目覚めの悪い朝はいつも
「目覚めの悪い朝はいつも」
朝のすがすがしい空気を吸おうと思い、その日課から一日が始まらないとどうにも落ち着かないと、彼女はたてつけの悪い扉を開いた。
ノブを握り、左に回しつつ上へ持ち上げてからでないと、まるで鍵をかけたように扉は開かない。ぎしぎし音を立て、扉は口を開けた。
足元には海草じみたよれよれの黒い草。踏みつぶすとぷちりと黒い液体が染み出した。
彼女は、はてなと空を見上げた。
太陽のかわりに浮かぶ黄緑色の物体。悪酔いしたような気分の悪そうな顔が不機嫌そうに地上、いわゆる彼女をにらんでいる。
彼女はアッケに取られ、見慣れた風景を探した。
彼女になじんだ風景は仮装でもしているのか、別のものになって取り澄ましてたたずんでいる。
彼女はため息をついた。
すがすがしいはずの空気はレモンバームのさわやかな酸味を含んでいて、満足いくほどではないが彼女の肺をホッとさせた。
彼女は肩をすくめ、そっとつぶやいた。
「しようがないわ……気まぐれな世界なのよ」
自分に言い聞かせるようにきちんとゆっくりしゃべったけれど、彼女は元の世界の方が好きだったように思った。
ロゥヒールの踏みつぶす黒い地面を恐る恐る進んでいく。散歩どころではない。
日課の在り方を今日から変えないと靴をだめにしてしまうし、気分も悪い。
イカスミのようにあたりは黒々としている。
彼女はたまらなくなって、吐くマネをした。
黄緑の太陽がそれを見て、つられて吐き気を催したようだ。下品なげっぷを漏らした。アルコール分を含む黄色い雲が沸き上がり、地面と同様の空をもくもくうろついている。
真っ黒な道が二手に分かれていた。
もう帰った方がいいみたいと彼女は思った。
何しろ目に映るものは海草じみたよれよれの草とイカスミの地面。青い顔をした黄緑色の太陽。木はない。海草のような草が高く低く生えているだけ。
彼女はくるりと向きを変え、家へ戻っていった。
家を見て、彼女はうんざりしてきた。
見知らぬ人が立っていて、彼女の家の壁に黒い土をなすり付けているのだ。
彼女が自慢にしている赤レンガの壁が、見る間に黒く塗り潰されていく。
彼女はあわてて走り寄った。
赤い服を着ているのかと思ったら、そうではないようだ。
赤むけたその人は彼女に気付きあいさつした。
「黒はいいな、黒にしてみません?」
その女性は赤むけた痛々しい手で黒い土をすくい取り、彼女に渡そうとした。
もちろん彼女は受け取らない。気味が悪いし、汚れそうだからだ。
その赤むけ女は土につばを吐き散らし、ニッコリと笑った。
「これでよく育ちますよ、すぐできます。それとも、あなたの皮を交換しますか?」
「ええ?」
「これでよく育ちますよ、すぐできます。それとも、あなたの皮を交換しますか?」
赤むけ女は同じことを繰り返して言った。
「皮? いやよ、交換しない」
赤むけ女は眉をしかめた。
「交換しませんか? わたしから取るだけですか?」
「何を?」
「皮はよく育ちます。二人に一枚だから二人で育てましょう。だからあなたの皮をください」
「ハ?」
彼女はこの世界の事情がよく分からなかったので、もう一度丁寧に断った。
「一人に一枚はよくありません。皮が窒息してしまいます。二人で一枚が気分がよいのです」
赤むけ女は一生懸命説明してくれたが、彼女の皮ははがれにくくて、はがされれば痛いのだ。
「二人で一枚って、他の人を探せばよいじゃないの」
「その人は皮を持って逃げました。わたしと育てた皮なのに、独り占めしたのです。でも、今頃逆さに引っ繰り返って自分のしたことを後悔しているでしょう」
「取り返さないの?」
「引っ繰り返った皮は消化されて、土に帰ります。わたしはもう一度育てるのです。でももう夜が明けたみたいだし、皮は朝のうちは育ちません。その人はきっと自分のしたことを見せびらかすために、皮を土に埋めているでしょう」
「あたし、家に帰るの。ちょっとどいてもらえない」
彼女は赤むけ女の肩をつついた。すると、彼女の指先の皮が赤むけ女の肩に引っ付き、赤むけ女の肩から肌色の煙がらせんを描いて空へ昇っていった。
二人はあっと言って、空を見上げた。
蛇のようならせんの煙は、のしのしと空をはい回り、黄緑色のいけ好かない太陽を見つけた。肌色の煙は黄緑色の太陽を厳しくたたきのめし、追い立て始めた。
黄緑色の太陽は泣きながら黒い染みになって消えてしまった。
真っ黒い空に肌色の煙がとぐろを巻いている。
とたんに赤むけ女はあわて始め、穴を掘り出した。
「どうしたの?」
彼女が不思議に思ってたずねたときには、赤むけ女は穴の底にうずくまっていた。
太陽がどこかへ逃げ込むと、月が颯爽と現れた。
カーテンが開き、ファンファーレが響く。
緑色の月で、突き出た顎が傲慢そうだ。
赤むけ女は月に気付き、穴の入り口を閉じた。
彼女は質問にも答えない失礼な赤むけ女にあかんべぇをして、緑色の月を見上げた。
緑色の月は彼女に気付くと、いやらしげな流し目を送ってみせてカーテンを閉めた。
彼女は呆れて肩をすくめた。
「なによ、失礼ね」
扉のノブを右に回し、持ち上げて引いた。ぎしぎし扉がきしみながら開く。
そして、パタン……