赤ちゃん拾いました
降りしきる雨の中、魔物の彷徨く夜の森を歩き回る。黒い兜の隙間から染み込んでくる雨の雫は気分のいいものではないが、構わず獣道の草をかき分けていく。
……――!……!
「…?なんだ…?」
高い、人の声が聞こえる。ここは魔物の巣窟だ。昼間でも危険なのに、今は夜。魔物の動きが活発になる時間帯だ。人がいるのなら早急に森から連れ出さなければ…
「―誰かいるのか…?」
声の聞こえる方へ進む。声は泣き声だった。発信源へたどり着いてその姿を見た瞬間目を見開く。
そこにいたのは、まだ小さな赤子だった。
「…んぅ…おぎゃぁ…ぁぁ」
声は最初に聞いたものよりもずっと小さくなっていた。衰弱してきているのだ。無理もない。この雨の中、薄い布一つで放置されていたのだから。
俺は急いで身につけていたカソックを脱ぎその赤子を包み込んだ。住み込んでいる教会に走り、ぬるま湯に赤子の身体を浸からせると、だんだんと白くなっていた肌の色に赤みが増す。止んでいた赤子の泣き声が再開した。
「助け…られたのか…」
安心からため息がでる。それにしても、何故こんな赤子が魔物の巣窟である森に捨てられていたのか。いくら貧困の続くこのご時世といえど、非情すぎはしないだろうか。俺が住んでいるのは森の隣の村。ここは比較的貧乏ではない。捨てたのはこの村の住人ではないだろう。だとすれば、わざわざ遠くから魔物の巣窟に捨てに来たということだ。
そこまで考えたで赤子の異変に気づく。
泣き声が止み、閉じていた瞳が開かれている。紅く輝くその瞳は、明らかに常人のそれとは異なった。
俺がそれを確認した瞬間、赤子の浸かっていたお湯が宙に浮かび、周囲に飛び散る。本棚が揺れ、入っていた本が床に散らばった。俺が慌てて目を閉じさせると、部屋の動きが止んだ。
「…魔法か…?」
赤子が魔法を使えるなど聞いたことがないが、今のは間違いなく魔法だった。
なるほど、だから魔物の森だったのか。これ程見境なく魔法を放つ赤子を引き取る孤児院などないだろう。孤児院の前に捨て、放置されて餓死するより、ここの魔物に一息に殺される方がましだと思ったのか。まぁどちらにしても酷い話だが。
目に当てられた俺の手が気になるのか、自分の小さな手でぺたぺたと触っている。手を退けると、心なしか、赤子がこちらに笑いかけているような気がした。
「お前、俺と暮らすか?」
返答はないと分かっていたが、とりあえず聞いてみる。
「うぅ〜!」
「返事のつもりか?」
タイミングよく発せられた声に微笑が漏れた。
俺は、赤子など育てたこともなかったが、何故だか放っておくことの出来ないこの赤子を育てることを決心した。
*
「粉ミルク…分量は生後何ヶ月かで違うのか…この子は何ヶ月なんだ…?」
「ベビーソープ…?普通のやつじゃだめなのか…?ほ、保湿剤…?」
村の人たちに相談して、貰った本を片手に奮闘する。騎士団長時代に培った力は、子育てには何の役にも立たなかった。強いていえば体力面くらいだ。世の中の子持ちの女性はこんなに眠れない夜を過ごしていたのか…
「神父様、その子の名前って何ですか?」
「名前…?…あ。」
「え?!まだ付けてないんですか?!」
色々忙しすぎて忘れていた。
目の前で楽しそうに笑い、俺の頭…兜をたたいて遊ぶ赤子を見る。
「…お前、顔結構整ってるな…」
赤子特有のふっくらとした肌なのに、顔には綺麗な彫りがある。
「よし、アレンにしよう。」
拾ってから1週間目、ようやく赤子の名前が決まった。
「っんくっ!んくっ!けふ」
「神父様、何だか様になってきましたね」
「そうですか?」
礼拝にきたママ友達なるメリザに言われる。少し嬉しくなってほわっとしていると…
けろん
「…あ。」
「…やっちゃいましたねぇ…」
俺のカソックに盛大にぶちまけられた。
「着替えてきます…。少しお願いしてもよろしいでしょうか」
「えぇ、構いませんよ。それにしても、着替えるときもその黒の兜は外さないんですか?」
「えぇ、まぁ。」
そう答えながら奥の部屋に入ってカソックを脱ぐ。そこには古傷にまみれた筋肉質な裸体があった。
「これは、戒めのようなものですから…」
ぽつりと、誰もいない部屋でこぼす。
騎士時代、何人もの人を殺してきた。騎士団長になってからは指示を飛ばすだけで人が死んだ。その重圧に耐えきれず、引退して教会の神父になって、毎晩神に告解している。それで赦しを得ようとは思っていない。せめて、俺の殺した人々が安らかに逝けるように。殺したことを後悔はしていない。しかし、命の重みがそのまま重圧となってのしかかってくる。それに、耐えることができなかった。
新しいカソックを身につけ、礼拝堂に戻る。アレンはメリザの腕に抱かれ、眠っていた。
かつてたくさんの人を殺した者が小さな命を育む。俺は償いのためにアレンを拾ったのだろうか…。
そんなことを考えていてはきりがない。俺が今やるべき事はアレンを立派に育てることだ。
「メリザさん、ありがとうございました」
「いえいえ、はい、どうぞ」
俺に差し出される小さな、小さな手。壊さないように大切に抱き上げる。
「あ〜ぅっ!」
ぺちぺちと兜をたたく。
「アレンくんはその兜、お気に入りみたいですね」
くすくすと笑いながらメリザが言う。
「そう…ですね」
少しの罪悪感が、胸に刺さった。