていた指を止めた。
「なんじゃこれ……座敷……笑う子?」
好春には、黒いモノの動きが急に活発になったように見えた。
「それ、差し支えなさげなら読んでみてよ」
「えっとね……願いを叶えてくれる座敷笑う子を、育ててみませんか。もしもあなたが育てられない場合、あなたの信頼できる女性にこのメールを転送してください」
「チェーンメールか?」
「あー、私が中学の頃も流行ったな、そういうの。でもこれけっこう無茶なこと書いてある。浮かばれない子どもの霊に再び命を与える方法……その子の一部か、生前身に着けていたものを手に入れ、ガラス瓶に入れて、それを母なる巫女の経血と清らかな水で満たし、蓋をして……清らかな水ってなんとかアルプスの天然水とかあーゆーやつでいいんすかね」
「昌ちゃん、緊迫感ないなぁ。あと、その座敷笑う子って、ざしきわらしって読ませたいんじゃないかな」
「好春さん、それ採用。で、蓋をしたら座敷笑子に新しい名前をつけ、そのガラス瓶を抱き、母の心で優しく言葉をかけてあげること。それを四十九日間続けるのと、ガラス瓶も、抱いている姿も、誰にも見られちゃいけないとか。へー」
「子宮に見立ててるんだな。四十九日ってのも死後の魂が成仏しないように閉じ込めているっぽいし、呪術的な儀式かも」
「好春さん、なんか急にカッケー」
「これでもお寺の三男坊だから。それでその座敷笑子ってのは、その儀式を通して呪詛のようなものを作り上げるんだろうけれど、例え子どもとはいえ、死んだ方の御霊はその程度の儀式でそんなわけわかんものに変容はしないもんなんだ。きっとそのメールにまとわりついている黒いモノが、その儀式に呪力を供給しているんだろうな。呪詛の本体は別の場所にあって、そのチェーンメールを霊道のように利用して縁をつないで……あー、なんか、文明すごいな。呪詛もサーバークライアント方式を取るようになったのか」
「好春さん、なんか急に何言ってるかわかんねぇ」
「あ、俺ちゃん、フリーターになる前、IT系の技術者だったのよ。でも、幽霊より怖い業界の闇を見ちゃって辞めたのさ。なんかね、これは俺ちゃんの体験的な感覚なんだけど、霊って電気的なものに作用しやすいみたいなんだ。ほら、電気急に消えるとか、電話かかってくるとか、ビデオの中に入ってるとかあるじゃん」
「あー、そんな映画観た観た」
「でも、どうしてそんなことしているのか、だよ。呪術的な力を分け与えて願いを叶えるとか、なんか別の狙いがあるのかも……まさか、蠱毒?」
昌は笑顔で首を横に振ると、考え込んでいる好春は気にせず、また読みだした。
「続きねー。満願を迎えたら、座敷笑子はお願いを聞いてくれるようになるって。ただ、座敷笑子が頑張った結果が満足いかないものになったとしても、絶対に褒めないといけない。ふむふむ。それができないと、座敷笑子はざしきわろしに変わります……笑っている子を、悪い子にしてしまうのは、巫女の責任です。責任を取りましょう。なんじゃこの終わり方。あ、このざしきわろしって悪い子でわろしって読ませんのかな」
「昌ちゃん、その座敷笑子、もしかしてミッチさん……」
「んー……思い当たるフシはあんよ。彼氏と別れてすぐくらいかな。急に泊まらせてくんなくなったし。つーかショックなのは、ミッチがこのメールを私に転送してくれてないってこと。信頼されてないんかな」
「転送されたら昌ちゃん、まずミッチさんの部屋、家探しするでしょ?」
「それだ」
憂鬱な表情の好春に向かって、昌は満面の笑みを浮かべた。