表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/10

3 名著

「ごきげんよう」

「ごきげんよう」


 微かに微笑んでゆったりと頭を下げる。女袴を着た友人達は優雅に微笑んで去っていった。彼女たちは角を曲がった向こう側で、今日もまたきゃらきゃらと少女のように笑い合うのだろう。

 私はくるりと後ろを振り向いた。灼熱しゃくねつを背にして、長い影を引き連れて私の方へ向かってくる人影が見えた。


 夜を溶け込ませたような軍服姿に、これまた闇を閉じ込めたように黒光りする長靴。坂を超えた先の士官学校のものだ。



「ごきげんよう、黄昏ちゃん」

「ごきげんだね、黎明くん」

「真面目な『女学生』やってる黄昏ちゃんを見るのが楽しみなんでな」

「嫌な日課」


 思わずまろびでた笑い声に、ふ、と彼は笑って私の隣に立つ。

 その目が私の持っているものを捉えた。


「なんだ、それ?」

「本だよ」

「見りゃ分かる」


 内容を聞いてんだよ、という声は別段不機嫌そうでもない。

 私は彼を眺めた。今私の学校では坂向こうの士官学校の生徒を気にしている女学生が少なくない。もちろん、甘い雰囲気の方向性で。

 油断しているととられるわよ、と忠告してくれた友人がいた。


「見れば分かると思いますけど?」

「分からねえから聞いてんだよ」

「文武両道はどこへ行ったの」

「母親の肚ん中においてきた」


 軽口の応酬に私は肩を竦めた。


「芥川だよ。家にあったの」

「ふうん?」


 さすがに芥川くらいは聞いたことがあるらしい。

 見やすいようにひらりと振った本は薄い。短編なのだ。

 雲に半分隠れた茜色が、私と彼の影をまた少し伸ばした。


「お父様の書斎から少し拝借したの」

「盗んでんじゃねえか」

「失礼だね」


 開いていたんだもん、という私の声に今度は彼が肩を竦めた。

 私は書斎の中で本を読み漁っていたときのことを思い出す。


「扉の向こうで明かりがついて、部屋の中に蜘蛛の糸みたいに細い光が差し込んできてね。そこで気づいたの。お父様が帰ってきた、見つかるって」

「やっぱ盗んでんじゃねえか」

「人聞きが悪いなあ、拝借だってば」


 どうだか、と意地の悪い笑みを浮かべて、どうでも良さそうに彼は無地の背表紙を指さした。


「じゃあそれは『蜘蛛の糸』なのか?」

「ううん、杜子春とししゅん

「はっ」


 途端に彼はくつくつと笑い出す。

 力のこもった長靴がかつんと高い音を立てた。

 灼熱の空気を振り飛ばしているように見えて、私は彼をじっと見つめた。彼が陽炎のように揺らめくことはなかった。




「黄昏ちゃんが仙人になりたかったとは、寡聞にして知らなかったなあ」

「やっぱ知ってるんじゃん、芥川」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ