貴方になんて声をかけようかしら
「また日程が決まり次第知らせる。部屋に戻りなさい。」
父からの報告は、それだけだった。
書類から目を離さず、たんたんと。
私は女だから。嫁ぐのが仕事。
家を磐石にするための布石。
魔力が強いわけでもない私は時間旅行しか特技もない。
それらもまさか全て無駄だったとは笑える。
(サイ…今なにしてるかしら…)
部屋に戻ってソファに腰を落ち着けた。
サイのことを思い出すのは久々のことだった。学校では見かけるものの彼はいつだって誰かに囲まれている。それは男の子であったり女の子であったり…。
パーティの後は特に女の子が増えた。
私も混ざれたら、なんて直後は思っていたけど、もうそれも一年も前のこと。
「私もまぁ、モテるけどね…」
強がるように小さく呟く。
実際、ここ半年ほど、私にも何通かのラブレターが届くようになった。
呼び出しに行くか行かないかは気分次第ではあったが、ジャックがいる時には「行かなくていいよ」の一言に納得して行かなかったりする。
ジャックはおそらく私のことが好きだ。
自惚れているとは思うけど事実だもの。
彼はいつかの私と同じ目で私を見る。
それが切なくて苦しいのは自分を重ねてしまうから。私が良い返事さえすればこの人の心は救われるんじゃないかな、と考える夜もあるが決まってそういう晩にはサイが浮かんでしまう。
(片想いは自由よね…)
結局はそこに落ち着いた。
どうせ政略的な結婚なんだもの、色恋を経験するかなんて関係ない。
私は旦那様を愛せば良いだけだもの。
私はもう人生諦めモードだった。
もはや戻る気力もその意味さえも失っていた。
それでも、神様はまだ意地悪だった。
「サイ・ローリング、ローリング公爵家の次男です。本日はお越し頂きありがとうございます。」
恭しくお辞儀して見せた彼は燕尾服を身にまといいつもはしないようなぴっしりとした髪のまとめ方をしていた。
キリッとした雰囲気の装いに涼やかな目元が細められて貴公子と言うに相応しい挨拶だった。
一方、私はといえば見た目には出さないが心の中で口を開けっ放しのような状態で突っ立っていた。顔は真っ青である。
(え、いや…夢?あ、夢ね…そうそういやだもう私ホントにヤバい奴じゃないこんな妄想…)
幻想だと思いつつもなんとか令嬢としての挨拶を返し黙る。
行儀よく重ねた手を密かにつねっても現実を教えてくれるばかりでシャーロットはさらに呆然とした。
『シャーロット、本来ならばお前はバスチーユ伯爵の所に嫁ぐ予定であったが、先方の方々がお前を是非にと言うんだ。だから明日会ったら上手くやりなさい。』
父から昨日いただいた言葉の意味は計りかねるが、バスチーユ様が確か現在46歳…。回避出来て良かった…と心の底からシャーロットはそう思った。
だというのにいざ来てみればいるのはサイ。
何故だ。
(あぁもう神様、次はなんの罠でしょうか…やめてください…)
今回はどう転落するのか…予想がつかず戦々恐々。
(あ、わかった花婿略奪結婚式ね、そうに違いないわ、もしくは婚約中にサイの本命の子が出来て婚約破棄とか?!)
こわごわ、サイの顔を見ればどこか機嫌の良さそうな顔でシャーロットを見つめている。
しばらく見ない間に大人っぽくなった。
何が、とはわからないが身長はまず間違いなく伸びている。
顔立ちも凛々しくなった。
最近の様子といえば、校内のテストでは常に上位であることは知っていた。運動も先日行われた球技大会の活躍を見れば明らかだった。
シャーロットの混乱をよそに、話は何やら進んだようで、両親たちは部屋を辞し、私たちは二人となった。
口を開いたのはサイだった。
「久しぶりだね。」
「本当に、久しぶり…話すのは確かパーティの前以来だものね?」
どうしたものかと目の前に置かれたティーカップに手をつけ紅茶を一口。落ち着かない気持ちの抑え方がどうにもわからなかった。
「どうしたの?そわそわして。シャーロット、僕じゃ…イヤ?」
「あ、嫌な、わけないじゃない…」
そう、幼い頃からずっと好きだったのだ。
異常なまでに、執拗に、人生を幾度となく戻ってしまうほど私はサイの隣にいることを望んだ。
決して上手くいくことはなかったけれど…。
だから今の事態を素直に受け入れることなどできなかった。
こんな形で結ばれたかった、わけではない。
無理やり縛り付けるようなそんな恋にしたかったわけではない。
「でも、貴方は…人気者だから…」
「君だってそうさ。」
苦し紛れの言葉。
さらりと返されればまた言葉に詰まった。
あれほど望んだサイが目の前にいるしかも縁談の相手として。
嬉しいはずなのに、まとまらない考えがぐるぐる回って迂闊に喜べない自分がいた。
「小さい時は、あんなに仲が良かったのにね。」
「そうね。」
にこやかに話す彼は昔を思い浮かべているらしくその表情は柔らかい。
でも、違う。
本来ならば私とサイは私の両親が離婚した時にはさよならだった。
「最初のパーティにも一緒に行けなかったし」
「もう少し早く誘ってくれてたら良かったのにね。」
それも違う。
私はイジメられるのも、誰か違う女の子を気にする貴方も見ていられなかった。
私を好きになってくれないサイなんて…そう思った。だから戻った。
「でも、また僕らはこうして巡り会えた。」
にっこり微笑むサイは大人っぽさもあるのにどこか昔の面影がある。嬉しそうに笑う彼にズキリと心が痛む。
(ごめんね、サイ)
何故…?私が何度も戻りに戻ったからこんなことになったの…?
本来の未来とは違うのかな、巻き込んでしまったのではないか、と今更ながらに罪悪感がわいた。
胸がざわつく。
(サイは、私で…いいの、?)
怖かった。
戻る度に上手くいかないサイとの関係が…。運命に拒絶されている証明をしていくようで怖かった。お前ではダメなんだと、どこかに結ばれる道はないのかと望んだけれど、諦める覚悟ができた途端にこんなことになってしまった。
弱さ故に、躓く度にすぐ戻っていたからわからなかったけど…本来の未来はどうあるべきだったんだろう。
会いたかった、いつか会える“貴方”に。
逃げて、逃げて、逃げた。
(本当の未来…私には、わからない)
でも、本来の未来に、戻してあげるべきなのだろう。
(いっそ戻ってしまおうかしら)
5歳の頃に。
そして、辛いけれど両親の離婚にも耐えて、彼から離れる本来の未来に。
戻るのは簡単なことだ。
それが私の特化能力だもの。
この国では一人に使える特化は一種類だけ。
でも他人に能力を悟らせないのがこの国の暗黙の了解。
他の人には死ぬほど難しく無理難題な能力であっても、特化していればその能力を使うのにリスクもなにもありはしない。
(私にできるのは、戻ること…)
彼が口を開いたのはそんな時だった。
「ごめんね。」
「え…?」
「君を探すのは大変だったんだよ…?」
彼の言ったことが飲み込めずに視線をあげると困ったような、おかしそうな彼の顔。
(探す…?)
なにが、という言葉が出て来ない。
困惑しているのがわかったのか、サイは立ち上がり私の隣の席につき、落ち着かせるように私の手を取った。
「さっさとこうするべきだった。」
「…サイ?」
「シャーロット、実はね、僕の特化は先読みなんだよ。」
思考が停止した。
本来、特化の能力は配偶者ですら知らせるかは本人たち次第。
それなのにサイは今当たり前のように告げた。驚くのも無理はない。
「サイ…なにを…」
言っているの?
呆然とする私にサイは続ける。
「初めて言うし、今までこんなことをしてきたわけでもないけれど…シャーロット、僕はね、君が好きなんだ、ずっと前から…。」
「そ、んな…」
「僕は未来予知ができる。なのにね、君と結ばれる未来を見ようとすると何故だかいつもブレるんだ。パーティの時には誘えば来てくれるという未来があった。なのにそうはならなかった。そりゃ未来には選択肢がある。だから色々あったけれど、どれも途中で“消えて”しまった…結局辿り着いたのは家の力を使うこと。」
そんな馬鹿な、と思った。
だって、確かに私の人生にサイの登場しない人生はない。でもそれは私が戻る時を選んでいたからに他ならない。
突然の告白に頭が追いつかない、散々時を掻き回した私に何かの罰が下ろうとしているようにも思えた。
でも、目の前には間違いなくサイがいる。
少し赤い頬で言いにくそうに、私の知っているサイと私の知らないサイが混ざったかのような彼を見ているとどうしていいのかわからない。
「能力のこと、驚いたかもしれないけれど、これを言わないとね、君はまた僕の前から“消えて”しまうんだよ。それも今度は永遠に…」
だから、今言ったんだ。握る手に力が込められる。私は彼がなにを言ったのか少しだけ理解した。
確かに、今、彼がこれを言っていなければ私はまた過去、それも最も古い過去に戻り彼とは会わない努力をしたに違いない。
だから、彼の“消える”という言葉は私が能力を使ったということ。彼はそれを見たのだ。
「シャーロット。あのね…」
彼の顔が急に赤くあかく染まる。
どうしたのか、と少し顔を覗き込めば慌てて「あ、ごめ、」と謝るサイ。
「今また“見えて”…ごめん。僕の場合たまに自動で頭に流れてくることもあってその、いやそれはいい。とにかく、シャーロット…」
改まったように彼がきりっと姿勢を正す。
その耳はまだ赤いがそのことは置いておこう。
「シャーロット、この縁談、受けてくれないか?」
あ、とようやく小さな声が漏れる。
今与えられた多くの情報はあまりに理解しがたく、またシャーロットが今まで見てきた夢のような話に頭がこんがらがっていた。
(サイが…私のことを好き…?)
ぱちくりと瞬きをしてみても夢は覚めない。
これだけ掻き回してきた人生なのに、こんなことがあっていいのか。
(私が消える前に止めに来てくれたの…?)
じわり、
じわりと涙が滲む。
ぽろりと落ちるそれをサイの指がすうっと掬い上げてくれた。
「シャーロット、ごめんね。」
まだ何も答えない私にサイが困ったようにはにかむ。
「君の答え、僕は知ってるから。」
そう言ってサイは私を抱きしめた。