ささやかな進歩 。
その後も長谷川とは有意義な時間を過ごした。
料理の話をしたり、冥王の噂話をしたり、如月と元店長のその後の話をしたり。
私は長谷川に、如月は元店長の妻の家に真っ赤なスーツとハイヒールで謝りに行ったという情報をリークした。
殺る気満々だな。こわっ。
まあ、散々迷惑かけられたし、エンターテイメントとして楽しませて貰います。
しかし、元店長はともかく如月が居なくなったのは、私個人としてはかなり痛い。
仕事面でもだが、如月は私にとっては素敵女子見本だったのに。
いや、他の娘でも私に比べれば十分素敵女子だよ?
素敵女子なんだけど....何というか、こう、放出されている素敵女子オーラ度が違うというか。
よし!真似しよう!と思えないのだ。
あーあ、どうしたもんかなぁ。
「長谷川は偉いねぇ。」
次の構想を話す長谷川に、思わずため息を1つ、こぼす。
「ちゃんと計画持って前に進んでるもんね。うん。すごいぞ!」
私が珍しく素直に誉めてみると、ちょっと意外そうな顔をした後「佐川さんは何かしようとかおもわないの?」と聞いてきた。
「うーん、構想はあるんだけどね?」
実はバイブルを色々読んでいるうちに、気づいたことがある。
それは、バイブルのほとんどが都会のOL向けに書かれているということだ。
時間の決まっている、OLだ。
朝少し早めに出社して、メールをチェックしましょう。残業せずに朝の冴えている時間に仕事をさっさとかたずけて、夕方は定時で帰りましょう。
帰ったら自分時間を楽しみましょう....
だが、私は肉体労働者だ。
飲食店は開店時間は変わらない。閉店時間も変わらない。
だから早めに行っても、これ幸と雑用をやらされて自分時間が減るだけだ。
そして飲食店の拘束時間は長い。
ランチタイムからディナータイムまで居らねばならないのだから当然だ。
シフトで分けるほど人も、今は特にいないしな。
おのれ、許すまじ冥王。
「長谷川君とは逆になっちゃうんだけど、私はそろそろ自分時間を作りたいなぁ、とね。」
「そのままでも作れると思うけど?佐藤さんとか、夜中に仕事終わってから釣りに行ったりしてるでしょ」
うん、まあそうなんだよね。
こんなにハードな時間拘束を受けても、睡眠時間を削って活動している人はいる。私も初めは睡眠時間を削って活動しよう試みた。しかし、私はどうにも睡眠時間を削ると良くない。
この話をすると「やる気が足りないからだ」などと言われるが、根性論ではどうにもならない、個人差なのだと思う。私は睡眠時間が足りないと、恐ろしくミスをする。べつにボーッとしているわけではない。必死に作業をするのだが、味付けを間違えたり、調理時間を間違えたり、できたての料理を落としたり、はては自分の足に刃わたり30センチの牛刀を落としたりした。出刃包丁じゃなくて良かった。完全に足の指が飛ぶところだった。
そんな事を懲りずに何度か繰り返し、悟ったのだ。
睡眠時間を削ったら、怪我をするのが早いか、会社を首になるのが早いかだ、と。
「朝の9時くらいから、夕方の5時か6時くらいで帰れる仕事で探してるんだけどね。私、何にも資格持ってないからさ。」
巨大デブだしね。
見た目で落とされる可能性大だ。
「ふーん。俺は佐川さんみたいな人はすぐに採用になると思うけどね?」
「は?なんでよ?」
私が自嘲ぎみに笑うと、長谷川が私をじっと見ながら言ってきた。
「見るからに真面目だから。」
「あー....。なるほどねー。」
まあ、そりゃね?
お洒落の仕方分からないし、時短とか言って見てくれ全く構ってないからね。
黒髪で、後ろを髪ゴム1つで括ってりゃそう見えるだろうさ。素っぴんだし。
でも、それだけだとちょっと面接には弱いような...
「明るいし。」
えっ!
「私、明るい?」
子供の頃から根暗っぽいと言われていた私が、明るいとは....!
「うん。俺も最初会ったときは、『やべ、この人俺の苦手なタイプだ!』って思ったけど、話してみると楽しいし。むしろうるせーくらい。」
そう言って長谷川は、わはははと笑った。
「何だとぅ!」
私は文句をいいながら、心がふわふわと浮き立つのを感じた。
昔から根暗と言われてきた。
普通にしてても、いつも明るくわいわいやってる人達に憧れてたけど、とてもそんな風には振る舞えなかった。
私は面白味のない人間で、気の利いた事も言えない。
でもこの仕事について、6年前に社員になったばかりだった長谷川や、学生の頃には絶対に話なんてしなかったような、クラスの中心にいるような人たちと仕事上話をするようになって、少しずつ会話のテンポに慣れていった。
少しずつ、会話を楽しめるようになっていった。
そうか。私、何にも持ってないと思ってたけど、得ている物も有ったんだなぁ。
人が、当たり前のように持っているのかもしれないスキルだが、そんな些細なものでも持っていなかった私には大きな進歩だ。
まだまだ、豊富に会話ができると言うほどではないし、お客さんとは天気の話で3分くらい間を持たせる程度の話術だが。
他にも有るのかもしれない。気づかないだけで、進歩していることが。
ならば、私もそう捨てたものではないのではないか。
「まじでかー。まだ転職だとか、具体的にどうこうしようとは思いう浮かばないんだけど、私が素敵女子みたいな生活をおくるのも、あながち無理じゃない気がしてきたわー。」
笑って、照れ隠しに調子にのった発言をしておく。
でもあんまり調子にのりすぎると、挫折したときが痛いから、ほどほどに....
すると、長谷川は私の顔をじっと見て言った。
「うーん、佐川さん痩せたら、けっこうイケると思うんだよねー。」
えっ!?何なに、何の罠なの?
ヤバイ、調子にのってきたー!うひょーーー!
「だから俺がプロデュースしてあげるって!
月10万で佐川さんは痩せられるし、俺は儲かるしで良いことずくめでしょ。メニューは明日から走り込みとりあえず10キロかなー。」
ははははは....。
私が貧乏まっしぐらになるだろうが!
しかも何だそのメニューは!
「つつしんでお断り致します。」
その後も懲りない長谷川の馬鹿なダイエットメニューに、口だけじゃなく手で突っ込みを入れながら、楽しく明け方近くまで馬鹿話に花を咲かせたのだった。