――侍女
『物語に出てくる少女の名は「サカガミ ユイ」といいます。黒い髪に、黒い瞳をしたほんの十三歳の子供でした。彼女は物語の主人公のように使命を与えられるでもなく誰からも必要とされるからでもない、ただ落ちてきてしまった物でした。彼女が幸せに?……ふふ、どうでしょうね。……あら、もうこんな時間。ではお嬢様、本当に失礼致します』
扉を閉めて外側から鍵をかける。彼女が万が一にでも逃げ出さないようにだ。その可能性は極めて低いが、追いかけられ質問攻めに合うよりかはマシかと大きく溜息を吐いた。
扉の向こうから叩く音と叫び声が聞こえるが、もう彼女の知ったことではない。
最後の最後で素の表情が出てしまったのは自分の失態だった。だけど嬉しさのあまりあの表情になってしまったのだ。仕方がない事だと自分に言い聞かせることにする。
今までのあの女性との生活が頭を過ぎったが、さっさと記憶から消すことにした。傍にいるだけでも侍女にとっては苦痛だった。仕事であるとはいえ、この手にかけたいとまで思う程。だからこの記憶は侍女にとっては不要なもの。
次に会ったとしても、侍女はあの女性を覚えていられる自信はない。もしかすれば髪の色だけを見て「新しい異世界の人間」と思ってしまうかもしれない。
元の世界で坂上唯と呼ばれていた侍女は、思い出したようにクスリと笑った。忌々しい人間だったけれど、彼女のおかげで久々に侍女の心はスッキリとしていた。傍から彼女を見た人間がいたらさぞかし驚いたことだろう。
悪戯が成功した子ども。無邪気に笑う彼女はとても珍しい。
「彼女は最後まで怠惰な姫君のまま」
全てが嘘。
彼女に与えたすべての侍女は侍女であり、そうではなかった。言い方がとても難しいが、本当を見せたのはあの一瞬だけ。
東の国なんてあるわけない。
この国……いや、この世界に黒髪の人間は誰一人として存在せず、それを宿すのはあの女性と自分だけ。少し勉強すればわかることだ。それをしなかった。嫌だ、帰せと叫ぶだけで何もしなかった。いつまでも自分だけが不幸であると思い込み、それに酔いしれていた憐れな人形。
彼女が本心から解放を望み、この世界で生きて行こうと思い努力したのであれば、侍女である身だとしても必要最低限の生活場所と勤める先くらいは見つけてやるつもりであったのに。
少なくとも、今の侍女にはその力がある。
極めて低い希望のなかには、違う未来があったかもしれない。侍女と神子と呼ばれた女性が同じ異世界の人間として手を取り合って、微笑む――そんな未来が。
「本当にくだらない妄想。反吐が出るわ」
そもそも位の高い人間と結婚させて、守ろうとしていたのに、やはり彼女はそんな裏にある善意にも気付きはしなかったようだ。しまいには彼が向ける本物の愛情にさえ、壁をつくる始末だ。
だから話をした。
このまま結婚したとすると、アレはいずれ元の世界を忘れ、旦那に愛されるままに幸せになるのだろう。それはなんだか癪に障る。傲慢で無知な彼女にはそれに相応しい傷、じわじわと蝕んでいく傷をつけてやろうと思った。ただそれだけのことである。
「世界は理不尽で、醜くて、……馬鹿ばっかり」
そういえば名もない「少女」は、今頃どうしているだろうか。
男に口説かれ、駆け落ち同然で侍女の前から消えた――あの自分そっくりな少女。
きっと碌な事になってないだろうという確信だけはあった。
廊下の向こうから複数の靴音がする。
侍女は指を軽く鳴らして、そのまま無言で脇に控える。
コツコツという音が去っていくのを耳で確認してから、スカートをはらいまた歩き出した。
リュカ=アルバート。淡い緑色の髪に金の瞳。下級貴族から侍女として城にあがり、今や侍女頭として腕を奮っている。
今や周りは彼女を下級貴族として馬鹿にはしない。欲に溺れず、失脚を恐れず、ただひたすらに王に仕える彼女を畏怖と尊敬の念を込めて、「王家の番人」と呼ぶ。
その真相。彼女が異世界の人間だと知っている者はただ一人。
「入れ」
「……失礼します」
騎士二人が扉の前に配置されるその部屋。大きな机と、周りに散らばる書類。足元にあるそれを拾い上げて行きながら、前へ進む。
「神子様はどうだった?」
「……恐らくは結婚式に出るのは無理でしょう。どなたかが髪を黒く染めて代理を立てるのがよろしいかと」
「っく、はは!そう意地の悪いことを言うな。髪を黒く染め上げられる者などこの世界には誰一人としておらぬ」
この国の王と呼ばれる男は、ニヤリと笑いながらこちらを見上げてきた。
「では僭越ながら、私が代役を務めさせていただきましょう。そうなると時間がないのでこれで失礼しますが、宰相様には王からお話し下さい」
「……式典の服に着替える時にでも言っておいてやろう。精々、にこやかに笑って国民を騙してくれ」
それには答えず、流れるような動きで膝を曲げる。
「王として命じる。神子として、失敗することも暗殺されることも許さん。――行け」
その命令を心に刻み、侍女は立ち上がって部屋を出た。
決められていた部屋へと足を運び、あらかじめ用意していた白い純白のドレスを身体に纏っていく。
国民は侍女を神子と疑わず、歓声をあげ手を振ってくることだろう。
神子であるあの女性に仕えていた侍女たち以外は、神子という神聖な存在の顔を知らない。そして侍女たちは全て王に忠を尽くす者たちだけ。今回の結婚式やパレードが終わり、本物と偽物が入れ替わろうが周りが大切なのは『黒髪の神子がいる』という事実のみ。顔なんてすぐ忘れてくれるに違いない。知らないということはある意味幸福であり、こちらとしても彼等の幸福を壊すつもりもなかった。
彼らはこの国の柱。大事な民なのだから。
もう一度指を鳴らし、鏡を見ながら戻した黒い髪を綺麗に結う。細部まで自身でチェックをして問題なければ完成だ。控えめに扉を叩く音に返事をした。
「神子様、よろしいでしょうか」
「はい、行きましょう。……ふふ、緊張してきました。私の手を握っていてくれませんか?」
「それはそれは身に余る光栄です」
老人の神官に連れられて、王家の教会へと向かう。教会の中へと入れるのは王と神官のみである。それから王の前で誓い合った二人はパレードするための専用の乗り物へと乗り、街中を回る。それで終わりだ。
その後の式やパレードもつつがなく終り、王都は三日間の祭に賑わいを見せた。
……唯一、始終悲しそうにしていたのは、皮肉にも侍女の隣に居た主役であったという。
◆ ◇ ◆
ゆったりとしたベッドに横になり、目を閉じる。本日の業務はこれにて終了。明日からは侍女の仕事がまた始まる。
「王、そこで何をしていらっしゃるのでしょう?」
「…っち、見つかったか」
クローゼットに向かって短剣を投げる。それをいとも簡単に弾くとクローゼットに隠れていた王は侍女のベッドへと近づいて来た。手にはお酒と思われる瓶と杯が二つ。
さほど驚きもせずに侍女は起き上がり、ベッドに腰掛ける。
月に数回、王はたびたびこの部屋を訪れている。理由は不明であるが、侍女には拒む理由もないので毎度相手をしていた。もう慣れたものだ。
「三日間ご苦労だった。どうだ一杯、付き合え」
「………」
「どうした?――まさか毒が入っていないか疑ってるわけではないだろう」
「いえ、貴方が裏切る時はきっと私を殺してくれると思っているので……何度も言っていることでしょう。しつこい男は嫌われますよ」
彼は確かめるように何度も質問する。そんなに侍女である自分が裏切るのが心配なのかは知らない。こちらから裏切る予定はないけれど、内部を知りすぎたという点ではいつ消されてもいいような存在だという自負はある。
傾いた瓶から透明の液体が流れ出て、杯の中を満たしていく。侍女は何も言わずにそれを口に含む。
痺れも痛みもない飲み物に少しだけ肩を落としながら、侍女は同じく酒を舐める王を横目で見た。
『死にたいのか?』
自分の顔をみるなりそう問いかけてきた無礼な男が、まさか王だとは思いもせず、言葉の毒を散々吐いてやった気がする。そのお蔭でどうやら気に入られ、それから様々な仕事を与えられるようになった。
それを淡々とこなしていくうちに、王はこの部屋を訪れるようになった。無論、最初は部屋には入れず、扉越しの会話。彼は一週間この部屋に通い続け、折れたのは侍女の方だった。
『王。私はこの命続く限り、貴方を裏切らず貴方の為だけに尽くすことを誓いましょう。けれど、王も誓ってはいただけませんか?私を裏切らないと』
『……ほう、王に命令するとな?』
『いいえ、王よ。私は何よりも――死よりも裏切られることが我慢なりません。王が私を裏切る時は必ず私の首を落としてくださいませ』
侍女はわかっていた。
次に信用した者から裏切られれば、侍女の心は本当に砕け散ってしまう。立ち直れないほど、癒せないほどに。
言葉を交わし人となりを知ってしまえば情が湧いてしまう。そしていつかは信頼を寄せることになるだろう。
だから、扉から入ってくる前にそう告げたのだ。不快に思い帰ってくれないかと期待していたのかもしれない。
結局王は帰らなかった。笑いながら扉の隙間からするりと部屋へと入って来たのだった。
「今日はどんな話をしてくれる」
「そうですね。怠惰な姫君…という物語はどうでしょう?」
「それでいい、聞かせろ」
侍女は命じられるままに飲んでいた杯を机に置き、語り始めた。
それは王だけに聞かせるあらゆる物語。この世界には存在しない唯の世界の物語。
「むかしむかしあるところに――――」
その声が優しい響きを含んでいることに少女は気付かないまま、ランプが消えるそのときまで少女は語り続けた。
読んでいただきありがとうございました。
お題、『神子、侍女』作成時間はざっと3時間くらい。
異世界に落ちた二人の女の子のお話でした。