プロローグ
昔の記憶。
少年は最も信頼し、そして愛していた人から言われた言葉を思い出していた。
「誰も信用するな。それは俺も例外じゃない。この世界は嘘で塗り固められている。人間なんて結局一人で生まれ、一人で死んでいく。お前は一人だ。」
そう言って、あの人は俺から去っていった。俺は急にこの世界が怖くなって、拒絶し目をつぶった。視界が真っ暗になった。
ぼんやりカフェでコーヒを飲みながら、昔のことを考えていた。耳につけたマイクから男の野太い声が聞こえる。
「T、ぼうっとするな。対象が移動するぞ。」
「了解。」
カウンターにいた長身華奢な短髪の男が会計をすませ、外に出ようとしていた。正直めんどくさいと思ったが仕事なのでしょうがない。コーヒーの深い苦味の味に浸りながら、のろのろと重い腰をあげる。ターゲットが扉を開くのを確認してから勘定をすませる。
頭の中で相手のプロフィールを確認する。ジーン・D.コード。元アメリカ合衆国特殊部隊所属。ソマリア沖戦では最前線で活躍。しかし、残虐な戦争体験から精神を病み、PTSDいわゆる心的外傷後ストレス障害を発症。除隊した後、経歴を買われテロ組織に入隊。イギリスでの自爆テロに関与していた疑いが強い。専門家の心理分析によると宗教や自らの信じる正義などはなく、だだ殺し合いに取りつかれた戦闘ジャンキーとの見方が強い。
プロフィールから判断するとなかなか厄介な相手だ。まず、特殊部隊に所属していたということは純粋に戦闘のスキル、現場での冷静な判断力は高いだろう。また、頭が狂っている殺人鬼だ。いざとなれば、民間人を殺すことにも躊躇しないだろう。最後に、作戦の内容が「相手を生け捕りにし情報を聞き出す」ということだった。ゴミの掃除は得意だが捕獲は苦手であり、頭の痛くなる依頼だ。しかし、ぐずぐず言っていても仕方がない。命令にノーは許されない。所詮俺たちは国の犬だ。
ジーンは人ごみでごった返した街の大通りを早歩きで進む。大きなモニターに張り付けてあるビルから聞こえる広告や人の喧騒とした足音、しゃべり声のなかマイクから音が聞こえる。
「対象は横坂の大通りを北東に移動中。」
尾行は最低でも四、五人で行われる。この作戦も例にもれず四人で行っている。ジーンの後ろに一人。左に俺。右に二人。急に振り向かれたとき、目が遭うことはまずない。そこで目が遭うとばれる可能性が高くなる。そのため、ジーンの頭は見ず足を見ながら移動する。
三分程尾行を続けているとジーンは立ち止まりアイホンを耳にかざした。誰かから電話がきたらしい。
「対象は誰かと通信中。」
マイクのスイッチを押しつぶやく。一言、二言話すとアイホンをポケットにしまい、なにか慌てるようにして周りを見渡す。残念ながら読唇術では口元が隠れ、内容を読み取ることはできなかった。
「きずかれたか?」
「いや、まず尾行というものはばれない。T、引き続き後をつけろ。人が多い、しっかりと見張れ。」
「了解」
その後、ジーンは急に用事を思い出したかのように方向転換し、地下鉄駅で切符を買った。駅の売店で新聞紙を買い、ベンチに座る。千島線行きの列車がホームに入ってくると一番後ろの車両に乗り込んだ。俺たち、四人もジーンから離れた車両に乗り込んだ。
「扉が閉まります。駆け込み乗車はご遠慮ください。」
アナウンスが聞こえたと思った瞬間、ジーンはドアをこじ開けるようにしてホームに降りた。
やられた。あの電話の時点で尾行にはきずいていたのだろう。まんまとだしぬかれた。悔しい。唇をかみしめる。だが、そうしてばかりもいられない。ポケットに忍ばせておいた拳銃を取り出し、移動し始めた電車の窓ガラスに向かって弾丸を放つ。パン、パン、と乾いた音が鳴りガラスが飛び散る。周りの乗客が悲鳴を上げ我先ににげようとする。そんなことはおかまいなく、窓に飛び前転のように両足を浮かし、手からホームに飛び込む。ガラスの破片が飛び散り体中を傷つける。目の上を切ったのか右の視界が赤で染まる。あいつのせいで傷を負ったという復讐心のような怒りがわいてくることを感じた。
左目でジーンを確認すると、逆のホームから電車に乗ろうとしていた。直ちに身体が反応し走る。ただ、なにも考えずに走り抜ける。脊髄反射のようなものだ。脳を介して神経に命令が届いていないみたいだ。
「うっ・・・・・!」
右足に電気がはしったように痛む。たまらず、右足を地面につける。大腿四頭筋、いわゆる太ももの表面に大きな破片が突き刺さってる。歯を食いしばり引き抜くと血があふれだす。
「なめんなよ」
ひとりごちる。ハンカチで止血するために足を結んでいると、構内にアナウンスが聞こえた。
「山井線行き発射します。」
扉が閉まり、電車が加速していく。電車内の人間の景色が変わっていく。その中に長身の目立つ外国人が馬鹿にしたような、冷え切った笑みをこちらに向けていたのを俺が気付かないはずがなかった。