2 蝋梅の咲いた朝
吐いた息が白く濁ってゆうらりと空気に溶けた。
劇場まで向かう道のりの、石畳を歩く音は二人分ある。
かぁらりん、こぉろりん。
からん、ころん、からん、からん。
私の足はさっさか動けるようには出来ていないらしい。一生懸命追いかけていたけれどきしりきしりと足首が痛み始めて、たまらず目の前の背中に声をかけた。
「ねえ、早いよ、黎明くん」
「黄昏ちゃんが遅いんじゃねえ?」
振り返って、悪戯な瞳がとろりと歪む。
私は頬をふくらませて、今現在着ている梅柄の女袴を指さした。どう考えてもしずしずと歩かなければみっともない服装だ。
「見たらお分かりでしょうけれど、女の子は大股でなんか歩かないの」
「へいへい、ハイカラ娘なことで」
肩をすくめて私に歩調を合わせた彼は、しかし降りだしたひとひらの雪に手のひらを返した。いや、手のひらをひっくり返したわけではなく。
つまり、前言撤回。
「やっぱ無理だわ。俺寒いの嫌いだし」
「え、ちょっと! 寒いのなんて最近いつもそうでしょ!」
私の手を握ってかつんこつんと足音を響かせる。どうも冬が嫌いらしい彼は凄まじく早い。またしても足が痛みはじめたけれど、あっという間に劇場に着いてしまった。
「お待ちしておりました」
洗練された仕草で礼をした男性は顔に白い布をヴェールのようにかけていた。その男に連れられて、私たちは桟敷へ向かう。バルコニーに椅子を取り付けたようなスペースの中で、ふかふかの椅子に腰掛けると、どんちゃん騒ぎ並にごった返す人々を上から見下ろせた。
舞台の周りを取り囲む人、人、人。
彼と私はからりと下駄を脱ぎ捨てた。
下から声が聞こえてくる。
ほら、あれが噂の……
仲睦まじくていらっしゃるのねえ。
なんでも、文武両道で眉目秀麗だとか。
才色兼備の大和撫子なんですってね。
白くのっぺりとしていて見分けのつかない顔達が、さざめきのごとき言葉を流してゆく。
「言われてるねえ、秀麗くん」
「言われてるなあ、撫子ちゃん」
くすりくすりと笑い合う。二人で顔を見合わせて、口を突いた言葉は同じだった。
「阿呆らしい」
二人で腹を抱えて悪戯でも仕掛けたほうがよっぽど楽しいだろう。こんな、興味もない劇場くんだりまで来るくらいなら。
帰ったら幽霊騒動でも巻き起こそうか。
下から手を振られれば、私はにっこり微笑んで優雅にひらひらと手を振り返す。小さな子供が目を輝かせていた。多分。
ああ、なんて。
なんて矮小で愚かで、可愛い生き物なのだろう。
「思ってたんだけどよ、黄昏ちゃん」
にやにやと色素の薄い彼が笑って、同時に開演のブザーが鳴った。影がどんどん濃くなる中で、とん、と彼は自分の頬を指し示した。
「ここに来るまで、ずっとついてたぜ、まつ毛」
「……言ってよ!」
ごしっと頬を拭う。何がおかしいのか彼はくつくつと笑っていた。腹が立って私は彼のお腹に拳を突き入れたけれど、儚げに見える体は案外硬くて、私の拳のほうが痛くなる。
格好つけて手なんか振ってしまって、恥ずかしいことこの上ない。暗くてよかった。私の顔はきっと今真っ赤だ。
彼は私の頬をするりと撫でてから、綺麗に結い上げられた私の髪になにかをさくりと刺した。
たちまち自己主張激しいそれがふわっと香る。
「……梅?」
「ああ。朝っぱらから元気に咲きやがって腹が立ったから手折ってやった。俺らは眠いってのに呑気なもんだぜ」
似合うねえ、と艶めきに満ちた笑みを零して、彼はくあ、と欠伸をした。
お詫びのつもり、なのかもしれない。