最近の作者の私的な執筆考
最近は、昔書いた物語という日記を、今の自分の思考で加工して、一つの物語っぽく見せる、すげえ適当。
だけどこれが一番捗るので、適当さに拍車が掛かるけど、まあ許容範囲内、
これから先にも書き続ける為には、どうしたらよいか試行中だ。
物語は適当に書いておけばいいと思うよ、だけど実際これが難しい。
やっぱ日記のように書いてるよなあぁ?。
もちろん商業出版できるレベルで、広く意味や価値を持たせたいってのは、俺にはあるのだ。
俺は、この世界をインフレさせて、革命させたいのだ。
超一流の小説くらいは、書けて当然みたいな、クッソクソでメタっメタな、ゴミ屑みたいな世界の有様を目撃してみたいのだ。
楽しいだろうがよ、たのいしぃいいいいい!!!だろうが、
道を歩く誰もが、超一流の小説を書けるレベルの、ハイにインテリジェンスが溢れた、革命的なインフレ世界だ。
馬鹿が一人も居ない、最高だろうがよ、まあそうする為にも、真の啓蒙方法として、
現状の全てを超越するような媒体、モノ、才能やら何やら模索して生きたい、
必然俺は、特異点的な絶対強度以外には、一切合財の興味が無くなるわけだ、二流以下とか全部ゴミ屑扱いって訳よぉお。
さて、俺も、とある作者の永遠に続く形の小説は参考にして、物語に機軸を置いて、その後に色々みたいな感じにしてみた。
これは俺のような超長編スタイルの、どうせ生きている限りはヱたらずに、どうせ書き続ける物語に共通した理念だと思うが。
他の物語に、作者の中だけで物語を繋げてしまう事で、勝手に無上に無限大に、全自動的に己の物語の情報量が加速度的に上がっていく思考法だ。
世界観としては、勝手に知人の書く物語を、己の物語の根幹を成す外伝的なモノにして、裏でほくそ笑みながら、己の世界として盗作するみたいな?かね?
俺は死んでも、俺の物語は増殖をつづけるのだ、これほど喜ばしい事はないだろうがよ? ええ?
まあ良い、感覚としては日々の人生の積み重ねを形にした欲求の発露、でしかないのだからなあ。
日記ならば書けなくなる事は無い、だが物語は一定のハードルみたいなのが有って、自分の満足の限度がある。
日記感覚と言いながら、実情は他人に見せつけて何かを残したいのだろうかね。
とある作者さん達連合組合は、やっぱ情報量は神だけど、公共性が無くなってる気がするね。
自分の楽しみの臨界を極めていると云うか、読者がついて行く感じに、方針は成ってるのか微妙。
というよりやはり、若者に向けた感じの、ラノベ的なとっつき易いギミックを使えないのが、厳しいのかな? 予想だけど。
とにかく親近感を持たせて、興味を持ってもらって読まれないと駄目だからねえ。
好かれるきっかけに、エッセイは良いと思うけど、もっと俺を見習って書くと良いと思ったり密かにしてます。
まあそれも超絶コア層向けの執筆として、許容されても良いと俺は思おう。
それでも想うのは、その確固たる意味と価値観によって、なにを真理として模索していくかだ。
その執筆が望む真理を志向して、体系化された情報群から、人間の美的な思考回路から導き出される、
情報の出力強度が、これはもう際限なく上がっていくからねえ、真理と定めるモノの重要性を痛感する。
こういう小説物語の真髄は、この作者の真理的な、最高の情報強度を、読者が味わえる事だと俺は勝手に思っている。
まあ何事も他人に共感される形で、独自で固有の世界観だけど、少しでも最大限の公共性の残した、上手いバランスで極めていきたい所だ。
至極適当だ、必死に成り過ぎない程度に、毎日情報を出力する事が重要なのだから、適当じゃなきゃ、どっかで妥協しなきゃ絶対に駄目。
それでも評価された方が良いから、全力を尽くしてるけど、どうなんだろうねえ、コレ。
物語は人生の延長線上、貴方が楽しく面白く可笑しい人生を送っているのなら、必然的に見所が有るモノに成るモノだと思います。