お風呂に入りたいですわ④
◇
「姉さま。終わりましたわ」
アンジェリカが執務室の扉を勢いよく開け放って戻ってきた。
それに驚いたニーニャが座っていた椅子から転げ落ちるほどだ。
「アンジェリカ。もう少しおとなしく出来ないかしら。ニーニャが怯えているわ」
「あら、失礼致しました」
言葉では謝ってみせるアンジェリカだが、その顔に謝罪の色はない。
よほど楽しかったのか、すこし興奮しているようだ。
「いえ、いいんですよアンジェリカ……さん」
「それでアンジェリカ。ちゃんと持って帰ってきたんでしょうね」
「えぇ姉さま。首謀者に繋がりそうなモノと言うことで……こちらを」
笑顔のアンジェリカが取り出したのは暗殺者の生首だった。
その顔は恐怖で彩られており、首から下は炭化したような後が残っている。
「雑ねぇ……」
「ひっ!!」
「ほぅ……」
それを見て三人が三様に反応を示す。
とりわけ強い興味を持ったのはドレイグだ。
アンジェリカの持つソレに近づきマジマジと観察している。
「何かわかるかしら?」
「いや、これだけではな……この頭巾に使われている素材が国内のものであろうということしかわからん。もっとこう、特徴的なものがあればよかったんだがね」
「申し訳ありません。これだけしか残りませんでしたの」
言葉とは裏腹にアンジェリカの笑顔は崩れない。
「ニーニャ、これに見覚えはないか」
「わ、私にはわかりません!」
ドレイグとは対照的にニーニャはアンジェリカから遠ざかりつつあった。
「そうか、ならば仕方がないか……」
「それはマキリに任せておけばいいわ。アレなら上手にやってくれるでしょう」
「なんと、馬くんはそのようなことまで出来るのか」
「マキリは器用ですから」
いつの間にかアンジェリカの手元から生首は消えている。代わりに可愛らしいティーカップが握られていた。
「……それで魔女殿。先ほどの話だが」
ドレイグが気を取り直して口を開いた。
今しがた目撃した奇妙は気にしないことにしたらしい。
「先ほどの話? どのようなお話ですか?」
「あなたが部屋を出た後の話よ。わたしたちにここに残ってニーニャの手伝いをして欲しいらしいわ」
「あら、そういうことですか。どうお答えになられました?」
「まだ答えていないわ」
「そうですか」
「アンジェリカ殿はどうだろうか?」
ドレイグは半ば懇願するような表情だ。
ニーニャには伝えられる限りを伝えたがまだまだ王たるには足りないだろう。
そこをマキリの魔女が助けてくれるのであれば安心して逝けると考えている。
「姉さまに従いますわ」
アンジェリカはそう答えてティーカップに目を落としてしまった。
本当に自分が決める気は無いのだろう。あまり興味もなさそうだ。
アンジェリカの返答を受けてドレイグは再びアリアンナを見る。
「そうね。魔女は気まぐれに人を助けたりもするけれど……魔女に頼みごとをするのは、高いわよ?」
アリアンナの目がすっかり壁際まで逃げてしまったニーニャを捉えた。
これからの王はお前だ。お前の決断が全てを決めるのだとアリアンナの目は言っている。
つられてドレイグも、アンジェリカもニーニャを見た。
部屋中の視線がニーニャに集まる。
「わ、私は……」
ニーニャが意を決した様に一歩前に出る。
その小さな喉がゴクリと鳴る。
「私からもお願いします、魔女様。どうか私と我が国を永きに渡ってお守りください」
ニーニャの決断に、アリアンナは満足そうな顔を見せた。
ここで未知の魔女に臆してしまうようであれば断るつもりであったのだ。
しかしニーニャは王としての決断を下した。それが見れればアリアンナに断る理由は無い。
しかしマキリの魔女たるもの、相応の対価は要求しておかなければならない。
アリアンナは考える。今欲しいものは何か、何なのか……。
「そうね……」
たっぷりと間を開けてから、アリアンナは答えた。
「お風呂に入りたいわ。ねぇ、アンジェリカ」
◇
「あの時は驚いたわ」
豪奢なベッドに寝たままの老婆が小さく笑う。
その顔はすっかりと痩せこけてしまい、その目にはもう光を映すことはない。
その傍らには寄り添うように白と黒の少女が座っていた。
「姉さまにしてはユーモアのあるお答えでしたわ」
「にしては、は余計よ。アンジェリカ」
「あら、失礼しましたわ」
アンジェリカの言葉には皮肉がつまっていたが、嫌味はない。
この小さな友人はずっとそうだった。
「私は……あなたの期待に応えられたかしら」
「えぇ、ニーニャ。あなたは立派な王だったわ」
ニーニャ・ブルグラインは国王として七十年の長きにわたって国を治めてきた。
この間、ただの一度も国が乱れることは無く無用な争いも起こさなかったことは後世にも高く評価されることだろう。
「そうかしら。あなた達には助けてもらってばかりだったわ」
「わたくしたちはお手伝いをしただけですわ」
「……お父様にも褒めていただけるかしら」
「勿論よ。ドレイグよりもしっかりしていたとわたしが言ってあげるわ」
「ありがとう、アリアンナ」
ニーニャの目にはもう小さな友人の姿は見えない。
それでも彼女の頭の中では照れくさそうに顔を背ける黒い少女の姿が映っているのだろう。
ニーニャはまた小さく笑う。
しかし、老いた身ではそれすらままならないようで大きく咳き込んでしまう。
乾いた咳の音が痛々しく響いた。
「私も……お父様のように消えるのかしら」
ニーニャの頭にかつての光景が思い出される。
少しずつ、黒い霧が漏れ出すように消えていく父の姿。
「あなたはあぁはならないわ」
「ニーニャさま。人として生きたあなたは、人として死にますわ」
「そう……お父様には会えないのね」
「残念だけれど……」
「いいえアリアンナ。仕方のないことだわ」
ニーニャはその見えない瞳で二人を見た。
「ねぇアリアンナ、アンジェリカ。お願いがあるのだけれど」
「ニーニャ、魔女は気まぐれで人を助けたりもするけれど」
「魔女にお願いをするのは高くつきますわよ」
ニーニャの言葉を遮る形で二人が口を開いた。
それはニーニャにその先を言わせたくない。という意志の表れだ。
「そうね、そうだったわ。あまりに当たり前のようにいてくれていたから、すっかりと甘えてしまっていたのね」
そう言ってニーニャは笑った。
それはまだ彼女が二人と同じ少女だった頃と同じような、明るい笑い声だった。
それにあわせて二人も笑った。
それからしばらくの間、広い寝室には三人の笑い声だけが聞こえていた。
ニーニャは枕に深く体を沈めると、消え入りそうな声で言った。
「また……会えるかしら」
「もちろんですわ」
「輪廻の果てでまた会いましょう」
「えぇ……その時は……また……」
そのままニーニャ眠るように息を引き取った。